私たちが持っている価値観には、親から受け継がれたもの、学校や友人から得たもの、社会から得たものなどがあります。
社会から得た価値観は日本人にある程度共通した価値観です。その中でも、戦後に生まれた日本人の価値観として、特に男性に以下のような価値観はいまだに根強くあると思います。
「一生懸命勉強していい学校に入り、いい大学に入り、いい会社に就職する。そして、会社に入ったら会社に役立つ人間になるように努力する。そうすることで、金銭的安定や老後の保障、社会的地位が保障され、より良い暮らしができる」
“この理想的モデルこそ、目指すべき人生モデルであり、このモデルから脱落したものは不幸な生活が待っており、このモデルこそ、より多くの幸せを味わえる人生モデルだ”、という価値観です。
実際、国がそういう施策を打ってきたので、ある程度現実も当てはまります。
- 新卒の採用試験は学歴が大きなウエイトを占めること
- 新卒時に入社した会社を中途退職すると、その後の就職は不利な条件になる可能性が高いこと
- 会社内での地位が異常に過大視され、単なる職務上の役割ということを超えていること
- 大企業ほど年収が高く、社会的地位も高いこと
こういう現実があるので、子どもは「得」な人生を目指し、親も子どもに苦労させたくないため、小さいころから受験勉強に精を出します。
正直、こんな時代遅れの人生モデルをいつまで継続させるんだろうと思いますが、企業や国が「経済」という価値観を最も重要視しているため、今後もなかなか変わらないと思います。
まあ、少しずつ崩壊してきてはいますけど。
この価値観は、企業や国が「得」をするために作られたもので、個人の幸せとはまた別なんです。
子どもはつめこみ勉強や過当競争で苦しみ、仮にいい大学からいい会社に入っても、またそこは競争の世界です。終身雇用、年功序列の弊害として、慢性的な労働過多が起こり(退職すれば不利になる社会のため、経営者の権力が増す)、仮に出世しても、ただがんばり続けた人生で終わるだけです。金銭面で苦労はしないというだけのメリットのために…
また、この人生モデルの成功者は少数であり、この人生モデルから脱落した人たちは、低賃金やキツイ仕事、金銭的不安定を余儀なくされます。近年はこの層が増えています。中間層はこの中間になるのでしょうが、だからといって幸せというわけでもなく、慢性的な労働過多は同様で、金銭的には安定しているものの、年収ベースは大企業よりもグッと少なくなります。
ここに働くのは競争原理です。競争原理については以前のブログにも書いています。
そもそもこの人生モデルは万人が成功するようにできていないのです。一流大学も一流企業もごくわずかですから、限られたパイを争う人生モデルです。社会は競争を煽り、その競争によって高い生産性を作り上げています。
競争のために人を蹴落とすことさえします。人生の生き残りゲームです。
そんな人生がどうして「楽しく、ワクワクするもの」になり得るでしょうか?
そんな価値観の中でどうして自分の花を咲かせられるでしょうか?
ボクはこの人生モデルからドロップアウトしているので、仮に人生モデルの成功者を目指そうとしても目指せませんが、ここを目指そうとすることに大きな不幸があるようにしか思えません。
自分が何をやるのが幸せかをできるだけ早いうちから考えておく方がよいと思います。
ここが分かっていれば、自分が幸せになれることを人生の中により多く組み込めるよう、戦略的に人生を作り上げることができます。
仮に社会的地位が高くて、お金が良くても、自分に向いていない仕事や情熱がまったく持てない仕事だったら、つまんないですよね。
社会が押しつける「理想の人生モデル」なんて幻想だと見抜き、自分の価値観に沿った「理想の人生モデル」を作ってください。それは100人いれば100通りのものです。
多くの人がより人生を楽しめる社会になればいいですね。
ボクがやっていることが少しでもその役に立てばと思っています。