ボクは20代のころOSHOというインドの覚者に魅かれました。
OSHOの本をたくさん読みました。
OSHOのメッセージの中で一番魅かれたのは、「自分自身であれ」ということ!
社会は誰も「自分自身であれ」とは教えてくれません。
むしろ、社会の都合の良いようにしようとします。
勉強、スポーツ、芸術、態度など、社会の一定の価値観に沿って、私たちは枠に嵌められます。
その枠から出るものは、落伍者のレッテルを貼られます。
ボクは引きこもりの人や社会の落伍者の人たちは、枠に嵌ることがどうしても難しい繊細な人なのだと思っています。
でも、その繊細さこそ、本来大切な資質であると思います。
ボクもその繊細さを持っていたから、自分自身であることに強烈にあこがれ、自分自身であろうとしているのだと思います。
ボクのカウンセリングの師である溝口あゆかさんに魅かれたのも、あゆかさんが「ハートをベースにすること」を提唱していたからです。
何かの価値観を当てはめるのではなく、むしろ、剥がしていき、自分のハートがベースとなる生き方のメソッドを教えてくれました。
社会や大人たちは、たくさんの価値観を与えます。
それはこの世の中を生きやすくする価値観なのかもしれません。
親切でやっているのでしょう。
しかし、私たちの本来の資質とその価値観が合うとは限りません。
むしろ合わないことがほとんどです。
すると、恐れが生まれます。
価値観の枠から外れる恐れが出ます。
社会が自分を拒絶し、孤独になる恐れ
バカにされて自分の体面を失う恐れ
他人が自分をあざ笑う恐れ
他人が自分を攻撃する恐れ…
そのため、私たちは他者を意識せざるを得ません。
自分自身でいることが許されないのです。
生きづらいと感じる人が出てきて当然のことです。
しかし、真の満足は社会が与えた価値観に沿って、価値観内の勝者になることによってではありません。
それでは、真の喜びは味わえません。
なぜなら、あなた自身の本質的な価値観(ハート)を満たすものではないからです。
自分自身であることはとても難しいです。
それは他者に批判される恐れを受け入れる必要があります。
たくさんの恐れを受け入れ、それでも自分自身であろうとする絶大な勇気を必要とします。
それでも、ボクは自分自身であるほうを選択したいです。
他人の価値観に沿って、世間から称賛された生き方をするよりも、仮に、世間から拒絶されようとも、ハートに従った生き方を選びます。
そういう人のサポートがしたいと思っています。
自分自身であることの心地よさ、真の満足を味わってもらいたいです。
今回の内容、すごく分かりやすかったです。
そしてとても胸に響きました。
今の私に必要な言葉だったのだろうと思います。
何度も読み返させてもらいます。
よっしーさん、いつもありがとうございます。
あーやさま
こんにちは。よっし~です。
胸に響いたとのこと、よかったです♪
今回の記事は我ながらよく書けたと思います(笑)
こちらこそ、ブログを読んでくださってありがとうございます。
よっし~