行動が極端に触れてしまう人
行動が極端になる人は、思考が白黒思考になっているかもしれません。
白黒思考の場合、たとえば、恋愛では「付き合う、別れる」、仕事では「働く、辞める」、趣味では「する、しない」というように極端な行動になってしまいます。
白黒思考に加えて、傷つきやすい人の場合、傷つく体験があると反対側に触れてしまいます。
- 付き合っていて相手に傷つくことを言われた 別れる
- 友達から傷つくことを言われた 友人関係を止める
- 仕事で上司に傷つくことをされた 会社を辞める
- 趣味に打ち込んでいて、誰かにバカにされた 趣味を止める
自分らしさを否定されると
自分の情熱や興味、関心、自分らしさを出して、そのことでからかわれたり、バカにされたり、否定されると、今度は極端に自分らしさを出すことを抑えようとします。
それは「拗ねている」だけです。
誰かから「大丈夫だよ。自分らしさを出していいよ」という言葉を待っているのかもしれません。
いずれにせよ、自分で「前に進むことを拒否」し、反対側にくすぶっています。
こういう場合、どうすればよいかですが、その前に健全な状態を知っておきましょう。
健全なケースと不健全なケース
自分の情熱や興味、関心、感性、価値観を出して、それを周りが否定してきたとしましょう。
健全な場合は、周りの否定に押し流されることなく、自分の情熱や興味、関心、感性、価値観を貫くことができます。
不健全な場合、周りの否定に対し、周りの人と対立する道に進むか、周りの人を変えようとするか、周りの人の影響に流されて、自分らしさを失います。あるいは拗ねて無気力な方向に行きます。
境界線を理解する
健全側に行くには、まずは境界線を知っておくとよいです。
つまり、自分の情熱や興味、関心、感性、価値観というのは「自分の領域」であり、自分のそれらと他者のそれらは「異なる」という理解です。
自分の感性は変えられるものではありません。
それを無理に変えようとすると、自分らしさを失うことになります。
ただ、自分の感性はこういうものだと自分を否定することなく理解し、それをただ出していくだけです。
そして、他者の感性についてもそれを認めるだけです。
境界線が引けない人
境界線が健全に引けない人は、他者の感性や価値観について口出ししてきます。
「それはおかしい」「どうしてそう思うの?」「どこがいいの?」
などと言ってきます。
自分の感性や価値観が「普通」であり、相手の感性や価値観が違うと「おかしい」と思っています。
これは境界線が引けていません。
相手を「認める」ことについて
境界線が理解できていれば、相手の感性や価値観を認めることができます。
「認める」というのは、理解するということではありません。
感性が違うと、相手の感性を理解することができないことが多々あります。
相手の感性を理解できなくてもよいのです。
ただ、感性が違うということを理解し、その感性をありのまま認めるということです。
境界線を理解できていれば、他者が境界線越えしてきて、自分の感性や価値観について否定してきたとしても、「異なる価値観を持っているんだな」と軽く流せます。
毅然な対応が必要なこと
但し、流してはいけないこともあります。
それは、自分の感性や価値観に対する強制介入です。
「やりたくないことを無理やりやらせる」とか「やりたいことをやらせないようにする」とか「考え方を変えるまで説教し続ける」とか「相手が理解するまで延々と伝える」とかです。
言葉による感性の否定であれば、マナー違反レベルです。
マナー違反だから嫌な感じですが、放っておけるレベルです。
しかし、強制的な介入は、マナー違反のレベルを越えています。
それに対しては、相手に甘んじたり、受け流すのではなく、自分の感性や要望を相手に伝えることが求められるでしょう。
他者の感性や価値観に否定的な思いを持っていい
ちなみに他者の感性や価値観について「おかしい」と思うのは自由です。それはよくあることです。
誰かのファッションセンスを「変」「似合っていない」と思うことは別に悪いことではありませんし、それが自分の「感性」です。
但し、それを相手に伝えるには慎重さが必要です。
しっかり関係性が築けていて、相手を尊重しながら伝えていくことが望まれるでしょう。
要は境界線越えと分かっていながら、相手のことを思いやって境界線越えするということです。
これは境界線越えと分からずに「当たり前に」やるのとは大きな違いです。
ここで、自分が物理的な迷惑を受けている場合は、自分が相手に対して介入することは境界線越えではありません。
物理的に迷惑が掛かっていることを取り除こうとするのは、自分の領域だからです。
「物理的な」迷惑と、「精神的な」迷惑は異なります。精神的迷惑の場合、本人の捉え方の問題が多分にあるため、精神的迷惑を受けたから相手に介入するというのはトラブルを生みかねません
不健全な場合どう修正すればよいか
では、不健全な場合はどうすればよいのでしょうか。
他者と対立する場合
自分らしさを貫きながらも、周りと対立している人は、他者の価値観や感性を認めることが大切です。
もしかしたら「自分らしさを分かってもらいたい」という気持ちが強いのかも知れません。
この気持ちが強いために反発が強くなるのでしょう。
ここの傷を癒やしてあげるとよいでしょう。
自分を出さない方向に行った場合
周りの影響で、自分らしさを出さない方向に行ってしまった人はどうすればよいのでしょうか。
先にそういう人は「拗ねている」と書きました。
「待ち」を止める必要がある
この傷を癒やす必要があるのですが、問題は、癒やされるのを「待っている」ということです。
ある意味、「相手が謝るまで私は絶対に動かない」となっている状態です。
この場合、自分から動くことはありません。
「動いたら負け」という感覚になっています。
それが自分の首を絞めていて、いつまでも停滞している元凶なのですが、傷が深い分、そして、停滞が長い分、もはや自ら動けなくなってしまっています。
自分から動くと「じゃあ、これまでのことは無意味なわけ?」となってしまい、自ら動いたほうがよいことは頭では理解できても、拗ねている行為が報われなければ心理的に動けないのです。
しかし、これを客観的に見ると、このような状態の人に他者が救いを出すのはとても難しいことが分かるでしょう。
拗ね・傷を認める
まず、自分が拗ねている状態であることを理解できればよいですね。
拗ねて意固地になっていることを素直に認めましょう。
そして、それだけ傷ついたのだということを認めましょう。
それを、自らの内面に語りかけてあげましょう。
心の傷をしっかり認めてあげましょう。
自ら動けるように自分をサポートしてあげましょう。
一人でやるのが難しければ、カウンセリングでサポートします。
誰かの詫びや誰かの理解や誰かの助けを「待つ」ことを止め、自らの喜びに進もうと決意できれば、停滞を突破することができます。
そうすれば、適切に境界線を引きながら、自分らしさを貫くことができるようになります。