ブログを見て「思い込みが緩んで楽になった」と言ってくださった方がいて、とてもうれしかったです♪
苦しみの原因は、あるストーリーに同化しているということに尽きます。
もし、「私は愛されていない」というストーリーを強く信じ込んでいたら、人生はとても苦しくなります。
意識では愛されたいと思うために(その欲求は普通の人よりも強いはずです)愛を求める行動を強く取ります。
その手段は色々です。尽くしたり、我慢したり、自分を押し殺したり、相手に合わせたりします。また、地位や権威やお金、ステータス、ブランドも求めたりするかもしれません。
それでも、心の奥底で「私は愛されていない」と信じているので、他者の言動や起こったことに対し、「やっぱり私は愛されていない…」と解釈します。
愛されていない感覚はみじめでさびしくて絶望感があって…と複数の強い感情が混じるのでとっても苦しくなります。
他者や環境、状況を変えても無理です。一時的にしか解決しません。
奥底にある「私は愛されていない」というストーリーを変えない限り、苦しみは続くでしょう。
このストーリーができたのは証拠があるからです。
過去の心の傷が、そのストーリーを信じさせます。
セラピーはこのストーリーから分離を促す手法とも言えます。
「あるゲームのスキルが低い」
このことはほとんどの人にとってどうでもいいと思います。
何も困らないからです。
何も反応しないはずです。
しかし、それが自分にとって大事なことであれば、大きく反応します。
「仕事ができない」
「パートナーができない」…
こういうのは生きることに直結するので多くの人が反応するでしょう。
でも、「ゲームのスキルが低い」ということと構造的には何ら変わりがないのです。
仮に「仕事ができない」に反応したとしましょう(例なので何でもいいです)。
「仕事ができない私はダメだ」と信じ、このストーリーが新たなストーリーをたくさん生み出していきます。
「上司に怒られてしまう…恐れ」
「首になるんじゃないか…不安」
「この先食べていけないかも…不安」
「仕事ができない自分が情けない…悲しみ」
「こんなんじゃ結婚できない…絶望感」
「仕事ができる人がうらやましい…嫉妬」
「あのときもっと勉強しておけば…後悔」
「なんで親はもっと教育してくれなかったのか…怒り」
「才能がない自分はどうやっても無理…あきらめ」
たくさんのストーリーがたくさんの感情とともに現れ、大きく重い感覚になるでしょう。
でも、本当は単に思考が流れているだけで、実際には何のストーリーもないのです。
これが単なるストーリーだと気づくのはとても難しいと思います。
身体が反応するので強いリアリティがあるからです。
しかし、それが単なるストーリーだと気づいたとき、「あるゲームのスキルが低い」と同じように気にならなくなります。
そして、究極のストーリーが「私が存在する」というストーリーです。
今、私たちが「私」だと信じているのはも単なるストーリー(超リアリティがある思考)だとしたら、どんな感じがしますか?