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能力による価値と本質的価値の区別

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自己肯定感を高めればよいわけではない

自己肯定感を高めることの大切さが叫ばれています。

私もその一人です。

しかし、自己肯定感を高めることがすべてにおいてよいわけではないので、ブログでそこにも言及しておいたほうがよいと思って今書いています。

能力以上に自己評価が高い人

当たり前の話ですが、自分の能力に比べて、自己評価が高すぎるのは問題です。

心の問題で悩んでいる人の多くが、自分の能力に比べて自己評価が低すぎるので、カウンセラーや心に関わる人たちのメッセージが「自己肯定感を高めよう!」となります。

しかし、自分の能力以上に、自己評価が高すぎる人もいます。
こういう人は「自己肯定感が高すぎる」のです。
自分の力を客観的に見ることができません。

なぜ自己評価が高くなりすぎるか

理由としては、いくつかあります。
まず「アピールしたほうが有利に働く」という現実があります。

アピール上手な人のほうが出世しますし、仕事でも恋愛でも有利です。
アピール下手は損することが多いです。

別の理由としては、潜在意識にある強烈な劣等感です。

本人も意識していない劣等感があり、その劣等感を感じたくないために、自分の評価が下がることを過剰に拒んでいます。そのため、自分の能力を過剰に高く評価してしまうのです。

自己評価が能力と一致しないのは「大人の視点」を持てていない

自己評価が高すぎるのも低すぎるのも、自分の評価が正当にできていないということであり、これは「大人の視点」が持てていないということです。
「成熟した視点」と言ってもよいでしょう。

大人の視点を育む大切さ

大人であるほど、冷静に、客観的に、他人の力や物事を評価できる力を持っています。

この力を育むことは重要です。

自分に対する客観的評価は難易度が高い

しかし、他者に対する客観的な評価はできても、自分に対する客観的評価になると、難易度が上がってきます。

これがきちんとできるほど、より「大人の視点」を持てていることになります。

客観的に、俯瞰的に、自分の力を認識する力です。

自分の能力よりも、自己評価が低い人は、この力を高めていくことが重要です。

部分と全体を区別する力

次に大事なことが、部分と全体を混同しないことです。部分と全体を区別する力が大事で、その力があるほど「精神的に大人」です。

一つの能力が劣っていることを切り取って、「自分はダメだ」としてしまうことが、部分と全体の混同です。

逆に、一つの能力が優れていることを切り取って、「自分は優れている」としてしまうことも同様です。

ルックスがよいと他の要素もよいように錯覚する

たとえば、万人受けするルックスを持っていたとしましょう。

ルックスが優れていると、いろいろなメリットがあります。
特に恋愛では有利でしょう。
仕事面や人間関係でも有利に働く場面は多いです。
もちろん、デメリットもありますが、たいていの場合、メリットのほうが上回っています。

しかし、それは単純に「ルックスがよい」というだけのことです。
それだけの話です。

別の能力が優れているかどうかは別問題です。

一つの資質が優れていると、他のことも優れているように「錯覚」しがちです。
そこを混同せず、区別できる力があれば、冷静に観察できます。

そこを混同してしまうと、勘違いして、過剰に高い評価をしてしまいます。

錯覚する特性を冷静に理解する

そういった性質を利用している場合もあります。

アイドルなんかは、全部が優れているように錯覚させて、盲目的に好意を集めます。
ポジティブなイメージを作り出す戦略で売り出しています。

それが悪いわけではありません。
「だましている」と責めるつもりもありません。

錯覚してしまう人間の特性があるというだけのことです。
そして、区別する力があるほど、大人の視点を持っているというだけです。

能力による価値と本質的価値を区別する力

もう一つ、大人の視点がある人は、能力面で生み出す価値と、人間の本質的価値を区別できています

能力は価値を生む

能力があれば、価値を生みます。
その価値がお金になり、評価になります。
それは事実です。

たくさんの能力があれば、それだけ価値が高くなります。

人間の本質的価値は別物

しかし、能力が生み出す価値と、人間の本質的価値は異なります。

会社で成果を出している人は、会社にとって有用で、高給取りで、地位も高くなります。

ところが、その人の人間的価値は別問題です。

それは「当たり前のこと」ですが、大人の視点が育まれていないと、その当たり前のことを当たり前だと思わず、人間的に優れていると拡大解釈してしまうのです。

自分の何らかの能力のなさを、自分の本質的価値がないと勘違いして、落ち込みます。

また、能力だけではなく、性格も同様で、性格のよい悪いが人間の本質的価値と関連があるわけではありません。

性格がよいから価値がある、性格が悪いから価値がないということでは決してありません。

人間の本質的価値は、そういったものでは測れないもので、優れているとか劣っているとかそういった尺度にならないのです。

混同するのは大人の視点が育まれていないから

大人の視点が育まれていないと、それが「当たり前」とは思えず、能力などが生み出す価値と人間的価値を混同してしまうのです。

自他の肉体的な特徴や性格や能力、資質や家系や学歴や財産や仕事内容などで、自他の本質的価値の高低に結びつけているのです。

大人の視点があれば、それが異なることはいわずもがなで、そういう人がこの記事を見ると「当たり前のことをただ言っているだけじゃないか」と思うでしょう。

無理に差別を無くそうとすると抑圧化してしまう

ところが、そこを区別できない人が無理矢理「差別を無くそう」と試みると、かえって抑圧を生みます。

差別がアンダーグラウンドになるだけです。

くさい物にフタをしているに過ぎません。
暴力団を厳しく取り締まって、タチの悪い半グレが隠れて活動するようなものです。

大人の視点を育んでいこう

能力がある人が高く評価されるのは自然なことです。
能力が高い人も低い人も平等に同じ仕事をすることのほうが不自然です。
子どもの視点しか持たない人が、大人の視点を持とうとしても無理が出て、余計悪くなりがちです。

そうではなく、大人の視点が持てるように、成熟させていく試みが大事だと思います。

背伸びをしないこと。
かといって、開き直るのではなく、大人の視点を育んでいく努力をしていくことが大切です。

そうすれば、「能力から来る価値」と「人間の本質的価値」が違うことが自明になり、そこで悩むことはありません。

大人の視点を育むには時間がかかる

大人の視点が持てるようになるには、時間がかかります。
少しずつ育てていく必要があります。

そこを一気にできるとしてしまうのは、客観的な認識能力が欠けているわけで、子どもの視点である証拠です。

ゆっくりですが、着実に育てていけるものなので、焦らず、そして「自分には無理だ」とあきらめず、取り組んでいくことが大切だと思っています。

最後になりますが、「大人の視点」が足りないことは「人間の本質的価値」とは何も関係がないということも書いておきます。
大人の視点が足りていないと自覚したとしても何も落ち込む必要はありません。

ただ、大人の視点が足りないと生きづらさにつながっていきますので、自分の人生をよりよくするために大人の視点を育むことをやっていけばよいかなと思います。

そのために役立つようなことを、今後もブログやメルマガなどで書いていきたいと思っています。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

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