葛藤が解決しないケース
「外食が食べたい」
「でもコロナが恐い」
「そうだ!テイクアウトにしよう」
このケースでは、2つの相反する思い・感情があって、その折り合いがついて、解消したケースです。
ところが、現実には折り合いがつかないことがしばしばあります。
「外食が食べたい」
「コロナが恐い」
もし、二者択一だとしたら、どちらを選んでも不満が残ります。
外食に行くと、コロナ感染の不安が出てきます。
外食を我慢すると、食べられない不満が出てきます。
葛藤を解消するには
この葛藤を解消するには、葛藤を解消できるような別案を思いついて実行するか、どちらかの思い・感情を解消するしかありません。
外食が食べたい衝動が発散できたり、なくなれば、葛藤は解決します。
コロナ感染の恐れがなくなれば、葛藤は解決します。
大抵はどちらかを抑圧する
衝動を発散できたり、恐れが解ければよいのですが、なかなか簡単にはいかないものです。
そのため、葛藤が起こったときは、どちらかの衝動や感情を抑え込むことにします。
外食が食べたい衝動を抑え、我慢します。
あるいは、感染の恐れを抑え、恐くないフリをします。
一過性のものであれば、抑圧しても大した問題にはなりませんが、何度も継続的に抑圧することになると、抑圧された衝動や感情は心の中で育ち、大きくなっていきます。
そうなると、やがて抱えきれないくらいの葛藤になりますが、この葛藤を健全な状態でどれだけ抱えられるかというのが「心の器」です。
心の器とは
心の器が大きい人は、心の成熟度が高いと私は捉えています。
心の器は、悩みや矛盾があっても、それを心の内側にとどめておく力です。
多様性を認める余裕というか、清濁併せ呑む器という感じです。
精神的に大人の人ほど、他者や様々な考えを受け入れる力が高く、人の意見を聞く余裕があります。
逆に、精神的に子どもの人ほど、心の器が小さく、自分の考えに固執したり、正しいか間違っているかにこだわったり、自分とは異なる他者の意見や考え方を許容する力に欠けています。
私は、心の器を育むうえで、葛藤や抑圧そのものが大きな役割を果たしていると思っています。
そのため、葛藤や抑圧自体が必要不可欠なものだと認識しています。
その上で、葛藤や抑圧を解いていくサポートをカウンセリングでやっています。
欲求を出すと、相反したものが出る
葛藤は苦しい状態ですから、解消しようと思うのも無理はありません。
また、自分の欲求を抑圧するのもストレスです。
欲求は誰しもあります。
しかし、欲求を出すと、相反するものが出てくるケースが多々あります。
たとえば、車を買いたい、でもお金が足りない。
あるいは、恋人がほしい、でも好きな人には恋人がいる。
ほかには、やりたい仕事がある、でも不安定で給料が低い。などです。
これらが葛藤を生みます。
モヤモヤを早く排除したい
葛藤が生まれると、心理的にはモヤモヤを抱えます。
私たちは、このモヤモヤを不快に感じます。
そして、これを早く解消したいと願います。
このモヤモヤを抱えていられないのです。
心の器が大きい人は、葛藤を抱えられる
ここで、心の器が大きい人は、このモヤモヤを抱える力があります。
葛藤を葛藤として受け止めて、すぐに解決しなくても、心の中に抱えておくことができます。
手っ取り早く葛藤を解消するには
しかし、モヤモヤを抱え込む力が弱い人は、モヤモヤを早く排除したくて仕方ありません。
そうなると、葛藤を解消するしか道がありません。
「こうしたい」
「でも安全が脅かされる」
このとき、早く解消したいのであれば、「こうしたい」という衝動を抑え込むのが手っ取り早いです。
なかなか恐れは解消できにくいからです。
代償としてハートを失う
こうしたいという欲求と恐れであれば欲求のほうを引っ込めるほうが簡単かもしれません。
「こうしたい」という衝動が消えれば、安全が脅かされることがなくなり、葛藤はなくなり、モヤモヤは晴れます。
その代償として、ハートを失います。
こうしたいと願ったことができなくなるばかりか、こうしたいという衝動そのものをだんだんと抑え込むようになってしまいます。
欲求を抑えきれないと大きな苦しみとなりやすい
逆に欲求を抑えきれないケースもあります。
借金を重ねてどんどん物欲を発散していくのは、我慢する力がない証拠です。
欲求の衝動を適切に抑え込めなければ、いつか大きな苦しみを招きかねません。
葛藤を抱え込むために
葛藤を解消するための打開策を見つけることも大切ですが、この記事では、葛藤を抱える心の器を育むことの大切さをお伝えします。
心の器を育むには、葛藤を悪いものとみなしてすぐに排除しようとしない姿勢が大事だと思います。
葛藤そのものが、心の発達を促してくれるもので、「葛藤=悪」ではありません。
確かに、葛藤は苦しみや不快感を生じさせます。
しかし、「苦しみ=悪」「不快=悪」ではありません。
葛藤があるから、悩み、考え、新しい視点が持てるのです。
葛藤を尊重できれば、葛藤を抱え込むことがもっとできるようになるでしょう。
心の器を育む
葛藤を早く解決するということも大切ですが、心の器を育むために、葛藤を安易に解消しようとしないことも同時に重要です。
これは矛盾しているように思えますが、矛盾を抱え、どちらも大切にできる人が心の器の大きい人です。
葛藤を安易に解消しようとする欠点は、相反するどちらかを無理に抑圧してしまうことです。
たとえば、「車が欲しい」「買うと生活が苦しくなる」の場合、欲求を優先させると、生活リスクを過小評価してしまいますし、欲求を抑圧すると、車という楽しみが失われてしまいます。
ここで葛藤を抱えるというのは、「欲しいけど今は買えない」という状態を持ち続けることです。
欲しいというハートの火は消さずに、理性的に「今はまだ買わない」という選択をし、葛藤を持つことです。
葛藤を抱え込めないから極端な結論に至る
また、葛藤を安易に解消しようとすると、結論をどちらかに早く決めたくなってしまいます。
そうすると、仕事で葛藤を抱えたら、仕事を辞めることを選択したり、恋人関係で葛藤を抱えたら、別れることを選択するか、あるいは相手を強引に変えさせることを選択するなど、極端な行動に出がちです。
これは心の器が弱く、葛藤を抱え込む力が弱いため、極端な結論になってしまうのです。
すぐに極端な行動に至る人は、自分の内側に葛藤を抱えきれないのです。
葛藤は心の器を育てている
モヤモヤを抱えている人は、知らず知らずの間に葛藤を抱える力を育んでいます。
それは非常にポジティブなことです。
同時に葛藤を解消する力も育む
葛藤を抱える力を育みつつ、葛藤を根本的に解消する力も育んでいきます。
恋人間の問題であれば、お互いのニーズを話し合い、建設的な解消法を見つけていくことです。
仕事や他の問題も同様です。
葛藤を抱える力があるほど、心に余裕があり、より柔軟に解決策を探すことができます。アイデアも見つかりやすくなります。
悩みは悪いものではない
ハートで生きようとすれば、当然恐れも出てきます。
葛藤が生じることになります。
葛藤を生じさせることなく、ハートで生きたいというのは構造的に無理な話で、ハートで生きるためには葛藤を抱える力が必要になります。
もちろん、恐れを手放す力も大切ですが、生きていればリスクはつきもので、何かに挑戦しようとすれば危険は伴います。
悩むことは決して悪いことではなく、悩みやすい性質も悪いものではありません。
悩みを持つことは素晴らしいことなのです。