先日、ネットニュースでこんな記事が載っていました。
以下、一部を引用します。
ギャンブル依存症の患者は、リスクを取るべきか否かの状況判断がうまくできず、健常者と比べて脳の一部の働きに違いがあることを、京都大医学研究科の高橋英彦准教授や藤本淳研究員らのグループが突き止めた。ギャンブル依存症の新たな治療法の開発につながる成果で、英科学誌に4日発表した。…中略…高橋准教授は「ギャンブル依存症は単に性格の問題ではなく、脳の機能に原因があることが示された。脳に物理的な刺激を与える治療法も期待できる」と話している
現代科学は心を脳機能と捉えている
この研究がどうこうではなく、現代科学は心の問題を脳の問題として扱っています。
うつも脳の機能的な問題だとしています。
その証拠を脳の一部の機能が縮小しているということに見出します。
心の病気の主流仮説はモノアミン仮説
ちなみに心の病気の現代医学の主流仮説が「モノアミン仮説」です。
モノアミンとはドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン、セロトニン、ヒスタミンなどの神経伝達物質の総称です。
要は、うつや不安障害、統合失調症などの原因がこれらの神経伝達物質の異常にあるというものです。実証されていないので「仮説」と記されています。
うつ病で心療内科に行くと処方される薬の代表がSSRI
うつ病の症状が起き、心療内科に行ってうつ病と診断されると処方される薬の代表がSSRIです。この薬の作用ですが、簡単に言えば、脳内のセロトニンが増えたように見せかける薬です。
セロトニンの分泌異常がうつの原因だとする仮説は否定されている!?
SSRIは、うつの原因は脳内のセロトニンの分泌異常にあるという仮説に基づいて作られた薬ですが、実はこの仮説は実証されていないどころか否定されている研究も数多くあるのです!
びっくりしませんか!?
- 1969年のイェール大学のマルコム・パワーズの研究ではセロトニンの代謝物濃度と抑うつの重症度に相関関係がまったく見られないと報告されています。
- 1974年のペンシルバニア大学の研究者が脳内のセロトニンの枯渇自体が、うつ症状の発生原因であるとは確証できないことを示しています。
- 1984年にアメリカの国立精神衛生研究所(NIMH)はうつ病の低セロトニン仮説の検証にとりかかり、「セロトニン作動性システムの機能の亢進や低下そのものが、うつ病に関係するとは考えられない」と報告しています。
参考文献「心の病の流行と精神科治療薬の真実 ロバート・ウィタカー」
心の病の「流行」と精神科治療薬の真実
にもかかわらず、セロトニンを増やす(正確には減らさないようにして増えたように見せかける)薬が第一選択として処方されているのです。
なぜそんなことが起こっているのか不思議でなりません。
脳以外では科学的に説明できない
現代科学は、心の病気を脳の機能障害を第一仮説としています。
うつだけではないですね。依存症も、摂食障害も、不安障害も、統合失調症も、あらゆる心の病気を脳の機能的な問題に帰結させています。
ある意味仕方がないのは、脳を想定しないとこれらの原因の説明が科学的にできないからです。
人間の身体の中で心に関係してそうなところはまず脳でしょう。頭には目や鼻や口やいろんな感覚器官がくっついていますし、その中心に脳があるという構造になっています。神経を伝達する機能は脳にあります。
脳が指令を出していると想定するのが自然です。
意識と脳について
脳とは何か?
では、脳について見てみましょう。
そもそも、脳とは何でしょう?
簡単に言えば、脳細胞(ニューロン)の集まりで、ニューロンが信号のやり取りをして情報処理を行っています。
脳がやっていることは何か?
ニューロンが外部からの刺激によって化学物質を放出し、隣のニューロンを刺激するということが延々に繰り返されています。ニューロンは140億個あり、超複雑な情報処理ができるとはいえ、実際にやっているのはこれだけです。
意識現象は脳機能では説明不可能
では、私たちの意識現象、たとえば、味覚や痛み、色などを感じる意識はどのように起こっているのでしょうか?
ニューロンが別のニューロンを刺激するだけの機能しかないのに、どうやって意識が生まれるのでしょう?
意識現象が生まれるメカニズムは脳機能では全く説明できないのです。
これは哲学者のチャーマーズによって提示されたもの(意識のハード・プロブレム)で、この問題は未だ解決していません。
脳の機能を理解すると、脳が意識を生んでいるというのはそもそも無理があると考えるのが論理的であると個人的には考えます。
では意識を生んでいるものは何か?
とはいえ、脳を想定しないと、他に何を想定するのでしょうか?
魂?
全体意識?
それって測定できますか?
証明できますか?
できないんです。だから科学にはなりえません。
なので、測定できる肉体現象しか科学として扱えません。
2つの方向性
そこで、取りうる2つの方向性があると思います。
- 1)脳にはまだ未知の機能があるに違いない。その機能を見つければ心や意識がどういうふうに生成されるかも分かるに違いない
- 2)脳機能で心や意識を想定するのは無理だ。脳以外に存在するのではないか?
ではそれはいったい何で、どこにあるのだろう?
1)の方向性が現代科学ですね。私たちを肉体のみの存在だとみなし、研究領域を肉体のみに限定しています。現代科学の原則は、検証可能という点です。それができないものは科学ではありません。
2)の方向性は科学を外れる方向です。しかし、今の私たちの科学技術では測定できないけれど、肉体の他にも人間を構成するものがあるに違いないと研究する方向性です。
2)は茨の道です。科学ではないのでどこまで研究してもまず認められないです。地位も名声も得られないでしょう。証拠を示せないわけですからどこまでやっても仮説に過ぎません。科学者として生きていくにはこちらの道は歩めないでしょう。
人間は肉体以上の存在!?
でも、真実はどうでしょう?
本当に人間は肉体だけの存在でしょうか?
古代から世界中で私たちは肉体以上の存在であることが言われてきました。
たとえば、中国医学では、経絡という生体エネルギー(気)の通り道があるとし、その流れの滞りが病気の原因になっていると説きます。経穴(ツボ)を刺激することで気の流れが正常化されるメカニズムを利用しているのが鍼灸です。
インド伝統医学では、ナディという生体エネルギー(プラーナ)の通り道があるとし、それによって生命活動が維持できると考えています。目に見えない身体があり、そこと肉体をつないでいるのがチャクラと呼ばれるものです。
古に伝わる東西の英知を融合し、体系化したもので神智学というものがありますが、人間は多重エネルギー体であるとされています。
霊的能力者がまとめた体系もあります。有名どころでは元NASAの科学者でヒーラーのバーバラ・ブレナンの体系です。
もっとぶっ飛んだものであれば、宇宙人とのチャネリング本も情報源となります。
どんどんオカルトチックになり、怪しさ抜群になりますね。
正直、これらに興味がある人は皆こっそり隠れて楽しんでいることでしょう。
人に言えない趣味かもしれません(笑)
一律に非科学だと切り捨てるのはもったいない
これらの情報をすべて嘘だ、ファンタジーだと切り捨てることもできますが、そこには偉大な英知が含まれていることも明らかで、これらの情報のほうが現象をうまく説明できることもあるのです。
なので、一律に非科学的だと切り捨てるのは非常にもったいないと思います。
残念ながらこの分野には悪質なものも多い
但し、残念なことに、科学で検証できないことをいいことに、本当に怪しいものや根拠に欠けているもの、詐欺的なものも多くはびこっています。
だから余計に怪しいと言われるわけです…
中には量子論で証明されたと主張しているものもありますが、嘘ですからね。
私は科学にそこまで詳しくないですが、現段階で量子論と結びつけるには無理がありすぎます。
量子論的な現象と親和性があるという程度に受け取っておくべきでしょう。
過大な効果をうたうものは疑ったほうがいいです。私は魔法的・奇跡的な効果をもたらすものは、はじめから排除しています。詐欺的なものも多くはびこっていますので。
科学で検証できない以上、何がよいか悪いかは判断材料がありません。
それなら、少なくとも科学で証明されたものは安全なのでそっちに飛びつくのも自然でしょう。
しかし、かといって未科学のものを一律に切り捨てるのも視野を狭めると思っています。
科学も大事だし、未科学的なものも大事
スピ系が好きな人は科学よりもスピが大事という態度の人が多いと感じますが、科学的なベースは不可欠です。そこを補完するものとして古代の英知やスピ系の情報をうまく使っていくという姿勢が大切かなと感じています。
私は科学もスピも両方とも大好きです♪
私は人間を多重エネルギー体であると認識しており、その理論に基づいて、心の仕組みも理解しています。
そして、心を取り扱う上で、こっちの方が現実の事象と整合性があり、論理的な説明ができます。
実際に結果も出ます。
ホリスティック医学について
もし、こういった分野に興味があるのであれば、ホリスティック医学をオススメします。
できるだけ科学的視点を押さえて、地に足がついた学びができます。
かつ、未科学現象も柔軟に取り扱っています。
日本ホリスティック医学協会
ホリスティックヘルス情報室
こういった分野が広がったらいいなと切に思います。
将来の発展を願って
肉体以上のエネルギーが測定できるようになったら、科学はすごい進化するでしょうね。
そうなったら世界の第一級の知性の持ち主たちがこの分野を研究してくれるので、そんな日がいつか来ることを願っています。
そのときには、現代医学で今とは段違いに心の病気のケアができるようになっているでしょう。
それまでは怪しいと陰口を叩かれながらも、自分が信じることに取り組んでいきたいと思います。