自分のことしか考えていない人、自分の利益ばかり追求する人、自分さえよければ他人のことはどうでもいいと思っている人…いわゆる自分勝手な人々ですが、この人たちはセルフラブ(自己愛)が高いわけではありません。セルフラブが低いから自分勝手なんですね。
たとえば、行列のできるラーメン屋さんに並んでいるとしますね。
で、途中から兄ちゃんが割り込みしてきました。
どう思います?
普通ムカつきますよね。
どれだけムカつくかはその人の投影の強さに拠ります。
「オレもホントは割り込みしたい。並びたくない。だから並ばずに入るのはズルい」
「自分勝手な人は許せない」
「ズルするやつが大嫌い」
こんな思いが強いほど、割り込みしてきた人に腹が立ちます。
ちなみにボクが主張したいのは、「腹が立たないようにしましょう」ということではありません。
腹が立つのは当たり前です。
では、そのときに「素直に腹を立てましょう」ということでもありません。
感情解放することはいいですが、感情をそのまま相手にぶつけるとトラブルになります。
そうではなく、「腹が立ちすぎて、相手に注意してケンカになるくらいキレたり、その場でキレなかったとしてもものすごい憎しみが湧いてきてその日じゅう頭から離れないほど怒っているなら、それは癒した方が楽ですよね」ということです。
そのくらい投影が激しければ、この件だけじゃなく、いろんなことで苦しみがあるはずですから。
閑話休題。
割り込みしてきた兄ちゃんですが、意識上では「ラッキー」とか「オレが並ばないのは当たり前」などと思っているかもしれません。
でもね、無意識では罪悪感を感じるんですよ。
そもそも、割り込みしている人は、自分だけ楽をしたいという考え方ですね。他の人は並んでほしいと思っています。他の人も堂々と割り込みするようなら楽できませんから。これって「他の人は自分のようにふるまってほしくない」って思っていることになります。
これは言い換えれば、「自分のような他人(人間)はこの世に存在してはならない」ということになります。
だから無意識で「自分は存在してはいけない人間だ。罪である人間だ」と思うわけです。
無意識で自己処罰を与えるほど、人生に大きなダメージを与える行為はありません。
無意識の思考は現実化されますから、罰を受ける人生、罪を償う人生を無意識に選択していきます。
つまり、不幸だと感じる度合いが強い人生です。
ボクは因果応報をこんなふうに理解しています。神様が罰を下すのではなく、無意識で自分に罰を下しているということです。
でも、「だから悪いことをしないほうがいいですよ」とボクは言いたいわけではありません。
悪いことをするともっと悪いことが起こるから、悪いことをしないようにしようと思っている人も実は同類だからです。
それは、「誰からも批判されないならば私も割り込みするけど、現実は批判されるから割り込みはしない」という人です。
もちろんやっていることは正反対ですよ。
一方は社会的に処罰され、もう一方は社会的に推奨される方法。全然違います。受けるダメージももちろん違います。
でも、恐れによって自分を律してもあまりうまくいきません。動機が恐れだと、恐れが現実になることが多いです。
なぜ自分を癒したほうがいいかというと、癒せば癒すほどセルフラブが高まって、自分の行動がハートベースになるからです。
恐れベースではなくなるのです。
だから人生がハッピーに思える度合いが格段に増えるんです。
そして、ハートは愛や感謝の波動ですから、相手に対する思いやりが自然と生まれます。
だから、皆が並んでいるところに割り込もうなんて思わないでしょう。
自分を癒している人はセルフラブが高い人です。行動はハートベースです。むりやりではなく、喜びから自然に利他の行動が生まれます。
セルフラブが低い人ほど行動は恐れベースです。だから自分を守らざるを得ません。他人のことなんて考える余裕がありません。他人から攻撃されないように先手攻撃するか、ガチガチに防御を固めます。そのため、自分勝手なんですね。
因果応報があるから行動を律するのではなく、ハートからの行動をぜひやってみてください!