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寄り添ったほうがよいときと悪いときの区別

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寄り添うことの是非

自分が苦しんでいるとき、誰かが苦しみに寄り添ってくれたらそれだけで苦しみが楽になるでしょう。

そのため、情が強い人は、誰かが苦しんでいるときはその人の苦しみに寄り添ってあげたいと思うでしょう。

このとき、寄り添うことが自分のためにも相手のためにもならないことがあります。

二つのケース

一つのケースを紹介します。
ケース1とします。

Aさんは寂しさを抱えています。
恋人のBさんはその寂しさを埋めてあげるために必死で尽くしました。
BさんはAさんが寂しくなったときには、話を聞いてあげてたくさん寄り添いました。心のケアをたくさんしてあげました。

結果、Aさんは寂しくならなかったものの、Bさんにべったりでした。Aさんはつらいことがあると、Bさんに吐き出し、Bさんがつらい感情を慰めてあげていました。
BさんはAさんの愚痴や不満を聞いてあげていたのですが、もう嫌になり、Aさんと距離を置くようになりました。
すると、Aさんは寂しがり、Bさんに文句を言うようになりました。
BさんはAさんに振り回されてヘトヘトです。

もう一つのケースを紹介しましょう。
ケース2とします。

Cさんは人間関係で傷ついていました。
恋人のDさんはCさんの苦しみを察知し、寄り添ってあげました。
Cさんの苦しみはすぐには回復しなかったのですが、時間とともに吹っ切れました。
DさんはCさんが吹っ切れたのを見て喜んでいます。

寄り添うことそのものが問題か?

ケース1とケース2では何が違うのでしょうか?

ケース1だけを見ると「寄り添う」こと自体に問題があるように思えます。

すると「寄り添う」ことを問題視して、寄り添わないことをやろうとするかもしれません。

そうすると、情も失ってしまいかねません。

ケース2では、寄り添うことがうまくいっています。
どうやら「寄り添うこと」そのものが問題ではなさそうです。

シンキングタイム

では、何が分かれ道になったのでしょうか?

できれば、ここから先を読む前にご自身で考えてみてほしいと思います。

感情の違い?

例は「寂しさ」と「傷」の違いを書いていますが、そこは関係ありません。

感情によって、寄り添う、寄り添わないを判断するのは違います。

短期と長期の違い?

ケース1は長期的な手助けで、ケース2は一時的な手助けになっています。

これは確かに違いなのですが、これは結果論に過ぎません。

ある「前提」があると、長期的な手助けにならざるをえず、長期的な手助けか短期的な手助けかの違いが分かっても解決になりません。

この「前提」があると、短期的な手助けでは終わらないからです。

では、この「前提」とは何でしょうか?

感情の処理が自分でできること

この前提とは「感情の処理を自分でできるかどうか」です。

感情の処理が自分でできる人は、他者の思いやりを感謝を持って受け止めることができます。

ここは感情の処理が自分でできない人も同様です。

しかし、感情の処理が自分でできなければ、他者に感情の処理をしてしまうことが継続してしまうのです。

やがてそれが「当たり前」になり、結果、感謝もなくなり、してくれないと「怒ったり」「悲しんだり」するようになるのです。

ここがAさんとCさんの違いです。Aさんは感情の処理が自分でできないのです。Cさんは感情の処理が自分でできます。

感情の処理ができない人への助け方

感情の処理が自分でできないAさんに対しては、感情の処理を肩代わりしてあげることがよい結果を生みません。

Aさんは依存的になり、してあげる側もしんどくなる一方です。

そして、それが当たり前になると、感謝もされず、やってあげたことがまったく報われません。

では、どういう助け方がよいのでしょうか?

あまり答えばかり伝えるのもよくないのでぜひ考えてみてください。

感情の処理ができない場合の重要な区別

感情の処理が自分でできない人の場合、ある区別が必要です。

それは自分で感情の処理が本当に「できない」のか、自分で感情の処理を「したくない」のかです。

できないのであれば、やることは簡単です。

感情の処理方法を覚えればよいのです。
EFTでもよいですし、感情を感じながら深い呼吸で流していくやり方でもよいでしょう。

もう一つ、感情を抱える器を広げることも有効です。
負の感情耐性を作っていく訓練です。
負の感情に少しずつ向き合っていくことで器は広がっていきます。

これらは簡単なトレーニングで何とかなりますから難しくありません。

問題は自分で感情の処理を「したくない」ときです。

その場合、感情の処理方法を伝えても意味がありません。
なぜなら、本心では自分で感情処理をしたくないのですから。

実は、このケースがかなり存在します!

表面的な意識では感情解放のテクニックを学んで、真剣に取り組みます。しかし、なぜか結果が伴いません。

このとき、自分の本心を明らかにすることが大切です。
もしかしたら、感情を自分で処理「したくない」のかもしれません。
他人に感情を処理してもらいたいのかもしれません。

それは、自分で感情の処理が「できない」のではなく「したくない」だけです。

自分で処理したくない人に寄り添ったら?

では、感情の処理を自分でしたくない人に寄り添ってあげたとしたらどうなるでしょうか?

相手から喜ばれます。感謝されます。好意を持たれます。

その結果、相手はますます自分の感情を自分で処理しようとしなくなるでしょう。

では、それをやることは相手にとって本当によいことでしょうか?

相手を依存させることは、罪なことだと私は思います。

寄り添うべき相手とそうしないほうがよい相手を選ぶことが大切です。

なぜ自分で処理したくないか?

では、ここで重要になるのが、なぜ自分で感情の処理をしたくないのかということです。
どうして、他人の感情の処理をしてもらいたいのかということです。

人によって理由は変わってくるでしょう。

感情の境界線を引く

まず、一つ言えるのは、その人は感情の境界線がまったく引けていません。

感情は自分の領域です。自分の感情は自分の責任範囲です。

自分の感情のケアを他人にしてもらうのは、自分の責任を相手に押しつける行為です。

それを理解する必要があります。

つまり、自分の感情の責任を自分で持つということです。

それが大前提にあって、その上で必要なときは誰かに助けを求めることです。

助けを求めることは問題ない

助けを求めること自体はまったく問題ありません。
自分の感情の責任を持つということは、すべて自分で解決しなければならないということではありません。

ここを誤解している人が結構いるように思えます。
そう誤解すると、今度は一人で抱えてしまうことになり、苦しくなってしまいます。

あらゆる手段を使って、解決すればよいのです。

自分で掘り下げてみる

では、戻りますが、どうして感情の処理を自分でしたくないのでしょうか?

まずは「自分でしたくない」ということを心から認めることが大事です。
その上で、どうしてかを考えてみましょう。

寂しいから?

では、どうして寂しいのでしょうか?

一人になるのが恐いから?

では、一人でいるときの自分の存在を自分でどう捉えているでしょうか?

ここで出てくるあなた自身の捉え方に、あなたの根本的誤解があります。

自己存在に関する否定を解く

自分という存在に対する否定があれば、存在価値を高めるために「外から満たす」必要があります。

自分が他者に何か役立つことをしてあげることで自分の存在価値を高めることを含みます。

そのため「自分が他者に役立てるかどうか」を気にします。

また、外から満たす必要がある以上、他者からの愛を必要以上に欲します。

他者からの愛があるのはよいことですが、それがないと困るのは問題です。

自己存在に関する否定を解く必要があります。

ここが解けると、自己の感情の責任を自分が負うという「当たり前」のことができるようになるでしょう。

この誤解をしている限り、他者からの愛の「欠乏感」で人生がコントロールされてしまいます。
それは、あなたの人生をあまりよい方向に進ませないでしょう。

ぜひ、自己存在に関する否定を解いてください。

もし、それを解きたいと願うなら、それができるように精一杯サポートしたいと思っています。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

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