「言葉の重みや深みというのは、それを書いた個人が、その生き方そのものを通じて『債務保証』するもの」 内田樹 「街場のメディア論」より
今回の「私は愛されていない」ということに直面させられた事件で気づきを得られ、その気づきが宝物だと書きました。
この気づきはボク自身のもので他の人には響かないかもしれませんが、参考のためにどんな気づきがあったかを紹介します。
●苦しみを味わうことを拒否すれば、喜びを味わうことも拒否することになる。だから苦しみも人生の一部として受け入れて、それを堪能しよう。
●ここまで苦しいと、感情解放ツールも簡単には効果が出ない。でもいくつかのツールを組み合わせながら使うと、苦しみがぐっと減った。この感情解放ツールを知っているのといないのでは全然違う。
●対人関係では、価値観の違いは当たり前にあるし、お互い「えっ」と思うような価値観もある。価値観を尊重することも大事だけど、そのためには、それを素直に話せるかどうかが最も大事。不安や恐怖から素直に話せず、すれ違いが生まれやすい。だから自分を癒していくことが大事だとあらためて感じた。自分を癒していけば、お互いが素直にニーズや不満を言えるようになりやすい。
●心の傷に直面し、無価値感や自己嫌悪などネガティブな感情を味わいたくないがために、やりたいことをやめることはしたくないと強く感じた。恐怖に煽られるのではなく、ポジティブな思いから選択していきたい。
●あらためて書く作業をやってみたが、書くことによるスッキリ感はかなりあるなと感じた。適当に思ったことを書いていくだけで、論点が整理され、自分の課題がハッキリ見えてきた。自分が大切にしている価値観がより鮮明になった。また、書くことで不安もだいぶ落ち着いてきた。
●書くこととEFTの併用はかなりオススメのツールだと再認識できた。
●あらためて、気づきを促すセッションの大切さが分かった。できるだけ、クライエントさん自身が気づけるようなセッションを心がけようと思った。
●苦しいときには、聴いてくれる仲間がいることはとても力になる。そして苦しんでいるときに一番うれしいのは共感してもらえること。アドバイスやここをもっと改善したら?というものは逆効果。本人のためを思って言っているのは分かるのだが、そういう時期じゃない。十分に共感してもらった後じゃないと反発したくなる。自己正当化したい時期だから、その時期は十分に自己正当化をすることも癒しのプロセス。無理に癒しを進めようとするとかえって癒しを遅らせる。
●強い不安があるとそれを必死に取ろうとするが、EFTで取ってもまた不安が出る。それよりも“不安がある自分を受け入れること”、“自分や相手を信頼すること”にコミットメント(強く誓うこと)することのほうがうまく不安を解消することができた。
当たり前のことを書いているところもありますが、外から得たものと内側の経験から得たものでは重みが違います。
やはり実体験こそ宝です。
とはいえいくら宝を得ることができると言えども、できれば苦しみは味わいたくないものですが、たまには必要なのかもしれませんね。