ありのままの自分で生きるとは何も変わらなくていいということではない
ありのままの自分で生きるというのはとても大切なことなので、もう一つ記事を書こうと思います。
以前にも書いた記憶があるのですが、ありのままの自分で生きるというのは、今のままの自分でよいということではありません。
「ありのまま=今のまま」
であれば、まったく変わらなくてもよいということになります。
そうではありません。
変化しなければなりません。
私たちは変わらないといけません。
なぜなら、今の自分は、ありのままの自分から遠ざかっているからです。
多くの人が仮面を被っている
もちろん、今の自分が自然体の人もいらっしゃいます。
そういう人は「今のまま=ありのまま」なので、変わる必要はありません。
しかし、多くの人はありのままの自分ではない状態で生活しています。
簡単に言えば、仮面を被って生きています。
たとえば、本音があっても、本音を隠す場合、ありのままではありませんよね。
本当はやりたいことがあるのに、我慢している場合、ありのままではありませんね。
本当は我慢したくないのに、我慢してやっている場合、ありのままではありません。
本当はリラックスしたいのに、緊張している場合、ありのままではありません。
本当はもっと自由に生きたいのに、枠にハマっていると感じている場合、ありのままではありません。
ありのままから外れるほど苦しい
大抵、私たちは本来の自分とは別の自分になっています。
その乖離が大きいほど、ありのままの自分から遠ざかっていることになり、そのことでのストレスが大きくなります。
時代の流れ的にも、「ありのままの自分への回帰」が進められていますから、仮面を被っている人ほど苦しくなるでしょうね。
どうしてありのままの自分から離れていったのか?
では、どうして、ありのままの自分ではなく、仮面を被っているかということですが、簡単に言えば、そのほうが都合がよいからです。
つまり、そのほうがよいことがあるということと、悪いことを回避できるということです。
ここで、「悪いことを回避できる」ということに注目してみます。
たとえば、仮面を被っていたら、嫌われなくて済むとか、ダメな人だとバレなくて済むとか、いろいろあると思います。
結局、これは、自分が恐れていることを避けています。
つまり、恐れがなくなれば、もっとありのままでいることができるのです。
だから、恐れがなくなることが重要です。
恐れをなくしていくためにはどうすればよいか?
では、どうやって恐れをなくしていけばよいのでしょうか?
ハッキリ言えば、恐れに向き合うことしかありません。
恐れに向き合ってきちんと感じれば、恐れは消え去ります。
恐れにきちんと向き合えば、決して恐れるものではないということが分かります。
しかし、恐れに向き合うのが恐いのです。
だから、いつまで経っても、恐れがそのまま残っています。
そして、恐れが肥大化して、どんどん幻想の恐れが強くなり、余計恐くなります。
お化けを避けていると、妄想のお化けがどんどん大きくなっていくようなものです。
恐れは幻想である
恐れに向き合うのは勇気が必要ですが、恐れは幻想だということを覚えておいてほしいんですね。
実際に、火の中に手を突っ込めと言っているわけではありません。
イメージの恐れを膨らませたものを恐れているに過ぎません。
たとえば、嫌われることを恐れているとしましょう。
イメージでは、村八分のような嫌われ方かもしれませんが、実際にはそんな嫌われ方にはなりません。
実際に恐れているような苦しみは起こらない
そして、仮に誰かから嫌われたとして、それが何だと言うのでしょう?
実際に嫌われても、全然大したことはありません。
自分がそこにとらわれているから苦しいのであって、そこにとらわれないのであれば、嫌われたとしても何の問題もありません。
もちろん、何か嫌がらせを受けるとしたら、悪影響はありますが、ただ、嫌われるだけなら実質的な変化は何もないはずです。
仮に嫌がらせを受けたとしても、毅然に対応すれば終わる話です。
ありのままで生きるには、恐れに向き合うことは避けて通れない
ありのままで生きるには、恐れを手放すことが必要です。
それには、勇気を持って、恐れに向き合うしかありません。
そこを避けていれば、いつまで経っても変化は起きません。
厳しい言葉かもしれませんが、早く変化して、ありのままの自分で自由に生きるには、そこは避けては通れないと思います。
恐れに向き合えば、恐れは手放せます。
私自身がそうでしたので、自信をもって断言できます。
恐れもまた、自分のために必要な宝物だったと感謝できる日が来るでしょう。