同じ我慢をしても苦しい人と苦しくない人がいる
同じ我慢をしていても、苦しい人と苦しくない人がいます。
Aさんは「労働とは苦しいもので、苦しさを乗り越えることが価値がある」と考えています。
Bさんは「嫌なことを我慢してやる必要がない」と考えています。
このとき、同じ労働をしてもAさんとBさんのストレスは大きく異なります。
Aさんは苦しさを抑圧するので苦しくありません。
Bさんは苦しみが抑圧できず浮上するので苦しいです。
抑圧的価値観を持つ人のほうが我慢できる
抑圧的な価値観を持つほうが、苦しいことをするのは楽に感じます。
また、会社の立場としては、従業員に抑圧的な価値観を持たせるほうが、不満なく長時間働いてくれるので好都合です。
短期的にはAさんのほうが断然楽です。会社にも評価されます。
過去の時代は抑圧的な人のほうが報われた
かつてはAさんのほうが得でした。がんばって苦労したことがある程度報われました。
ところが今の時代は「自立」が必要な時代なのでAさんのような生き方ができなくなっています。
新しい時代は抑圧が難しくなっている
時代が変わると、求められる価値観が変わります。
たとえば「我慢が美徳」とされる価値観から「無駄な我慢はしなくていい」という価値観に変わります。
新しく生まれてくる人たちの価値観が変わってきています。
若者はBさんタイプの価値観を持つ人が多くなっています。
そのため昔のように大企業で高給でステータスがよいからといって滅私奉公させることができません。若者は平気で辞めていきます。
今の時代は苦しみが表面化しやすい
別の視点から見れば、Bさんタイプの新時代人類は今の時代がとにかく生きづらいはずです。
抑圧的な社会が苦しくてたまらないはずです。
社会に対する不条理を強く感じているはずです。
時代の圧力が抑圧を浮上させている
また、時代の圧力が抑圧を浮上させるようなエネルギーとして働いているのをヒシヒシと感じます。
かつては全然平気だったことが、今はなぜかしんどいと感じる人も多いのではないでしょうか。
過去は我慢できたことが今は我慢したくないと思っている・・・そういう経験があるのではないでしょうか。
抑圧を解放する必要がある
新時代に移行するには抑圧したものを浮上させて解放していく必要があります。
たとえば、今は隠蔽や嘘が暴かれやすい時代です。
インターネットの発達もあって、隠蔽がバレやすいです。
抑圧ができない時代になっているとも言えます。
そのため、抑圧してきた人はこの機会にしっかり抑圧を解放していく必要があります。
そのプロセスは結構しんどいです。
抑圧が浮上しているときは苦しい
抑圧を解放したらスッキリして、新しい価値観で楽に生きることができますが、抑圧しているものが浮上しているときはとにかくしんどいです。
苦しみに抵抗すると苦しみが長引く
これを抵抗することなく解放できればこの苦しみを最小化できます。
また、苦しみを気づきや学びに変えることができます。
抵抗すればこの苦しみがもっと大きくなり、長引くことになります。
私としてはここがまずいと感じており、正しい知識があれば、苦しみを短期で終わらせることができるので、多くの人に伝えたいと思っています。
感情の感じ方の大事なポイントを動画で伝えています。
参考になると思いますのでぜひご覧ください。
時代が変わるので、価値観を変えるときの苦しみは避けられません。
抑圧の浮上が起こること(苦しみが生じること)はあきらめて、淡々と解放することが得策だと感じています。
新時代に適応するには過去の価値観を手放す必要がある
Aさんは「労働とは苦しいもので、苦しさを乗り越えることが価値がある」と考えています。
Aさんの場合、かつてよりも苦しみが大きくなり、我慢することが増えていきます。
このとき「我慢が美徳」という旧来の価値観を手放さず、むしろ強固にすると余計我慢が増えます。
時代の圧力で我慢が必要なことが身の回りに起こりやすくなる→我慢する→ストレスを感じる→さらに我慢する→限界まで達するとうつなどの心身の病気に至る
苦しいときは価値観を見直すタイミング
しんどいときは価値観を見直す必要があります。
その上で働き方を変えて、できるだけストレスが少ない状態に変えていく工夫が必要です。この工夫が新しい時代への適応に結びつきます。
自分を苦しめない方向への努力をするだけなので、悪い努力ではありません。
我慢への努力は思考停止の努力です。
白黒思考に気をつける
Bさんのようにそもそも行き過ぎた我慢は不要だと考えている人たちもいます。
思考停止の人は、白黒思考になって「我慢する」or「我慢しない」という二極になります。
我慢をし過ぎるのも我慢をまったくしないのも不健全です。
いろいろなところで「好きなことをしよう」と叫ばれていますが、「好きなことしかしない」ではないので注意してください。
「好きなことをする割合をもっと増やしていく」というように受け取ってください。
必要以上に我慢を強いられた時代から変わっていくために、我慢の割合を適切化していくという感じです。
我慢が嫌なのではなく不合理(理不尽)な我慢が嫌なだけ
Bさんタイプの人は我慢そのものが嫌なのではありません。
不合理な我慢、理不尽なことへの我慢が嫌なのです。
不条理な社会
これまでの社会は不合理な我慢をさせることばかりでした。
個性を殺す教育
教育からそうですよね。
どうして、人は個性がこんなに違うのに画一的な教育をするのでしょう。
個性を発揮せずに、学校が決めた価値観にうまく順応している人が優秀とされます。評価されます。
まるで従順なロボット養成機関のようです。
そこで評価されないとしても自尊心を低める必要はありません。
でもまだ学校はマシだと思います。まだ自由が残されています。
奴隷のような労働
学校よりも不自由なのが会社です。
なんであんなに会社はつまらないんでしょうか?
なんで会社や組織で働くことはあんなにしんどいのでしょうか?
自由がほとんどありません。
長時間労働が当たり前です。サボることは許されません。
入社しても仕事も選べません。
お金で雇われているだけなのに、上役はまるで自分のほうが価値があるかのような振る舞いをしてきます。
人間はそもそも対等であるのに、どうしてあんなに不対等なピラミッド組織ばかりなんでしょうか。
なぜ長時間労働しないと生きていけないのか?
私はこの疑問がどうにも解決できないのですが、どうしてここまで科学や技術が発達しているにもかかわらず、1日8時間以上も働かないと生きていけないのでしょうか?
意図的にそうしているとしか思えません。
アルバイトの時給が1,000円だとします。フルタイムの年間労働時間を2,000時間とします。すると年収200万円です。
アルバイトではフルタイムで働いてもまともな生活ができない仕組みがおかしいです。
いくら経済が発展しても労働時間が変わらないままでは豊かになったとは言えないのではないでしょうか。
そうなれば豊かになったと実感できますが、科学技術が発展して豊かになるどころか、余計苦しくなっています。
明らかに「おかしい」です。
多くの会社が成長を目指します。効率性を高めようとします。
結果、「仕事が楽になりました」「働く時間が減りました」「給料がグッと上がりました」という声はほとんど聞きません。
むしろ「昔よりも仕事量が増えた」という声が多いように思えます。
何のために成長を目指しているのでしょうか。
働く人のモチベーションが下がるのも当然です。我慢してがんばっても報われないのですから。
搾取されている人は自尊心まで砕かれる
そして、搾取されている人たちはそれだけ苦しんでいるのに、敬われているどころか、むしろバカにされて自尊心を砕かれます。
まるで価値がないような扱いを受けます。
世の中がそういう人をたくさん必要とする仕組みを作りながら、劣等感を植えつけられている・・・そんな世の中です。
体制の中で有利な立場を目指す
かつての私もそうでしたが、多くの人はこの世の中の仕組みが不条理だと分かっていながらも、その中で有利な立場に行くように努力します。
体制を簡単に変えられないことが分かっているからです。それなら今の体制を利用して、自分をできるだけ有利な立場に置く方が賢いという考え方です。
はじめは今の体制で上に立って理不尽なことを変えていこうと志を持つかもしれませんが、上に上がるには体制に適応しなければなりません。
そこまで適応できる人が体制を変えようとするでしょうか。
体制を強く変えたい人は、体制に不適応な人たちです。
今の体制で不利益を被っている人は、声を上げて体制と対立します。そういう声を拾って活動している政治家もいますね。
批判・対立は解決にならない
ところが、以前の記事で書いたように対立・批判は解決にはなりません。正義感が強い人はどうにかしたいと思います。
最近あった吉本興業の出来事はよい事例です。
加藤浩次さんは吉本興業の会長・社長と対立しましたがうまくいきませんでした。加藤さんが使った方法は「会長・社長が辞めないなら自分が辞める」という脅しです。これは吉本興業の社長が使った方法で、同じやり方で戦っています。
価値観が違うだけで、同じことです。
対話での解決も平行線のままで終わる
仮に脅しという手法を使わず、対話、説得という方法を使ったとしても、価値観の違いって説得は相当困難です。違う宗教同士がお互いを説得するようなものです。平行線で終わるだけでしょう。
存在を許して、自立すること
多くの人が、批判、対話、対立といった方法しか知りません。
あるいは無視か我慢か逃避か抑圧です。
仮に逃げても、精神的に(心の内面で)とらわれている限り、何らかの影響を受けてしまいます。
批判、対立、逃避といった解決ではなく、第三の解決法は影響を受けなくする方法です。
簡単に言えば、違いを受け止め、共存することです。
そのためには、理不尽なもの、嫌いなものに対する「理解」「許し」が必要です。
「許す=我慢する」ではない
「許す=我慢する」と受け取る人もいるかもしれませんが、まったく違います。我慢するとか、嫌だけど従うというのは「許す」ではありません。
許しというのは我慢ではありません。
事実をただ認め、存在やあり方を許すことです。
その上で、自分の価値観で自己選択していきます。
我慢をしなくて済むように相手を許すのです。
「許す=何もしない」ではない
許すというのは何もしないということではありません。
ここも誤解されがちです。
社会の理不尽さに対して、何もせずに無視することではありません。
許した上で、自分ができることをやります。
もし、許していない状態では、自分ができることというのが、対立的なエネルギーから生じたものになります。それは同じレベルの解決法なのです。
真の解決は一段レベルの高い解決です。問題解決は一段上の解決を図らないと表面的な解決で終わってしまいます。
ここに至るには対立的なエネルギーから抜け出す必要があります。
その上で、自分がやりたいと思うことをやります。
執着している限りエネルギーの影響を受ける
今の社会体制で不利益を被っている人であれば、理不尽な社会が許せないと思います。
この恨みのエネルギーを持っている限り、そこに引っ張られると言ってもいいでしょう。
不利益を被っている人ほど、本当は許しが必要です。恨みを手放す必要があります。
そうすればエネルギー的に関わらないで済みます。
冷静に気づいて誤解を解く
社会体制で不利益を被っている人は、自尊心を砕かれている人も多いです。
今の社会の価値観で劣っているため、自分の存在があたかも価値がないように思わされています。
そこに冷静に気づいて、「単に社会によって自尊心を砕かれていただけだったのだ」と理解し、自尊心を回復させましょう。
許すには感情をほぐすことが必要
私たち人間は感情を持つ生き物です。
理屈では分かっても感情がついていきません。
しっかり、感情と向き合う必要があります。
たくさん感情と向き合って、葛藤を感じて、その後、冷静に受け止めることができるようになります。
このプロセスはしんどいかもしれませんが、このプロセスが古い価値観を変えるものになります。
変化するには必要なものなので、あきらめて取り組みましょう。
自分の価値を決めるのは自分しかない!
自分の価値を決めるのを他人や社会に委ねさせない!という当たり前のことを思い出しましょう。
自分の価値を決めるのは自分です。
誰がどう言おうが、社会がどう評価しようが関係ありません。
自分を大切にして幸せにするのは自分の義務
そして、あなたは無条件であなたの味方であるべきです。
あなたは唯一あなたなのですから。
他の人の意識に入ることはできませんし、意識が別人に変わることもありません。
あなたの意識はいつもあなたとともにあります。
その絶対無二の存在である自分を大切にし、幸せにさせるのは自分にとって最優先事項だと思っています。
当たり前のことを取り戻す
何らかの価値によって自尊心を砕かれている場合ではありません。
一刻も早く取り戻してください。
いつまでも不満や恨みを抱えて、執着しているから、いつまでも自立ができないのです。
自分で自分の評価や考え方や価値観や生き方を決めるという「当たり前のこと」ができないのです。
自分の価値観を大切にできる人は他者の価値観も大切にできる
自分の価値観を大切にする人は、他者の価値観を大切にします。
共存が前提です。
自分のハートも他者のハートも尊重します。
自分の価値観で心地よく生きられる居場所を自分で作ることです。
まったく異なる価値観の人と一緒に暮らしなさいと言っているわけではなく、そういう人も認めた上で、自分は自分で心地よくするための工夫や努力をしていきます。
ぜひ、執着を手放して、自分の価値観を大切にし、自分を幸せにするためのがんばりをしてくださいね。