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あきらめたほうがいいこと、あきらめないほうがいいこと

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昔のアメブロで「あきらめることとあきらめないこと」という記事を書きました。ちょうど1年ほど前ですね。

「あきらめることとあきらめないこと」について書きたいと思って、「そういえば前にも書いたことあったっけ」と見返してみると、このタイトルで記事を書いていました。
昔書いたことは覚えていないので内容の重複もあるかもしれません(-_-;)

同じタイトルで書くのも芸がないので、ちょっと変えてみました。
あきらめた「ほうがいいこと」、あきらめない「ほうがいいこと」です。
「~したほうがいい」というのはボクの価値観で判断しているだけなので、皆さんが受け取るかどうかはハートや直感に従ってくださいね。この記事に書いてあるように。

ボクは夢や目標が「自己価値を守るため」というのが根底にあるのなら、あきらめたほうがいいと思っています。
大きなお世話ですが、「さっさとあきらめて、心や身体が求めることをしたほうが心地いいですよ」って思います。

そして、「心や身体が求めることであれば~ハートの欲求であれば~困難があったとしてもあきらめないほうがいいですよ。きっとうまくいきますから」って思います。

自己価値を守るための目標について詳しく書いていくと何十ページにもなってしまいますので、簡単に箇条書きで。
●恐れや不安がベースにあるもの
●地位や名誉や権力や尊敬を求めるもの
●復讐が動機になってやっているもの
●自分のプライドを守るためのもの
●バカにされたくないからやるもの
●他人が勧めるからやるもの
●世間の価値観でお得だからやるもの
●それを(達成)するとモテるからやるもの
●しないと怒られるからやるもの
●お金だけのためにやるもの
●楽することが目的でやるもの
●誰かに認められるためにやるもの
●誰かを見返すためにやるもの
●自分の正しさを証明するためにやるもの
●しないと申し訳ないからやるもの
●誰かを救わなければならないと思ってやるもの
●しないと罰が下るからやるもの
●自分を罰するためにやるもの

こんな目標はあきらめたほうがいいです。
実はがんばり屋さんや根性がある人ほど、がんばる度合いが強いので余計苦しくなります。
09cb19c83cf63852e2004bbb8acd3fbe_s心理学用語で「補償行為」というのがあります。
価値を「補」う、罪を「償」う、「行為」だから「補償行為」です。
自己価値を守るための上記のような補償行為は労多くて益少ない行為で、どんなにがんばっても報われないのです。満足感が感じられません。行為自体が目的ではなく、補う、償うことが目的だからです。

さらに悪いことを言うと、実際には価値を補うことも罪を償うこともできません。
補償行為の本質は、根底にある無価値感や罪悪感を「見たくないから」「直面するのが恐ろし過ぎるから」やる行為で、本当の意味で価値を補ったり、罪を償ったりしているわけではないので、どこまでがんばろうが、残念ながら無価値感も罪悪感も克服できないのです。
だから、がんばるほど、絶望は強くなります。

早くあきらめたほうがいいのですが、全力で生きて早く絶望することも生き方を変える方法の一つなので、あきらめないほうが早く自分本来の生き方ができるケースもあります。ですが、それは万人向けの方法ではないと思います。すごく苦しい生き方なのでオススメしません。
少なくともボクのブログや本「願いをかなえなくとも幸せになれる」を読めば、補償行為の無意味さを知識的には理解できると思うので、早めにあきらめて、自分自身を大切にし、自分の心や身体の声に従う生き方をオススメします。

補償行為をいくらやっても報われない根本的な理由は、無価値感も罪悪感も本当は誤解だからです。勘違いなんですよ。本当は。
私は価値がない、魅力がない、愛されない、悪い人間だ、罪を犯した…これらは本当はウソなんです。でも、本当だと信じちゃっているんです。
でも、これは頭でいくら分かっても変わりません。そういう意味では本をいくら読んで知識をつけても何も変わりません。過去に誤解した原因となっている記憶を癒すのが一番早いと思います。
「私は価値がない」「私は悪い人間だ」…これらには強いネガティブな感情がくっついています。だからその思い込みをリアルに信じているのです。どんなに頭で違うと思っても離れないのはそのせいです。ネガティブな感情を解放できれば自然にその思い込みのリアルさは取れます。だからEFTやマトリックスは効果が高いのです。
無意識の深いネガティブな思い込みのリアルさを解くのが、ボクがやっているカウンセリングです。
そして、その誤解が解けたとき、もう人の目なんてほとんど気にならなくなります。だって、自分で自分の価値を十分に認めているから、他人の評価や自分が置かれている条件や環境がどうだろうか関係なくなります。
そのとき、本当の意味で自分がやりたいことが見つかり、スムーズにやれるようになれますよ。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

POSTED COMMENT

  1. たか より:

    とても良い記事だなと思ったんですが、

    「罪を犯した…これらは本当はウソなんです。」というのがわかりませんでした。

    実際に罪を犯した場合もウソ?なんですか?

    • たか様、読んでくださってありがとうございます。

      確かに「罪を犯した」を嘘とすると誤解を招きそうですね。

      これは、たとえば「万引きをしました」→万引きの事実が嘘という意味で書いたのではありません。

      「罪を犯した」ではなく「罪悪感」と訂正したほうがよいですね。

      罪悪感を持っている行為の多くが実態以上に罪だと思っているケースが多いため、ここで言及したのだと思います。
      (5年前に書いたので忘れてしまっており、言及した意図は想像で答えています)

      深いレベルで見てみると罪そのものはただの法律上の決まりごとであり「都合」で決まっているものです。
      それ自体が本当に悪かどうかは言えません。

      罪悪感を強く感じる必要があるかどうかというと、そこまで感じる必要のないケースも多いと感じています。

      ご参考になれば。

      よっし~(西川佳宏)

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