善と悪の統合について2(私の経験から)

善と悪の統合について、私の経験から書いていきます。
皆さんの理解の参考になれば幸いです。

善悪の価値観が強かった前半生

私は善悪の価値観、つまり「こうあるべき」というものをかなり多く持っていました。

善悪の価値観とは

善悪の価値観とは、何かを善とみなし、その反対を悪とみなし、善を目指そうとするものです。分離のあり方と言えます。

私は完璧主義が強く、正義感も強く、さらに自己価値も低く、より善を求めていました。

無意識で親の期待に沿おうとした

親の期待に添いたい(親から認められたい、愛されたい)という思いも強く(無意識レベルでしたが)、親が認めるようなものを自分が望むものに変換し、それを目指していました。

私の両親は、私にこうなりなさいと押しつけることはほとんど無かったと思います。ですが、私は親がこう期待しているだろうなということを読み取って、その期待に添おうとしていました。
ただ、無意識レベルだったので、自分が親の期待に添おうとしているとは当時は感じていませんでした。

分かりやすいのは、学歴や安定です。
世間の価値観と親の価値観とマッチするものでしたから、それを目指していました。

途中、受験勉強に無意味感を感じてまったく手につかなくなり、結果的には目指していても満たされなかったですが。

それ以外にも「がんばらなければいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」などたくさんの「こうあるべき」を抱えていました。

甘えや欠乏感から善を目指していた

私はたくさんの善を目指しました。

学歴が破れた後でも、アメリカの大学院をめざそうとしたり、経営コンサルタントになろうとしたり、大企業に入ること、証券アナリストやファンドマネージャーになろうとしました。

それぞれやりたいこと、興味があること、自分に向いていると思われるものではありましたが、大手とか高収入とか、地位が高いとか、そういうものの中から選んでいました。

大前提として、認められたい、上に立ちたいというものがありました。

自分を分かってほしいという「甘え」「欠乏感」が前提にありました。

幸か不幸か、いずれもうまくいきませんでした。
はじめはうまくいっても、最後はうまくいかなくなるのです。

自分の内側に向き合って自分を癒す

紆余曲折あって、自分の内側に向き合うことになりました。

相当がんばりました。

徹底的に知識を増やし、ワークに取り組みました。

自分の中の悪(ダメだと思っているもの、専門用語で「抑圧」)を見つけ、それを癒やすことをやりました。

感情解放やセラピーを使って悪をなくすことに取り組みました。

今思うと、悪を浄化しようとしていました。悪を自分の中から排除しようとしていました。

ネガティブな感情とか身体の病気など、私たちはそれらを即排除しようとします

癒しても変化しない

はじめはうまくいって手応えを感じましたが、やはりうまくいかなくなりました。結果として変化していないのです。

もちろん小さな部分では変化していましたが、満足いくものではなく、さらにがんばり続けました。

大きな気づきが起きる

あるとき気づいたのです。

「あれ、オレが今やっていることは善がすり替わっただけなんじゃないか?」

私は、善をすり替え、がんばったら報われるという価値観に従って、取り組んでいたのです。

今までの善は、性格のよい人、高学歴の人、大企業に勤めている人、高収入の人、モテる人、好きな仕事をしている人でしたが、今度は、優れた心理カウンセラー、癒やされた人、悟りを開くことなどを善として、それを求めていました。

善悪を緩めようと、必死に善を目指しているなんて大きな皮肉です。

根本的な善悪が緩むはずがありません。

「善を目指してがんばれば報われる」という価値観自体に踊らされていたことに気づき、私の身体は緩みました。

このときに大きなシフトが起こったことを覚えています。

悪そのものを観察する

善を目指すことを止めて、悪そのものをもっと観察することにしました。
「がんばらなければいけない」という価値観の悪の側は、「がんばらないこと」「怠惰」「怠ける」「サボる」です。

それらが本当にダメなことかを理解しようとしました。

それらは決してダメではないことを理解しました。

たとえば、「怠ける」「サボる」ですが、この言葉は悪い意味を持っています。
悪い意味を横に置いてみると、単に活動をしていないということに過ぎません。

がんばり続けていると、当然疲れます。疲れていてもがんばり続けているとどこかで心と体が悲鳴を上げます。
また、「がんばらないといけない」と思っていると休みも何かリラックスできません。休みも充実させて意味があるものにしないといけないというプレッシャーがかかります。

休むことは素晴らしいことです。がんばることと同様に素晴らしく、がんばることと休むことの両方があって、充実したものになります。
がんばってばかりでは苦しいですし、休んでばかりだとつまらなくなります。

善悪は両方が必要であるという理解

善と悪は両方がセットで、両方必要であることを理解します。

善と悪は両方が必要で、両方存在してもよいという理解があると、悪をより許すことができるようになり、心と体はもっと緩みます。

但し、ここでも見逃しているポイントがあることを後に理解します。

更なる善のための必要悪として悪を受け入れていたことに気づく

がんばること、休むことは、さらに善を求めるために必要なことだと思っているのです。

さらなる善とは「成果」や「幸せ」です。

がんばることと休むことを両方許すことは、成果を上げるために必要だという理解です。

「成果を上げることが善」という価値観に基づいています。

成果を上げないことは本当にダメなことか

今度は「成果を上げないこと」という悪が本当にダメなのかを見ていきます。

今の資本主義の元では成果を社会的に求められているだけで、AIの発展でAIが人間以上の成果を上げられるようになるのは目の前に来ています。そうなると、そもそも成果を上げることの価値は激減します。

成果を上げることがよいという価値観は今の社会でのみ通用するものです。

また、成果を求めないとき、私たちは楽しみで行動できるでしょう。遊びや好きなことを好きなようにできます。そうすると、結果的に自分のパフォーマンスは高くなり、成果も自然に出るでしょう。

不幸や苦しみ、傷つくことは本当にダメなのか

幸せを善とする場合、悪は不幸になります。不幸は苦しみと言い換えても良いでしょう。苦しみや傷つくことが本当にダメなのかを見ていきます。

苦しみや傷があるから、私たちは成長します。
苦しみは自分の本来の生き方からズレているというメッセージであり、苦しみがあるから、ズレの原因を探そうとします。
自分の本来の生き方からズレてしまったとき、修正するシグナルがなければ、ズレっぱなしです。
修正シグナルは必要なものです。

傷も同じです。傷は自己愛を上げるために必要なことで、傷を負い、傷に向き合う過程で、いろんな気づきがあり、愛に気づきます。

傷つくことは権利であるという理解

傷は大切な権利であり、誰かの傷を勝手に癒やすことは相手の権利を奪う行為です。

そういう意味で、故意でなく相手を傷つけてしまったとき、そこに罪悪感を感じる必要はありません。罪悪感によって萎縮し、自分のハートを引っ込めてしまうほうが自分に対する罪です。

悪の誤解を解くことで、どんどん「こうあるべき」が緩くなり、自分の器が広がっていきます。より自分らしく、ハートで生きられるようになってきます。

もっと大きな善悪があった

しかし、まだしっくりこないものが残っていました。

善も悪も必要であるという理解はありますが、より大きな善のために必要という枠組みは変わらないからです。

「本来の自分の生き方で生きる」とか「ハートで生きる」とか「自己愛を高める」とか「自分の本質に気づき戻る」とか「魂の成長」などという善です。

心の傷や苦しみは自己愛につながります。より本来の自分の生き方で生きられることにつながります。

傷や苦しみそのものに向き合わずに見ないフリをしていたら自己愛になりませんが。

これは、悪は善のための必要悪という考え方です。

傷は悪いものであるけれど、自己愛という善のためには必要なんだという考え方です。

結局、これも大きな善悪の枠組みから離れていないのです。

無意味感と無力感でどん底まで落ちた

私は「ハートで生きる」ということを自分で志し、またそれをサポートする活動をしていますが、そもそも「ハートで生きる」こと自体を善として捉えているだけで、そこに善も悪もないならば、何の意味もないかもしれないと思いました。

このとき、ものすごく混乱し、極度の無意味感と無力感に陥り、この仕事を辞めようかと思いました。
人は意味を持たないと動けないものです。ハートで生きることに意味がなければ、それをサポートしたいという気にはなれません。

善悪そのものの許しという理解

もっと大きな視点で見れば、善悪の枠組みがあること自体の許しが必要でした。

善悪を持たないことを善としていたのです。

善悪の枠組みがあること、つまり、分離自体を許すことが必要でした。

ここで前回の記事とつながってきます。

善と悪の統合について1(二つの段階)

2018.07.30

分離(善悪)そのものが愛

分離は統合のための必要悪ではありません。

より深い統合のために分離があるわけではありません。

分離そのものが愛なのです。分離そのものが素晴らしいのです。

悪は、善の必要悪ではなく、それそのものが愛であったのです。
善のために悪があるわけではなく、悪のために善があるわけでもなく、それそのものが単独でかけがえのない素晴らしいものなのです。

分離を否定した統合は、まさに分離のあり方です。

統合、分離の両方に愛を見出したとき、その境はなくなります。

このとき善と悪は統合され、一つのものになるのです。

私は「ハートで生きる」という分離を許すことができ、それをより情熱を持ってできるようになりました。

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同時にハートで生きないことも素晴らしいことです。それが必要で最善である人もたくさんいます。ハートに従わない楽しさもあります。

使命や目的ではなくただやりたいからやる

誰かに役立つため、社会貢献のため、人々を救うため、地球を救うため、崇高な目的のため、使命のためにやるのではなく、ただ、自分がそうしたいからやる。それでいいと思えるようになったのは私にとってとても大きな学びでした。

ハートで生きるという情熱と、それを使命という堅苦しさで捉えず、遊びとして捉えるとき、より自由でリラックスして自分らしく動けるのを感じています。

このような段階で私は善悪を統合していったわけですが、一人ひとりの歩み方は全く別物なので私のようなプロセスを歩まないかもしれませんが、何らかの参考になれば幸いです。

この先もまだまだ善悪の枠組みはありますから、統合のプロセスを楽しんでいきたいと思っています。


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ABOUTこの記事をかいた人

よっし~(西川佳宏)

心理カウンセラー/セラピスト(東京・新宿)。「心地よく、自分らしく、生きる」ためのサポートを提供。得意分野は人間関係の悩み、対人恐怖の悩み、感情・自己否定・マイナス思考の悩み、不安・恐怖の悩み。柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら