苦しみを生んでいるのは誤解が原因だった
実は苦しみを生んでいるのはある誤解が原因です。
今回のブログはその「誤解」についてのお話です。
理解しやすいように少し極端な世界を想定します。
人間には、AとBという性質(性格、資質)しかないという世界です。
このAという性質とBという性質は反対の性質です。
2つの性質
Bの性質は優しいエネルギーで用心深く、女性的で繊細な性質です。
たけし君はAを「勇気」と名づけ、Bを「臆病」と名づけました。
たけし君はAという性質をポジティブに評価しました。
Aの性質の方が生きる上で役立つケースが多かったからです。
- 幼稚園のときは元気がよいことが評価されました。
- 小学校のときは勉強や運動をがんばることを評価されました。
- 中学・高校のときはエネルギッシュであることを評価されました。
- 社会人になってからは仕事を熱心にがんばることを評価されました。
また、たけし君はBという性質をネガティブに評価しました。
- 幼稚園のときに恥ずかしがって皆と打ち解けられないことを親から注意されました。
- 小学校のときに犬を怖がっていたら友達からバカにされました。
- 中学・高校のときにおとなしいことでいじめに遭いました。
- 社会人のときに顧客に振り回されて気苦労がありました。
これらの経験からたけし君は2つの誤解が生まれました。
2つの誤解
- Aはポジティブな性質である
- Bはネガティブな性質である
あるとき、たけし君の先輩がリスクの高いプロジェクトを成功させました。
先輩のエネルギッシュで、情熱的に取り組む姿勢を見て、非常に憧れました。
同時に、自分のふがいなさを情けなく感じました。
ポジティブ投影
また、従来の飛び込み営業や電話営業をしようとせず、対人関係を避けたやり方で営業しようとする部下を見て、イライラしました。
「君は人間関係を怖がっているように見える。もっと動いて人と関わらないとダメだ」と言いました。
投影
また、たけし君には好きな女性がいました。
その女性は男性らしい人がきっと好きに違いないと思い、いつも以上に男らしく振る舞いました。
とてもがんばって好かれようとしました。
デートに誘うことはできましたが、その次のアプローチができませんでした。
時間が経ち、その女性に彼氏ができたことを知りました。
たけし君は勇気を出せなかったことをとても後悔しました。
たけし君は内心、自分には勇気がないと思っていました。
臆病にならないようにふるまってきましたが、どこかで自分が臆病であることに気づいていて、それをずっと見せないようにしていました。
たけし君はさらに2つの誤解をしていました。
2つの誤解
- 私はAという性質が欠けている
- 私はBという性質が多い
つまり、4つの誤解をしていることになります。
4つの誤解
- ①Aはポジティブな性質であると信じている誤解
- ②Bはネガティブな性質であると信じている誤解
- ③私はAという性質が欠けていると信じている誤解
- ④私はBという性質が多いと信じている誤解
誤解から生まれた苦しみ
この4つの誤解があるために、出来事を苦しみが生まれる方向へ受け取ってしまう(解釈する)のです。
また、自己否定するだけではなく、自分の臆病さを否定しているので、周りにそれがバレないようにします。
本来の自分が出せなくなったり、違う自分をつくろって疲れたり、対人関係で緊張が生まれたり、本当はやりたくないのに勇気があることに挑戦したりします。
これらは誤解から生まれた苦しみです!
すべての要素は中立な性質に過ぎない
Aという性質がポジティブに思えるのはその人の解釈です。
確かに現代社会ではAという資質が重宝される場面は多いでしょう。
ですが、Aという資質だけではバランスを失います。
勇気は無鉄砲、頑固さ、過大リスク、傲慢さ、暴力に変わっていきます。
必ずBという性質も必要です。
受容、優しさ、柔らかさ、柔軟性、情、慈しみ、安らぎ、愛、慈悲、包容力、温かさ、繊細さ、気遣い、思いやり、親切、穏やかさ…
たくさんのポジティブな解釈もできます。
逆にBという性質のみでもバランスを失います。
甘やかし、臆病、過度な慎重、過度なデリケート、過度な神経質に変わっていきます。
本来、AもBも単なる中立な性質です。
それにポジティブ、ネガティブな解釈をしているのが私たちです。
なぜ解釈が起きるか
なぜそう解釈するかというと、ストーリーがくっついているからです。
Aにポジティブストーリーがくっついていると、ポジティブと解釈します。
Bにネガティブストーリーがくっついていると、ネガティブと解釈します。
生きているといろんな体験をするので誤解は必然ですが、どこかでその誤解を解かないと、誤解から生じる苦しみはずっと続くことになります。
誤解から生まれている苦しみなので、幻想に苦しんでいるというか、無駄な苦しみというか、本来必要のない苦しみなのです。
例えて言えば、蛇を見て恐怖を感じているのではなく、木の棒を蛇だと誤解して恐怖を感じているのと同じです。
カウンセリングは誤解を解くプロセス
私がカウンセリング・セラピーでやっていることは、この誤解を解くことに尽きます。
何か別の理想を達成することを目指しません。
自分のそのままを否定しているその誤解を解くだけです。
もし、Aという性質とBという性質が同じように価値を認められたらどうでしょう?
すなわち、Aのポジティブな側面、ネガティブな側面の両方を受け入れられ、同様にBのポジティブな側面、ネガティブな側面の両方を受け入れられたら、世界の見方はどうなるでしょうか?
投影(世界の解釈の仕方)はグンと緩くなります。
勇気がある人を見て、過剰に反応することなく讃えられ、それが自己否定に結びつきません。
臆病な人を見ても、否定的な感覚になりません。むしろ、かわいいなと思ったりもします。
当然、自己否定もグッとなくなります。
セルフラブ
この状態のとき、セルフラブが高まっている状態です。
セルフラブが高い人とは、ポジティブな側面ばかりの人のことではありません。
今の性質そのままをただ受容できている人のことです。
そもそもポジティブな側面ばかりというのが原理的に不可能です。ポジティブというのはある要素にポジティブなレッテルを張っているだけに過ぎないからです。その要素を別の面から見たらネガティブになります。そういう意味でポジティブしかないとかネガティブしかないというのはありえず、どちらかばかりが見えるとしたら、見方が偏っている、つまり、「誤解」が大きいということです。
今回の例では、AとBという対立する2つの要素だけで説明しましたが、実際には人間の性質はもっとたくさんあります。
なので、単純に1つの要素だけではなく、複数の要素が絡み合って、喜びや苦しみが生じています。
癒しのプロセスでは、一つひとつ誤解を解いていくことになるので、時間がかかります。
場合によってはひとつの誤解を解くだけでも多くの時間がかかることもあります。
腑に落としておきたい2つのこと
ただし、ある2つのことを分かっているだけで全ての要素に影響をあたえることがあります。
それは次の2つのことです。
- 私たちは全ての要素を持っている
- その要素自体は本来ニュートラル
私たちはすべての要素を持っている
私たちは多かれ少なかれ、すべての要素を持っています。
それは、皆平等にその要素を同じだけ持っているという意味ではありません。
人によってはAという性質が20しかない人もいれば、80ある人もいるでしょう。
また、性質は固定的なものではなく、増減するものです。流動的です。
ただしまったく無いということはありません。
もし、ないと思っているならば、そう「信じている」か、その要素が出ないように強く抑圧しているかです。
しばしばその両方です。
本来、皆すべての要素があるのが自然であるということが腑に落ちていれば、自分の中にネガティブな要素を見つけても、排除しようとする思いが弱まります。
すべての要素はニュートラル
また、その要素が本来ニュートラルであることを腑に落としていれば、ネガティブだと感じているのは自分の解釈に過ぎないことを分かっているので、必要以上にネガティブを恐れません。
そして、その要素の否定感が減れば、元々あったその要素をもっと上手に活用できるようになります。
繰り返しますが、ネガティブな要素というのは、ある中立な要素をネガティブに解釈しているということです。それは、経験や知識から来た解釈に過ぎません。
つまり、ポジティブ、ネガティブというのは単なる幻想・思い込みに過ぎないということです。
ポジティブな幻想のほうが幸せでいられます。
ですが、所詮幻想です。
なので、いずれにせよあまり固執しないことです。
4つの誤解が解けたとき、ありのままの自分が現れます。
そのときにまだ、もう一つの根源的な誤解が眠っているのですが、それはまた別の機会でお話ししましょう。