前回の記事「ハート中心で生きるということ」で書いたように、今はハート中心で生きることの心地よさを体感しています。
でも、これは今だから心地よいのであって、昔だったら同じハート中心であったとしても心地よくなかったんだろうなと思います。
必ずしもハート中心=ハッピーなわけではありません。
生きていくうえでの心地よさを決めているのは、自分にどれだけバッシングなしでいられるかだと思います。
これがセルフラブの高さです。
自己嫌悪、自己否定、自分への励まし、叱咤激励の思考が多いほど、苦しくなります。
「セルフラブ=自己愛=ありのままの自分をどれだけ受け入れているか」
ですから、セルフラブが高いほど、自分へのバッシングが少なくなります。
セルフラブが低いと、ハートの選択をしていても自己否定の思考がよぎります。
「本当にこの選択でよかったんだろうか」
「どうせうまくいかないに違いない」
「失敗したらどうしよう」
「負け犬になりたくない」
「才能ないし」
「お金が持たないかもしれない」…
とにかくたくさんのネガティブな思考がよぎるでしょう。
すると、いくらハートの選択をしていても楽しいわけではありません。
やっぱり苦しいんですね。
また、自分を縛るビリーフが強いほど、ハートの選択を妨げるので、余計に苦しくなります。
「正しくなければいけない」
「損をしてはいけない」
「間違ってはいけない」
「失敗すると嫌われる」
「できない人間は価値がない」…
たくさんのビリーフがハートの選択から逸らしてしまいます。
また、せっかくハートの選択を選んでも、自信がなくて途中変更してしまうかもしれません。
たとえば、「がんばらなければいけない」というビリーフが強くあるとします。
そして、今のハートの選択が、がんばらずに休むことだったとします。
すると、ハートの選択を選んだとき、がんばらない自分にバッシングが起こります。
ハートの選択をしているのに苦しいわけです。
そのため、往々にしてハートの選択から外れてしまいます。
やりたいことをやれば成功するわけでもありませんし、
やりたいことをやれば必ずしも楽しいわけではありません。
むしろ、その人のあり方の方が大事です。
ありのままの自分を受け入れている度合いが高く、それでいてハート中心で生きているとき、自分へのバッシングなく、ただハートに寄り添うことができます。
そのとき、本当に心地よくいられます。
なので、やっぱりセルフラブが大切だなぁとあらためて思いました。