こないだ芸能ニュースを見ていたら、某イケメン俳優が飲み会の席で「ブサイクは帰れ」と言ったという記事がありました。
まあ、芸能ニュースは嘘も多いと思いますから、ホントかどうか分かりませんし、そのときの文脈によって冗談にもなるケースがありますのでなんとも言えませんが、もし、素で言っていたのだとしたらとても残念です。
最近は某俳優がテレビで「ブス」と堂々と言っているのを見ます。キャラ作りやネタかもしれませんが、残念な人だなと思います。
自分の容姿と自己価値とのリンクが少なければ、ブスと言われようがあまり気にならないでしょうが、ほとんどの人にとって、ブスと言われると大きく傷つくでしょう。
コンプレックスがある人ほど心の傷になります。それは殴られるよりもつらい傷です。
社会生活を営んでいれば、それが分かるはずなのに、「ブスにブスと言って何が悪い」と開き直って言えるというのは相手を傷つけても平気ということです。
そういう思いやりのない人は、いくら魅力的な外見やステイタスがあっても、魅力をみじんも感じません。
ただ、ここで一つ大切なのは、心でもブスと思ってはいけないという制限についてです。
善人志向というか、道徳心、倫理観が強いというか、それは自分を苦しめる素です。思いを抑圧するのでかえってその思いにとらわれてしまいます(心の法則:思考は抑圧するほど強くなる)。
もし、ブスだと思ったらそれはそう思ってしまったのだから仕方ありません。思いが起こるのは、自分の責任とは言い切れません。私たちは思考をコントロールすることは不可能だからです。思考を観察しているとそれがよく分かります。勝手に現れているのです。
思考と行動が違うことを悪いと思っていると苦しみます。一致させることは不可能ですから。
思考と行動が違うのは当たり前ですし、そのことをダメだとジャッジすると思考に苦しめられます。
思考と行動が違うと苦しむケースもあります。
たとえば、人に何かを頼まれたとします。本当はやりたくありません。でも、やらないと嫌われるかもしれないので、「やる」と返事をするケースです。
ハートは「No」、でも返事(行動・言動)は「Yes」というパターンですね。
ハートよりも恐れで行動しているので苦しくなりますね。
でも、今回のケースでは、ブスと思うのはハートの思いでしょうか?
相手に「ブス」と言うことがハートの行動でしょうか?
違いますよね。
ハートに生きていれば、ちゃんと指針があるのです。なので、「べき」の嘘を見破れます。
もし、思考と行動を一致させないといけないならば、ブスだと思ったら、ブスと言うことが善になります。でも普通は言いません。すると自分が正直でないことを責めるか、自分の思考自体を責めます(たいていが後者でしょう)。こんな思考を持つ自分は変だ。ひどい。最低だ。ダメなやつだと。
ブスだと思うこととそれを相手に伝えることは全く違います。
思うことは何も問題ありません。思ってしまったんだからしょうがないんです。
それをジャッジせず客観的に思考を流してください!
思うことの自由を自分で許していれば、実際にはそんな思考もあまり出なくなります。
善人志向こそ、思いにとらわれる大きな原因です。
善人であろうとするその偽善性(エゴの作用)を見抜いてください!
ブスというのは一つの例であって、自分でダメだとジャッジしているものに置き換えて考えてみてください。
「怒ってはいけない」というビリーフを持つ人であれば、怒りの思考が湧いてくる自分をダメだとジャッジするでしょう。
ネガティブな思考を心の闇ととらえないでください。ポジティブな思考だけで生きるのは不可能です。そして、それは極めて不自然です。必ずネガティブな思考は起こるのです。ネガティブな思考を心の闇ととらえるとネガティブな思考を排除しようとします。それは思考の抑圧につながります。
皆が口で言えない(言わない)が、心ではそう思っていることを実際に口に出すことが素直で勇気があると勘違いすると、ブスと悪びれずに言えます。
某俳優は、ブスと堂々と言うことで、オレは人が言えないようなことを言える勇気のあるスゴいやつだと思っているのかもしれません。これもエゴを満たしているのです。
でも、それは人を傷つけてまでエゴを満たそうとする、幼稚で弱い行為です。どんなに外見が良くてもカッコ悪いですね。
そんなことでしか自己価値を見出せないほど自己価値(自己愛・セルフラブ)の低い人です。セルフラブが高く、ハートベースで生きていたら、相手が傷つくだろうと予想できることは言わないでしょう。
師と弟子のような関係で、あえて相手を傷つけて発奮させるというような例外はともかく、ハートベースの人には心地よい暖かさがあります。
今日のポイント
●思うのは何を思ってもいい(むしろコントロールできない)
●思いと行動(言動)は違っていい
●相手を傷つける行為をするのは、自己価値(自己愛・セルフラブ)が低い証拠