ボクが、セルフワーク講座やセッションを通じて皆さんに提供しているのは、セルフラブを上げることです。
セルフラブが高ければ、人生の歩みがぐっと楽になり、心地よいものになるからです。
問題を大きくしているのはセルフラブが低いことによるものだと感じています。
セルフラブについては、著書「恋愛・職場の人間関係が驚くほどうまくいく」をご参考ください。
恋愛・職場の人間関係の悩みの事例を挙げ、セルフラブに起因することを述べています。
セルフラブというのは、自己愛、自己価値、自己評価とも言えるでしょう。
私が一番しっくりくる定義は、「ありのままの自分を受け入れている度合い」です。
自分のポジティブなところは好き、ネガティブなところは嫌いという考え方では、セルフラブの高さはせいぜい半分です。
ポジティブ、ネガティブというのは表裏一体であり、単なる見方、解釈に過ぎず、皆、半々あると言えるでしょう。
自らを条件抜きに受け入れるとき、セルフラブは高くなります。
根拠がないものなので、失うものでもありません。
そして、セルフラブは他人の評価によるものではなく、自己評価によるものだということです。
ここが他人の評価と結びついていると勘違いしているので、大変なことになってしまうのです。
他人が評価するであろう項目を伸ばそうとし、自分の個性や資質、感性とは違うことをやろうとするので楽しめないんですね。
ここはボクが長年ずっとハマってきた落とし穴でした。
ボクをずっと苦しめていたのは結局ここでした。
世間の評価、親の評価、友人の評価、それらを巧みに自分の評価とごちゃ混ぜにして、自分の理想像を目指していたわけです。
そして、理想に届かないことは、自分への批判の声として、思考のバッシングがありました。
ここがなくなるとものすごく生きやすくなります。
「ハートの選択をする→終わり」の繰り返しです。
すべてが自己評価であることを知れば、自分の個性や資質、感性に合ったことをただやればいいことが分かります。
ただ、他者評価を一切無視するということではありません。それはまた不可能なことです。
他者と比べて「劣っている」ことは事実としてあると思います。
それを無視すると、抑圧になります。
そうではく、他者と比べて「劣っている」ことは認めても、だから自己価値は劣っているというふうに思わないことです。
「劣っているからダメ→だから優れるようにがんばろう」
ではなく、
「劣っていると知る→(劣っていようが自己価値は不変だと知っている)→優れるようにがんばろう」
であれば、苦しまないんですね。
同じ行動であっても。
自分の劣等性を受け入れると、もう努力しないように思えますがそうではありません。
劣等性=自己価値の低さ
という誤った認識を正すだけです。
そのあとで、がんばりたければがんばればいいんです。
それでがんばらなくなったとしたら、そもそもそれは自分が本当はやりたくなかったことなので、いずれにせよ好都合ですね。
無条件に自己評価ができれば、他者の批判についても寛容でいられます。
もちろん不愉快にはなりますが、自己価値を攻撃されてないことが分かると、つらさが全然違います。
このようにセルフラブを上げることは人生の質を上げるためにもとても大切なことです。
ただ、セルフラブ100%はありえないですし、揺れることもたくさんあることは付け加えておきます。