前回書いたブログ記事は、苦しいときに起こった洞察や気づきは宝だと書きました。
今度は一気にその価値観をひっくり返しますね(笑)
宝物を得たら、ボクたちはすごく大切にします。
人生の気づきですから。
でも、宝物を得た瞬間、新たな苦しみも得ているんです。実は。
この世は善悪二元論の世界だから、プラスとマイナスが必ずくっついています。
そして、それはコインの表と裏の関係。
一方だけあるというのはありえません。
宝物ですらそうです。
では、ボクが気づいたことの苦しみ、マイナス点、罠とはいったいなんだと思いますか?
それは、自分が得た気づきを絶対的な「善」「正しさ」だと勘違いしてしまうことです。
今までの「価値観」から抜け出したことは一つの進歩。
でも、別の「価値観」にとらわれていることに気づかない。
そして、その新たな「価値観」で物事をジャッジします。
たとえば、前の記事でボクが得た気づきの「苦しんでいるときには共感してもらえることが一番うれしい」という内容。
でも、これに固執しちゃうとまた別の弊害を生みます。ボクに肯定されて気持ちよくてそのまま相手を責め続けて終わりになってしまうかもしれません。
その人にとっては苦しくて、傷つけたとしてもボクがアドバイスをすることのほうが有効かもしれません。それによって悩み苦しみ、その先にある気づきが訪れ、もうそれにこだわらなくなったとしたら。
その方が早い気づきが訪れるかもしれないんです。
実は、今書いたことは、ここ何日かにあった実際の出来事から学んだことです。
ボクの経験や他の人の経験から学ぶことができました。
ボクが自画自賛したいのは(笑)、昔だったら気づけなかったことに気づけるようになったということです。
同じことが起こっていても、昔は何も気づけなかった。
ただ、相手が悪いとか、運が悪いとか、状況が悪いということで片づけていました。
いろんな出来事から気づきを得やすくなっていること、それがこれまで自分を癒してきたことの極めて大きな効果であると感じています。
まとめますね。
一つの価値観から抜け出して、新たな価値観に到達するとき、苦しみを救ってくれた価値観なのでそれに固執してしまいます。
でも、それがまた新たな苦しみを生み出します。
一つの価値観と相反する一つの価値観はどちらも正しく、どちらも間違っており、それは矛盾なくその人の中に存在し続けることができます。
そのときに、自分の枠が大きくなります。
ボクにとって一番成長を実感できるときです。
よっしーさん(*^_^*)
気付きは、発見であると同時に昔(過去性)から知っていた事を今再確認する事でもある。。。と気づきました(笑)
表も裏も、良い、悪いでなく自分が持っているものである。
それを認める。開き直りでなく、そのまんま素直に『そうなんですよ~』的に。
特にこれから私の場合、裏の部分をしっかり気づいていくと思います。
怖いけど、出来たら表だけでいいんだけど(笑)
でも、この裏を素直に認めた時には、心のcapacity広くなってるやん~ってね(^_^)v
アシュタンギーニさん
>気付きは、発見であると同時に昔(過去性)から知っていた事を今再確認する事でもある。。。と気づきました(笑)
これは深い気づきですね。なるほど。ボクには抜けていた視点でした。
確かにそうでしょうね。ボクたちの本質はすでにすべてを知っている存在ですものね。
これも頭で知る知識ではなく、心から感じる気づきが大切ですよね。
裏に気づくというのはアシュタンギーニさんだけではなくボクにとってもこれからやっていくプロセスですし、
他の人にとってもこれからの時代の課題なんだろうなと思います。
お互い心のキャパシティ広くしてもっと人生ハッピーになって、そのハッピーさで多くの人をハッピーにしていきましょう(^_^)/