個人セッションでやっていること
ボクが個人セッションでやっていること、やろうとしていることは難しいことではありません。
最も苦しみを生んでいるポイントとはどんなものかというと、簡単に言えば、本来の自然な自分から最も引き離すものです。
いくつかありますが、2つ紹介します。
自分の要素に対する強い否定
一つは、自分の要素に対するものすごく強い否定。
たとえば、自分の能力の強い否定があるとしましょう。「私はできない人だ」と思っていて、それを強く否定しているとします。
すると、仕事をしていても自信が持てず、周りは優秀に見え、常に緊張します。
また、できない人だとバレたくないため、ミスをしないように気をつけたり、できる人を演じたりなどするため、疲れが大きいです。
世界は自分に対して優しくなく、安心感がありません。
上司や同僚の言動に対し、否定的な解釈をし、嫌な感情が起こりやすくなります。
環境や他者、自分責めが多く、ストレスを抱えやすくなります。
特に気づいていないレベルで強い否定感があれば、無意識でコントロールされるため、悪影響が大きくなります。
ネガティブな要素との強い同化
もう一つは、あるネガティブな要素に対するものすごく強い同化。
たとえば、無力に同化し、「私は無力」というスタンスで生きているとしましょう。
意識上では、強くありたいとか、楽になりたいと望んでいます。
ところが、深いレベルで無力と強く同化しているので、無力である状況から脱せられないのです。
働こうにも身体も心もついていきません。
セッションでは最も生きづらくさせる要因を見つけようと試みている
心の深いレベルでこのようなものがあれば、現実問題としていろんな状況が起きてきます。
状況の中で現実に困っているものが、「悩み」になります。
もちろん、悩みを解決することは目的の一つですが、セッションでは悩み自体よりも、もっと奥にある「最も生きづらくさせる要因」を見つけ出そうとしています。
最も影響力が大きいものからやる
生きづらくさせる要因は一つではありません。一つの悩みから探っていくと、何個も出てきます。
一度に全部をやっていくことは無理なので、その中で最も影響力が大きいものからやっていきます。
仮にそれが例に挙げた「私はできない人だ」だとしましょう。
できないこと、能力のなさ、無能さを強く否定しています。
セラピーを使えばビリーフが緩む
ここからはセラピーの出番です。
「私はできない人だ」というビリーフにくっついている心の傷(ネガティブな感情)を徹底的に解放していきます。
すると、あれだけ「できないと価値がない」と思っていたのに、「できるとかできないとかどうでもいい」というように感覚が自然に変わっていきます。
すると、世界観が変わってきます。
今までは世界が自分に攻撃している感じだったのが、ただの世界になります。
仕事や家庭、その他の人間関係でも自然なものになります。
元々の悩みだけではなく、連鎖的に悩みがなくなり、グッと生きやすくなります。
自己の本質に気づくケースも見られる
やっていることは簡単です。中にはごくわずかなセッションでここまで起こる人もいます。
深い解放をして、自分の本質に気づく人も結構います。
最近、自己の本質に気づく人が多くて、時代の流れなのかなと感じます
このプロセスがスムーズに行かない理由
でも、そう簡単に行かないケースもしばしばあり、かなりの時間を要する場合もあります。
最も苦しみを生んでいるポイントが探れないケース
一つは、最も苦しみを生んでいるポイント、つまり本来の自然な自分から最も引き離すものを見つけられないことです。
同じやり方で問いかけて行っても、なかなか出てきません。
意識の浅いレベルの答えしか探れず、深い思いを引き出せません。
感情解放がうまく行かず、ビリーフが緩まないケース
もう一つは、セラピー。ビリーフは探れても、感情解放がうまく行かずにビリーフが緩まなかったり、感情解放してもいつまでもビリーフにしがみつく場合があります。
この理由はたくさん考えられますが、全部紹介すると長くなりすぎるので、一つだけ紹介します。
それは「恐れ」です。
自我の死に近いレベルほど恐れが強い
最も苦しみを生んでいるポイントは、自我の死(自己価値喪失)に近いレベルのものが多く、そこを探るのは非常に恐いのです。
そして、そこを緩めようとすると、そのレベルの感情を解放する必要がありますが、そこにアクセスするのが恐くて、感情解放ができません。
できるだけ安全に、早く、そこにアクセスさせるのがセラピストの力量かなと思います。
自我の死の恐れは本当は幻想の恐れ
その恐れを克服するためにセッションでもよく伝えますが、そもそもその恐れは幻想なんです。
自我の死に近いレベルを連想すると、リアルに恐く、身体に強い反応が現れますが、実際にはイメージしているだけで何も起こっていません。実際に傷つけているわけではなく、もっと言えば、傷つけられる主体などありません。失われる価値など元からありません。
恐れをきちんと感じ、その先にあるものが分かったら、恐れる必要などなかったことを実感します。
とはいえ、恐れが強すぎると、身体が苦しくなるので、リアルに感じてしまうのも無理はありません。
恐れを抑えようとすると余計恐くなる
恐れを抑えようとすると余計恐怖は強くなるので、恐れを思いっきり感じてもらいながら、恐れに飛び込んでもらいます。
何か死ぬようなものがあるわけではありません。
一時的に身体は苦しくなりますが、その苦しみに恐れさえ乗らなければ、ただの不快な感覚に過ぎません。思いっきり感じたら、すぐにこのエネルギーは止み、ニュートラルな状態になります。歪んだ思い込みはなくなります。
自我の死の先には絶対的な安心感がある
その状態で自己の本質を感じてもらうと、絶対的な安心感があることが分かります。経験上、自我の死に近いレベルの感情を解放できるほど、自己の本質を深く体感できます。
その体験があると、恐怖に飛び込みやすくなるでしょう。
いかに恐れに飛び込めるかがポイントです。
でも、恐いのは分かりますので、サポートが必要だと思います。
恐れに飛び込んで、感情をきっちり感じてしまえば、それだけでずいぶん楽な世界観になるので、それを体験してもらいたいと思います。
そして、深いレベルでのワークは気づきの宝庫です。素晴らしい気づきが起こることがよくあります。
一気に見方が変わったりすることも多いです。