私たちが幸せに感じるときはどんなときでしょうか?
- 試験に合格したとき
- 好きな人と付き合うことができたとき
- 温泉に入ってリラックスしているとき
- 仕事で成功して褒められたとき
いろいろあるでしょうが、大きく分けると2つに分類されます。
二つの幸せ
達成の喜び
一つは、達成した喜びによる幸せです。
達成してさらに褒められたり、認められたりすると喜びは倍増します。
安心の喜び
もう一つは、安心してホッとした幸せです。
緊張が緩んで、安心したときのくつろぎの感覚です。
南の島でくつろいでいるときのリラックスした幸せの感覚です。
野球のたとえ
野球にたとえてみます。
野球のバッターで、2アウト満塁、一打逆転サヨナラのチャンスのとき、ヒットを打つか、アウトになるかで天国と地獄です。
ヒットを打って逆転できれば、達成と称賛と安心のすべてを得られます。
アウトになれば、失敗と非難です。
この幸せは苦しみが前提にある
私たちは、達成と称賛と安心を求めて何かをがんばります。
ですが、その特性として、達成と称賛と安心が得られるには、それまでの長い期間、助走が必要です。
この助走は、緊張、不安を伴います。
リラックスから外れます。
達成、称賛、安心の前には、努力、渇望(飢え)、不安定な状態が必然的に存在します。
この幸せは一時的なもの
つまり、私たちの幸せは、一時的なものにしかなりえないのです。
幸せの前にはかならず不快な状態がくっついてきます。
そして、残念なことに幸せな時間は一瞬で過ぎ去り、大半の時間は幸せではない状態です。
エゴの幸せと「私(あなた)」の幸せ
エゴの幸せとはこういうものです。
そして、人々の幸せがこのような性質を持っているのは、「私=エゴ」という自己認識から来るものに他なりません。
エゴが求めているものを幸せだと感じている
エゴは達成して得ようとする性質です。
承認を求める性質です。
安心を求める性質です。
私たちはエゴが最も求めることを「幸せ」だと認識しています。
だから、達成、承認、安心が幸せに感じるのです。
ですが、これは「私」が求めている幸せではないのです。
これはエゴが求めている幸せなのです。
この違いが大事なポイントです。
達成、承認、安心の喜びは、エゴによって勘違いさせられている幸せです。
私(あなた)の幸せ
「私(あなた)」が本当に求めている幸せはエゴの幸せではありません。
達成や承認や安心を求めることを手放したときの状態が幸せです。
このとき、「今」この瞬間に、くつろぎを感じます。
これは、緊張から解放されたくつろぎとは性質が違います。
存在していることの喜びにあふれるものであり、絶対的に満たされているものであり、感動を感じるものであり、生きていることへの感謝にあふれるものであり、無条件の愛としか形容できないものです。
これが「私(あなた)」が本当に求めている幸せに他なりません。
達成して得るものではない
それは何かを達成して得られるものではありません。
今を変えて、何かになることで得られるものではありません。
今、この瞬間に存在している質です。
つまり、幸せしか存在していないというのが真実なのです。
ただ、それを見失っているだけです。
盲目になっているだけです。
何も達成する必要などなかったのです。
否、達成することを手放したとき、何かになろうとすることを手放したとき、ただ感じられる質が「幸せ」です。
別の言葉で言えば、エゴのプログラムに無意識に従っていないとき、意識的に人生を生きているときに感じられるものです。
さらに別の言葉で言えば、ハートで生きているときに他なりません。
幸せはゼロ百ではない
この幸せはエゴをどれだけつかんでいるか、同化しているかによって質が違ってきます。
同化の割合が少ないほど、幸せの質を強く感じることができます。
エゴは0か100かで考える性質ですが、事実は0、100で捉えられるものではありません。
ですが、分かりやすいようにあえて2種類に分けました。
- エゴの幸せ(達成、称賛、安心)
- 本質の幸せ(無条件の愛、感謝、喜び、感動、くつろぎ)
ハートシフトはエゴの幸せから本質の幸せへシフトしていくものです。
そして、本質の幸せをより深めていくものです。
そして、そのプロセスそのものに幸せを感じられるものです。