AmazonのサイバーマンデーセールでFire HD 10タブレットを買いました。
10インチのタブレットが約1万円で買えるなんてすごい!
時々セールをやっているのでセールで買うのがお得です。
Amazonプライムにも入っているので、映画やドラマやアニメがたくさん見られます。
安くコンテンツを見ることができてとてもありがたいです。
映画ヴァレリアン
先日、ヴァレリアンという映画を見ました。
吹き替え版で見たのですが、1時間54分くらいからの男性主人公(ヴァレリアン)と女性主人公(ローレリーヌ)の会話が素晴らしい!
本当はその場面をすべて引用したいのですが、著作権があるので最小限にとどめます。
ローレリーヌが語る愛
とはいえ、何とかお伝えしたいので、簡単に中身を言えば、ヴァレリアンはローレリーヌを愛しているのですが、ヴァレリアンは愛を真に分かっていなかったため、ローレリーヌはヴァレリアンのプロポーズをすぐに受けませんでした。
ヴァレリアンは、愛よりも正しさと組織への忠誠を重んじていました。
しかし、ローレリーヌは、愛は正しさや法律や何よりも強いとし、愛の本質をヴァレリアンに解きました。
映画に出てくるパール族は、惑星も自分の子どもも失っても許そうとしており、自分以外の誰かを信じています。
それが本当の愛だと言います。
ヴァレリアンは君のためなら死ねるというのですが、それに対するヴァレリアンの返答が秀逸。
「私のために死んでなんて言ってない。私を信じてもらいたい」
ローレリーヌはまさに愛の本質を語っており、感銘を受けました。
愛は正しさに勝る
とはいえ、ヴァレリアンのような考え方をするのはある意味普通です。
私もずっとそうでした。
正しさ、組織への忠誠、これはとても大切なことです。
これをおろそかにする人は信用できません。
ですが、愛はそれに勝るのです。
たとえば、法律違反をしないと子どもを守れない状況があったとしたら、法律違反を選択する人は多いと思います。もちろん、違反の程度によりますが。
他人を愛する心は本当に尊いと思います。
自分の中にある愛を大切にしたいと心から思います。
自己犠牲の愛は真実の愛か?
「君のためなら死ねる」というヴァレリアンの愛は、これまたよく分かります。
私自身、こういったものを愛だと思ってきましたから。
これは「自己犠牲の愛」です。
もちろんこれも愛ではあるのですが、報われない愛です。
そもそも、ローレリーヌが言うように、本人が望んでいません。
愛の押し付けです。
犠牲になって死なれても、罪悪感や後味の悪さがあるだけです。
もし、長年自己犠牲をして、愛をささげていたとしたら、されたほうは複雑な気持ちでしょう。
「私のために自己犠牲しないで」という人も多いのではないでしょうか。
ローレリーヌが望んだ愛は信頼
ローレリーヌが望んでいた愛は、信じてもらうことでした。
信頼です。
愛とは他者信頼と言えます。
そして、他者信頼は、自己信頼とセットです。
他者の力を信頼すること、
他者が傷ついていても、傷から癒える力を信頼すること、
他者が間違っていても、過ちから立ち直る力を信頼すること、
他者が弱っていても、回復する力を信頼すること、
他者が愛から離れても、愛に帰る力を信頼すること
人には力があります。
この力を信頼するには、自分の中にある力を信頼していなければ、他者の力も信頼できないでしょう。
だからと言って、信頼さえすれば、何もしないでいいということではありません。
見捨てるというのではありません。
それは頭の理解から来る結論です。
愛は何よりも力を持つ
ローレリーヌが言うように愛は何よりも強いものです。
何よりも力を持ちます。
自分の中にある力を信頼するとは、自分の中にある愛を信頼することです。
元々持っていた愛に気づくことです。
愛がないように感じる人は、ないのではありません。
ただ見失っているだけです。
恐れで愛が見えなくなっているだけです。
どうやって自分の愛に気づくか
自分の中にある愛に気づくこと。
これができれば、恐れや「こうあるべき」に流されず、ハートを貫くことができるでしょう。
では、どうやって愛に気づけるでしょうか?
いろんな方法がありますが、私は感情が鍵だと思っています。
封印された(抑圧された)感情・本音・本心に気づいて取り戻していくプロセスが大いに役立つでしょう。