ありのままの自分を受け入れること
ボクはこのブログで、ありのままの自分を受け入れることを提唱しています。
ありのままの自分とはよい自分とよくない自分(これって自分でレッテル貼ってるだけですけど…)の両方を受け入れるということです。
よい自分は受け入れやすいので、割と簡単にできますよね。
まあ、良い面を受け取るのが難しい人もいます
でも、よくないと思っている自分はなかなか受け入れることができません。
理想を目指す生き方に限界を感じている人のために
ボク自身を振り返ってみても、20~30代くらいまでは理想の状態を目指してがんばる時期なんじゃないかと思います。
でも30代後半くらいからは、その限界が見えてきて、「この生き方は違う」と違和感を覚えている人も多いと思います。
ボクのブログはそんな人のために書いているので、理想の自分を目指してがんばっている人には響かないと思います。
理想の自分や状態に向かってがんばる生き方に違和感を覚え、挫折や苦しみを味わい、ようやく、自分が光を当ててこなかった部分を見つめる時期が訪れます。
自分が嫌っている面を受け入れるのは難しい
ただ、自分が嫌っている面を受け入れていくことは正直なかなか難しいです。
はじめは覚悟もいります。だから、現実に苦痛が起こっていないとそれを受け入れる準備はできないんだろうなとも思います。
頭では自分のシャドウを受け入れることがよいことだと思っていても、なかなか受け入れようとしないことがよくあります。
シャドウを受け入れるとシャドウ通りの人間になってしまう恐怖
よく聞くのが、「自分のシャドウを受け入れると、そのシャドウ通りの人間になってしまうのが恐い」という言葉です。
これについては「誤解なんですよ」と説明しますが、なかなか分かってもらえないですね。
でも、分かってもらえるようにがんばって説明しますね。
シャドウを受け入れてもシャドウ通りにはならない
たとえば、自分のシャドウが「わがまま」だとしますね。
シャドウを相手に投影するので、「わがまま」な人を見るとイライラします。嫌いです。ネガティブな感情が湧いてきます。
このときの対処法は相手を変えることではなく、自分の中のシャドウを受け入れることです。
でも、わがままな人になりたくないので、わがままを受け入れたくないと思います。
わがままを受け入れると、自分が嫌っている「わがままな人」になってしまうと思うので、どうしても受け入れられないんです。
でもわがままを受け入れることができれば、自分がわがままになることを「悪い」とジャッジしないので、本当は大丈夫なんですけどね。
そして、わがままを受け入れると、わがままになってしまうというのは違います。
シャドウを受け入れていないと行動が制約される
わがままを受け入れていない状態であれば、選択肢が一つしかありません。
「わがままにならないようにする」ことしかできません。
でも、わがままを受け入れている状態であれば、「わがままをする」「わがままにならないようにする」の2つの状態を臨機応変に使い分けることができます。
そして、どちらの選択肢を取っても自分を責めることはしません。
でも、わがままを受け入れていない状態であれば、自分がわがままをしたとき、自分を責めてしまいます。
シャドウには良い要素もある
あと、わがままというのは、悪い要素だけではなく、良い要素もあるのです。
すべてのものはどれも良い要素と悪い要素の2つの点があります。
たとえば「すべてを受容する心」は一見全面的に素晴らしいように見えますが、悪く言えば「甘やかし」にもなります。
わがままだって、いいところはあります。
自分のニーズを大切にしているところ、自分を一番に考えているところ、きちんとニーズを相手に主張できる毅然とした態度…、こんな良い面もあります。
でも、わがままを抑圧していると、こんな良い面も出てきませんね。
シャドウを受け入れるとただ心地よいほうを選べる
ボクは優しいとよく言われますし、自分でも優しいと思います。
でも、それは恐れも大きかったんですね。
人に優しくするのは、自分が優しくされたいから。
優しくされないと、自分が傷ついてしまうから。
自分が傷つくと苦しくなり、自分に価値がないように思えてしまうから…
だから、自分が傷つかないように他人に優しくしていた側面があります。
「優しい」の反対は何でしょうか?
これがシャドウになりますが、ボクにとっては「意地悪な人」というのがピンときますね。
自分の中の「意地悪」を受け入れると、ボクは意地悪な人になってしまうのでしょうか?
ボクがどれだけ自分の中の「意地悪」な面を受け入れているかは証明できませんが、少なくともボクはシャドウを受け入れても、まだ優しいままですよ♪
自分の行動の選択は自分でできますから!
要はどちらが自分にとって心地よいかどうかです。
それは状況によって違います。
意地悪さが必要なときだってあります。そのときは意地悪しますよ。
クライアントさんでも依存傾向がある人だったら、突き放すことをあえてやることもあります。
だから、自分のシャドウを受け入れたら、シャドウ通りの人物になってしまうかというとそうじゃないんですね。
そこを怖がって、シャドウを受け入れようとしないのはとてももったいないなぁと思うわけです。
今日のブログ記事が知識ではなく、ご自身の体験として腑に落ちてほしいなぁと思います。
それをセッションやセルフワーク講座でやっていますので、機会があればぜひ参加ください。