アリストテレスの中庸
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「中庸」という概念を説いています。
アリストテレスは、極に行き過ぎることを問題だと考えました。
たとえば、素直さはよい要素ですが、素直が行き過ぎると自分がない状態になり、そうなると問題が出てきます。
また、勇敢さはよい要素ですが、勇敢が行き過ぎると無謀になり、リスクを考えず行動してしまい、問題になりかねません。
中庸というのは、二極のバランスが取れている状態です。
それはちょうど中間という意味ではなく、最適なバランスが取れている状態という意味です。
最適なバランス
最適なバランスはその状況によって変わってくるでしょう。
たとえば、人に物を教わっているときなど、素直になったほうがよいときは素直になり、自分を貫いたほうがよい場面では、逆に周りの意見を聞かないで自分の信念を大切にするなどです。
最適なバランスが取れることは、私たちにとって大きなメリットがあります。
中庸になるための条件
では、どうしたら中庸が得られるようになるのでしょうか。
中庸になれる必要条件を挙げていきましょう。
- 二極を両方とも使いこなせること
- 今どのようなバランスが最適であるかを把握できること
私は、この2つが中庸になれる条件だと思っています。
①二極を両方とも使いこなせること
「素直さ」と「我を通す力」の両方を意識的に変えることができなければ、自分でバランスを取ることはできません。
右に歩くことができること、左に歩くことができることの両方できるから、左右のバランスを取ることができます。
どちらかしかできなければ、バランスを取ることは難しいです。
そのため、対極である要素の両方がうまく使えないとバランスは取れません。
両極を意識的に使いこなすためには、両極に偏らないことが大切です。
善悪思考、二極化思考だと、どっちかに偏ってしまうため、中庸から外れてしまいます。
それには、あらゆる要素に対して、善悪を横に置いて、ありのままその特徴を理解することが大切です。
善悪思考だと、その特徴を歪んだ解釈で捉えてしまいます。
②最適なバランスを把握できること
そして、中庸になるためのもう一つの大切な要素が、どのバランスが最適かを判断できる力です。
慎重さと勇敢さであれば「この場面では2:8くらいで勇敢寄りで行こう」とか「この場面では7:3くらいで慎重寄りで行こう」というように自分と周りの状況に合わせて的確に判断できることです。
お金の使い方で言えば、二極であれば「浪費家」と「ケチ」に別れます。
いつも浪費家やケチだと問題になります。
どこにどれだけお金を使うことが、自分の理想なのかを何となくでも分かっている上で、節約する場面では節約し、しっかり使う場面では思い切ってお金を使うことをできるのが、優れたバランス感覚です。
あらゆる要素に対して、それを皆、無意識でバランスを取ろうと行動しているわけですが、どのバランスが今の自分にとって、そして、今の置かれた環境の中で最適かを適切に把握できる力がある人ほど、中庸でいることができます。
このバランス感覚がない人ほど、場違いな行動に出て失敗したり、顰蹙を買ったりします。
この能力は空気を読む力にも関係あるでしょう。
場にふさわしいことを察知できる力です。
中庸の応用編
中庸の応用編としては、「あえて中庸から外れること」を意識的にできることです。
定番のファッションを押さえながら、あえて外したファッションでよりオシャレに見せるという感じです。
私はできませんが(笑)
あえて過剰にしたり、過少にすることでバランスを崩すことそのものを何らかの価値やメリットにします。
お笑い芸人さんはその感覚が優れているのだと思います。
あえて外れていることが笑いにつながっています。
中庸ができた上で、あえて外すという応用ができると理想ですが、そもそも中庸が難しく、なかなかそこまではできないでしょう。
このとき、自分の中でバランスが取れていない要素を中庸にすることを目指さず、バランスが取れていないことを受け入れて、売りにすることもできます。
たとえば、お笑い芸人で面白くないというのは致命的ですが、面白くないということでいじってもらえて逆に面白くなります。
それは面白いという要素が過少であることが、面白さを生み出すという逆転現象が起きます。
中庸になれないものを活かす
中庸はとても大切なことだと思います。
ただし、善悪思考で中庸を「善」と目指してしまうと、中庸の本質から離れていってしまいます。
また、中庸になろうとしても難しいことはたくさんあるでしょう。
性質的なものはなかなかバランスを取ろうとしても難しいです。
その場合は、逆にアンバランスさを価値に変えるように考えることができます。
ブサイクはお笑いの世界では強みになります。
演技の世界でも、個性派として居場所を作りやすいと思います。
一方の極を否定的に捉えてしまうと、こういった発想ができなくなります。
また無理やり欠点を長所に変えようとしても、欠点への自己否定があったままだと、どこかで無理が出ます。
まずは、自己否定を止めることです。そうすれば「欠点」ではなく、ただの「要素」になり、それを活かしやすくなります。
もちろん、活かさなくても大丈夫ですし、要素によってはなかなか価値に変換するのが難しいものもあるでしょう。
プラスの価値に変換できなくても、自己否定がなくなるだけで心はずっと楽になります。