境界線(バウンダリー)とは?
心を健全に保つために欠かせないのが「境界線を引く」ことだと実感しています。
境界線は「バウンダリー」とも呼ばれています。
境界線を引くことを簡単に言えば、「自分と他人の区別をつけること」です。
身近な人ほど境界線が引きにくい
基本的に、境界線は家族などの身近な人ほど区別がつきにくくなります。
逆に、知らない他人ほど区別がつきやすくなります。
たとえば、自分のパートナーや子どもが人前で話しているとしましょう。このとき、自分のことではないにも関わらず、自分のことのように心が揺れ動くでしょう。
自分と一体化しているのです(境界線がない状態)。
逆に、知らない国の知らない人が泥棒にあったとします。気の毒だとは思いつつも、そこまで心は動かないでしょう。
自分と区別しているのです(境界線を引いている状態)。
選手を応援しているときは一体感
極端な例えで実際にはあり得ませんが、世界中の人々と一体化している状態では、人々の感情を自分のもののように感じるでしょう。
この状態は部分的にはありえます。
たとえば、オリンピックで日本の選手を応援している状態のとき、応援している人と一体感を感じていますが、同時に応援している人同士でも一体感を感じているでしょう。
境界線を引くことが必ずしもよいわけではない
一体感を感じなければ、非常につまらない、色あせたものになります。
他者と感覚を共有する楽しさや喜びは、人生を豊かにしてくれます。
境界線を引くことが必ずしもよいわけではありません。
一体感を感じているときは、境界線が引けていない状態ですが、その状態が必要なときは多々あります。
境界線を引くべきときに引けないのは問題
問題は、他者と区別していなければいけない状況で、区別できていない(境界線が引けていない)ことです。
サッカーで日本代表を応援したり、好きなアイドルを応援するときは、境界線が引けていませんが、それでいいのです。
ところが、境界線を引くべきところで境界線が引けていないと、問題が発生します。
では、この区別ですが、残念ながら明確な基準があるわけではありません。
しかし、ある程度の目安はあります。
その目安の一つをこの記事で紹介します。
境界線(バウンダリー)を引く目安
境界線を引くべき目安は基本的にはケースバイケースで判断していく必要があります。
その判断基準として私が気にしているのは「誰が困ることなのか?」ということです。
誰が困ることなのか?
他者が困ることであれば、他者の問題です。
自分が困ることであれば、自分の問題です。
たとえば、親が子どもの結婚について口出ししてくるとしましょう。
このとき、子どもが結婚をするかしないかで何か不利益を被ったとして、それは子どもが困ることです。
親が困ることではありません。
子どもが困ることに親が口出しするのは、親の「境界線越え」になります。
しかし、子どもが結婚しないことで親自身の世間体が気になる場合があります。
それは親が困ることなので親の問題です。
親が自分で解決する問題で、子どもが結婚するかしないかは関係ないことです。
親のために結婚をするというのは、親の問題に子どもが介入していることになります。
それは子どもの「境界線越え」です。
境界線越えを自覚することで適切に引ける
他者のために何かをやる場合、境界線越えになりますが、もちろんそれそのものが悪いわけではありません。
但し、境界線を越えているか、越えられているかどうかは、両者とも自覚しておく必要があるでしょう。
それが区別できていないと、過度に境界線を越えたり、越えられたりしてしまいます。
境界線を区別していれば、適切な範囲で境界線を引くことができます。
つまり、ここまでは介入するけれど、ここからは介入しないという区別をつけて接することができます。
親が子どもの進路に介入する例
適切な範囲で境界線を引く例を挙げましょう。
親が子どもの進路に口を出すことを例とします。
この場合、子どもの年齢によって変わってきます。
幼稚園や小学校の進路決定は、子どもの意志はほとんど関係ないでしょう。
親が決めるべき問題になってきます。
逆に大学や専門学校などの進路決定は、子どもの意志のウエイトのほうが大きくなるでしょう。
年齢によって、境界線を引く適切なラインが変化します。
また、大学や就職などの進路について、親がまったく介入しないことが望ましいわけではありません。
親の都合だってあるわけで、金銭的な問題で子どもの望みに答えられないことだってあります。
まったく介入しないのも境界線の引きすぎでしょう。
逆に、大学や就職先を勝手に決めてしまうのは境界線越えが行き過ぎています。
本人の意志や親の都合や希望を話し合いながら、お互いが納得するところを決めていくことが求められます。
仕事で上司から境界線越えされた例
仕事で、上司の責任範囲の仕事を投げられたとします。
このとき、上司の責任を押しつけられたことになるため、境界線越えとなります。
これが当たり前になると、自分にその権限も対価も伴っていないのに責任を負わされるため、心が疲弊していきます。
上司の代わりに同僚に指示命令を出さなければいけなくなったとしたら、周りから「あなたが私の上司ではないのにどうしてそれを言われなければいけないの?」などと思われて、気苦労が増えていくでしょう。
このときは、境界線を引き、上司の責任範囲の仕事については適切に断ることが必要です。
それをやらなくて困るのは上司ですから、上司の問題です。
境界線越えを理解して、適切に断る
上司なので断りにくいかもしれませんが、きちんと境界線が区別できていれば、筋が通った断り方ができるでしょう。
境界線が引けていないと、ただ「断る」ことになり、嫌だから断ったと思われてしまうと損ですね。
たとえば、上司に「部下評価をこっそりお前がやってくれ」と言われたとしたら、「それをやっているのが周りから分かると○○さん(上司)の立場が悪くなるのでやらないほうがいいと思います」などと、相手のことを考えた断り方をすればよいでしょう。
境界線を越えられたとき、どこかモヤモヤを感じると思います。
はじめはそのモヤモヤの正体が分からないと思いますが、それが境界線越えであることが分かれば、後からでもきちんと断ってよいです。
まとめとして、大切なポイントを挙げて終わりにします。
- 境界線越え(越えている・越えられている)を自他ともに自覚できていることが重要
- 境界線越えかどうかを判断する問いは「それは誰が困るか?」「それは誰の責任か?」
- 境界線を「適切に」引くことが重要で、引く・引かないの二者択一ではない