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被害者意識は境界線越えによって生じる

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被害者意識の定義

被害者意識について悩んでいる人はたくさんいるでしょう。

普段は被害者意識になっていなくても、特定のことだと被害者意識になってしまうことは誰でもあります。

たとえば、コロナ禍の今は、政府に対して怒りを抱く人が増えています。
政府に対して怒りを抱くことそのものが被害者意識ではありません。

私の被害者意識の定義は、

自分の責任範囲のことなのに、他者の責任だとすること

もしくは

その人に責任がないことを責任があるとなすりつけること

です。

被害者意識から来る批判

政府が取る政策に対して、批判をすることそのものは被害者意識ではありませんが、そこにたとえば「政府は自分の面倒を見るべきだ」という意識があれば、被害者意識の批判になります。

  • 自分を助けてくれないのは政府が悪い
  • もっと給付金を増やすべきだ
  • もっと貸付金を増やすべきだ
  • もっと早く助けるべきだ

そういう発想になってしまいます。

日本の権利と義務

日本政府は国民に最低限度の生活を営む権利を与えていますが、代わりに義務があるわけです。
義務もなく、権利しかなければ、国家は成り立ちません。

日本は、何らかの事情で経済的に生活ができない状況であれば生活保護を受ける権利があります。

自分の面倒を見るのは誰の責任?

しかし、それは日本政府がその人の生活の面倒を見る責任を負っているわけではありません。

その責任の所在は誰にあるのでしょうか?

自分です。

子どもは別にして、成人であれば、基本的には自分で自分の面倒を見る必要があります。

もちろん、自分で面倒を見られない人は別です。

障害や心身の病気、高齢に伴う症状などで自分の面倒を見られない場合、助け合いで面倒を見てもらう権利があります。

それが保障されているから、他の人も安心できるわけです。

自分で面倒を見ることができる状態にも関わらず、自分が悪い状態になっているのは政府のせいだと思っている人は、責任を政府に転嫁しているに過ぎません。

これが被害者意識です。

ここでは政府の例を挙げましたが、親のせい、夫のせい、妻のせい、上司のせい、同僚のせい・・・と、いろんなところで被害者意識が起こっています。

被害者意識の対極が自己責任論

ちなみにこの被害者意識の対極が行き過ぎた自己責任論です。

自己責任論者は、人生のあらゆることを自分の責任にします。

傾向として、自分が他者のサポートを得ることを拒みがちです。
自分がサポートをする立場であることは認めながらも、サポートを受ける立場であることは拒みます。

もし、自分が生活保護を受ける立場になれば、それを恥じます。

確かに自分の面倒を見るのは自分ですが、私たちは社会に頼らなければ生きていけません。

人生を決める権利は自分にありますが、社会のサポートの違いは人生に大きな影響を与えます。

他者や社会のサポートを無視して、すべて自分の責任だとするのが自己責任論です。

被害者意識は、自分の責任を無視して、他者や社会のサポートの責任のみに関心が向いています。

方向の違いがありますが、どちらも境界線が適切に引けていないことから生じた現象です。

批判や責めることそのものが被害者意識ではない

もう一度書きますが、誰かのせいと責めることそのものが被害者意識ではありません。

ここを誤解すると、他者を責めることそのものをダメなことだと思ってしまいます。

責任が果たされないことを許してしまうと?

その人の責任範囲のことで責任を果たされなかったときに、注意することは悪いことではありません。

むしろ、それをしないと、本人が責任を取らなくなってしまいます。

仕事でミスをした icon-arrow-right 注意する

それそのものは悪いことではありません。
必要なことです。

負のエネルギーが乗ると複雑になる

ここで問題を複雑にしているのが、このときの注意に負の感情が乗っていることがしばしばあることです。

負の感情を伴う注意があると、過剰に罪悪感や自己責任を感じてしまいます。また、自分の存在そのものを否定されているような感覚に陥る場合もあります。

負のエネルギーに境界線を引くこと

このとき、必要なのが、自分が境界線をしっかり引くことです。

それができれば、相手の負の感情に影響されず、ミスをした事実だけを淡々と受け入れることができます。

このとき適切な対処ができるのです。

自分がしっかり境界線が引けていないと、ミスをした自分を責めて、思考力が著しく低下してしまいます。
「自分の○○が悪かったのかも」と見当違いの原因分析に陥ります。

もしくはミスを指摘した相手に対する被害者意識に陥ります。

責任範囲を明確にする

まとめますが、その人の責任範囲の中で、間違いや不適切なことがあった場合、注意することは決して悪いわけではありません。

しかし、その人の責任範囲外のことに対して、注意することは境界線越えです。

政府批判をしている人の中には、政府の責任範囲外のことに対して批判している人も多く見られるのではないでしょうか。

政府の責任範囲のことで不適切なことがあれば、批判は必要です。
何度も書きますが、批判そのものが悪いわけではありません。

政府の責任範囲外のことに、政府批判をすることは境界線越えです。

境界線越えの批判に対しては、自分で境界線を引くことが求められます。

もし、その批判を受け入れてしまったら、自分の責任範囲外のことまで手を出そうとしてしまいます。

すると、自分が境界線越えをしてしまうことになります。

自分が批判を受けたときは、それが本当に自分の責任範囲のことかどうかをまず把握するとよいでしょう。

責任範囲外のことであれば、真に受けない「ほうがよい」のです。

責任範囲内のことであれば、負のエネルギーに対しては境界線を引き、受けないようにします。
内容だけ受け取って、改善すればよいのです。

もちろん、自分の責任範囲のことが十分できなかったとしても問題ありません。

その責任を自分で引き受けるだけです。

今度は責任範囲を狭めたり、対応能力を上げる努力をすればよいのです。
もちろん、責任を十分果たせなかったことで受ける信頼の低下は甘んじる必要があります。

被害者意識に陥らないためには、責任範囲を明確にする必要があります。
境界線を学び、責任範囲を理解できれば、被害者意識に陥ることを避けられるようになるでしょう。

責任を果たしたくても果たせないケース

責任範囲が明確になり、自分に責任があることを真に腑に落とせれば、自分で何とかしなければならないと思うでしょう。

ここで無力感が強いと、責任を果たしたくても果たす力がないと思ってしまいます。

そのため、自分は人生を切り開いていく力があることを心の底から分かっておく必要があるでしょう。

そこは養育環境も関係しているため、自分の中に安心感や力を増やしていく試みが必要になってくるでしょう。

人生をよく生きていくためには、たくさんの道があります。
被害者意識に陥ると、ポジティブな未来の道筋が見えなくなってしまいます。

  • 責任範囲を明確にして、被害者意識から抜け出していく
  • 無力感が根底にあれば、基本的安心感を少しずつ高めていく
  • 自分の人生をよくする選択をしていく
  • 選択の結果、失敗があれば、自責他責なく原因分析して対処する
  • 前向きに人生をよくするチャレンジをしていく

この結果、ポジティブな未来があるのではないかと私は思っています。

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら

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