ありのままの自分で生きるというのは、自分の個性を恥じずに全開で生きるということです。
たとえば、私は内向的で、飲み会などでもあまりしゃべらないし、友達も少ないし、話もつまらないのですが、今はそれを恥じていません。
また、運動神経が悪く、昔はそれを隠そうとしていましたが、今は堂々と運動音痴を披露できるし、無理せずにやらないということをしています。
もちろん、よいところも出すのですが、よいところは誰でも出しやすいです。
問題は、自分の中で恥じている要素、ダメだと思っているところです。
先に挙げたような、内向的資質、面白くない、運動音痴という点もありますが、他にもいろんな要素があるでしょう。
- 根気がない
- 忘れ物が多い
- 集中力がない
- 過集中で2つのことができない
- せっかち
- 動作や行動が緩慢
- すぐに不安が出る
- ビビリ
- 芸術センスがない
- 生まれつき身体の障害がある
- 記憶力がめっぽう悪い
- 空気が読めない
- 毒舌
- 学校の勉強が不得意
- しゃべりが下手
挙げたらきりがないくらい、いろいろありますのでこれくらいで止めておきます。
自分の要素を否定するデメリットはたくさんあります。
自分の要素を否定するデメリット
- 隠そうとするので委縮してしまうこと
- 自己否定につながること
- 自分にないものを求めて非効率な努力をすること
- 代理のものを得るための努力をすること
- その要素の良さが発揮できなくなること
- かえってその要素が目立ってしまうこと
分かりやすいのは、委縮することや自己否定につながることですね。
隠そうとするので委縮する
自己否定につながる
たとえば、私は運動音痴なので、体育の時間は常に萎縮していました。
ダサいとバカにされないように隠していました。
すごくコンプレックスでした。
そういう自分は嫌なので、自己否定をしていました。
でも、周りにはそれを見せないようにしていました。
自分にないものを求めて非効率な努力をすること
代理のものを得るための努力をすること
私は運動についてはあきらめていたので、それをがんばろうとは思いませんでしたが、人並みにできるようにがんばるという選択肢もあったと思います。
ですが、運動神経がある人と比べて努力が実らないのは明らかで、不得意なことをやるのは非効率です。
もちろん、楽しければ結果は関係ありません。
私は運動ができない代わりに、勉強でがんばろうと思いました。
ですが、根気がまったくなかったので、嫌なことは続かず、勉強もがんばることはできませんでした。
根気がある人ならば、コンプレックスをバネにして、別のことで結果を出そうとがんばるでしょう。
それは悪くはないのですが、苦しい努力です。
コンプレックスから努力するのと、好きだからがんばるのでは全然違います。
今は前者の時代ではありません。後者の時代です。
その要素の良さが発揮できなくなること
かえってその要素が目立ってしまうこと
これはすごく大事です。
ある要素にはポジティブ面とネガティブ面の両面があります。
その要素のネガティブ面を否定して出さないようにすると、よい要素も失われることになります。
たとえば、怠けることを悪いと思っているとしましょう。
怠けることの良さは、休むこと、自分が嫌なことはやらないこと、のんびり過ごすこと、マイペースを貫けること、欲を優先できることなどがあるでしょう。
怠けることが悪いと思って、怠けずにいると、身体の自然なリズムを越えてがんばることになります。
すると、どんどん疲れてきます。
だましだましがんばっても、どこかで限界が来ます。
身体がSOSを出して、うつになったり、動けなくなったり、身体の臓器が疲弊を上げます(病気)。
結果的にエネルギー不足で最低限のことしかできず、休まざるを得なくなります。
怠けることを否定してがんばっていたにもかかわらず、結果的に怠けるという状態になってしまいます。
かえって、その要素が目立つことになります。
資質そのものが悪いわけではなく過度に出ているのが問題
どんな資質も、それそのものが悪いわけではありません。
過度に出るとどの資質も問題になります。
適度に怠けるのは大事ですが、ずっと怠けると日常生活で大きな支障が出ます。
がんばることは大事ですが、がんばりすぎると身体や心がダメージを受けます。
内向的資質は大事ですが、あまりに強すぎると引きこもりになってしまいます。
外交的資質は大事ですが、あまりに強すぎると活動過多になってしまいます。
過度になる大きな原因は、逆説的ですが「その要素を否定し抑圧すること」です。
そうすると逆方向のエネルギーを無理に使うことになり、結果的に抑圧している要素が過度に出ることになります。
こんな感じです。
スピリチュアルの視点から
スピリチュアルの視点から見ると、自分の内側が「その要素の良さを分かってほしい」というメッセージという解釈もあります。
この解釈はただの解釈で、根拠のないつじつま合わせと言われても仕方がありませんが、私はそう考えています。
個人セッションでもこの視点でやっています
魂の進化のために進化を促す出来事が起こっている⁉
スピリチュアル、つまり、魂の進化という視点から、魂の進化を促す出来事が起こっていて、あらゆるメッセージが身の回りに起こっているという考え方です。
この考えを採用することで自己愛が格段に早く高まると感じています。
自分の性格・資質・要素を否定するほど苦しみの出来事が増える⁉
この考え方に立つと、自分が性格・資質・要素を否定すればするほど、ノックが強くなります。
そういう資質を強く感じさせられる出来事が増えます。
このときその資質と向き合うことが極めて重要!
たとえば、自分の繊細さを否定しているとき、繊細であることで困ることが起きます。
このとき、繊細さを余計否定しがちですが、そうではなく、繊細さと向き合うことが大事です。
「ああ、繊細って悪いものではなかった」と気づいたとき、内側はものすごく満足します。
そして、今後は繊細な自分で堂々と生きられるようになり、これまで活躍できなかった繊細さがどんどん活躍します。
クリエイターには繊細さは絶対必要です。クリエイターだけではありません。あらゆる仕事に繊細さが必須です。
違和感に繊細に気づけるようになれば、大きな苦しみを回避できます。
自分の内側のシグナル、本音に気づくためにも繊細さをもっと研ぎ澄ます必要があります。
苦しみに対処できさえすれば、苦しみは決して恐いものではありません。
大きな苦しみにまで放置するので、苦しみがつらいものになってしまうのです。
早く気づいて早く対処すればまったく苦しいものにはなりません。
ダメだと思っている要素をちゃんと見てみる
自分の中でダメだと思っている要素を挙げて、本当にダメかどうかちゃんと見てください。
はじめは100%ダメだと思うと思いますが、ちゃんと見てみるとだんだんその割合は減ってくると思います。
10%でも減ればそれでも素晴らしいと思います。
その要素の良さにもだんだん気づいてくるでしょう。
少しずつでよいので、自分のありのままを受け入れられたらよいですね。
よっし〜さんはじめまして!
今回の記事にとても救われ、そして感動しました。
自分のダメだと思っていた資質や要素を人に否定されて萎縮していました。
ダメだと思っていたその資質の良い面を見る…ないと思っていたけどありました!
あると気付いて否定が少し減ると何だか心が軽くなりました!
嬉しくてお礼を言いたくてコメントさせていただきました。
ありがとうございました!
日々少しずつ良さを見つけていきます^ – ^
富岡さやか様
初めまして。よっし~です。
コメントありがとうございます。
こちらこそ、富岡さんのコメントに感動いたしました!
ダメだと思っていた資質の良い面を探してくださったのですね!
ブログに書いてあることを実際にやってくださり、本当に本当にうれしいです♪♪
心から感謝申し上げます。
気づきがあったこと、本当に良かったですね!
こちらこそありがとうございました!
よっし~(西川佳宏)