非合理な信念を信じると言えば、ゲン担ぎもそうですね。
受験のときはかつ丼を食べるとか、
勝負の日は赤いネクタイをするとか、
靴下を左から履くとか、
勝負曲を聴くとか、
そんな類のものです。
合理的に考えると、そんなはずはないと思っていても、そう信じています。
そう信じるにはやはり因果関係があると思っているからです。
なので、何度かそんなことが起こったはずです。
あるネクタイをしていたときに、商談がうまくいったとします。
それが3回くらい続けば、そこに相関関係があると信じてしまうのです。
関係のない二つの物事の間に相関関係があると思ってしまうことを「錯誤相関」といいます。
この錯誤相関は実は起こりやすいものです。
他の要素を無視して、相関関係があると思い込んでしまいます。
そして、いったん相関関係を見出すと、その信念に反する証拠を見ないようにします。
ある信念が私たちのメガネとなり、そのメガネを通じて世の中を見ているので、その信念に沿った現実を見ます。
これが「投影」です。
その信念と矛盾する証拠は、わざと除外します。過小評価したり、そもそも目に入らなかったりします。
信念に基づいた情報を集め、その信念を裏付けるような情報を拾い出し、信念を現実のものと解釈するのです。
そのため、「ネガティブな信念」を持つ人ほど、世界をネガティブに解釈し、生きにくい世の中になるでしょう。
逆に「ポジティブな信念」を持つ人ほど、世界は心地よく感じるでしょう。
前回の記事で、非合理的な考えを持つことは、自分が周囲の物事をコントロールしていると感じ、不安を軽減するための方法であると書きました。
これは、非合理な信念を必要とするのは、不安が大きいときということを意味します。
つまり、ストレス下にあり、コントロール感覚に乏しいとき、非合理な信念を持ちやすいのです。
スポーツ選手がゲン担ぎをするのは、大会のときですね。
緊張があり、不安もあり、ストレス下の状況にあるときです。
その解消手段がゲン担ぎなのです。
受験生がゲン担ぎするのも受験の不安があるときですね。
合格するか分からないからゲン担ぎをするのです。
ゲン担ぎすることでコントロール感覚を得て、不安を解消しています。無力感からの防衛方法ともいえるでしょう。
不安や無力感が強いときは、パフォーマンスも十分発揮できませんから、ゲン担ぎのような非合理な方法も結果的に合理的な選択になっています。
ただ、ゲン担ぎが行き過ぎると強迫的になり、それがないと不安が解消できなくなります。
ゲン担ぎをするのもよいと思いますが、それよりも大切なのは、ストレス下の状況への精神的な耐久力でしょう。
ここが強ければ、非合理的な信念を持つ必要もなくなります。