日本人に多いのは、「努力が大事だ」という考え方です。
テレビとかの感動ドラマでも、「ダメだった人が努力の末、成功を収めた」ってシナリオが多いですよね。
単に成功することが感動を生むのではなく、必死に努力すること、なかなか成功しないけれど、それでもあきらめず、苦難を乗り越えて成功して、やっぱりあきらめずにがんばることが大事なんだって思い、感動しますね。
一昔前のスポ根ものも同じですね。日本人の価値観にはぴったりです。
努力が大事だと思うと、努力できない自分や他人を責めてしまいます。
ボクもこの価値観を強く植えつけられて、今でもあります。だいぶ薄くはなりましたが。
努力と結果にはある程度の相関があります。
アメブロの方のブログ(今は削除)で書きましたが、1万時間の法則というのがあって、そこで紹介したドイツの音楽学校の生徒の能力の決定要因は元々持っていた才能ではなく、累計練習時間だったというものです。
詳しく説明するのは省きますが、努力量と結果には相関があるというのが結論です。
でも、努力が結果に結びつかないことが多々あるのも事実です。
その場合の理由として、努力の方向性が間違っていると説明されます。
それも事実です。ボクもそういう説明をすることはあります。
でもね、努力量と結果には相関があるから、努力が大事っていうのはちょっと短絡的なんです。
努力が大事であると結論してしまうと、努力することに対してドライブしていこうとします。
努力させるためにアメとムチを使ったり、努力する人に対して評価を与えたりします。
努力することは悪いことでもないのですが、努力によって成しとげられることなんて実はたかが知れているんです。
そもそもやりたくないことに対して、どれだけがんばったところで身体が拒否していますからまったくパフォーマンスは発揮できないんです。
優れた才能を発揮できるのは夢中になれること。ワクワクすることです。
そのとき、身体も応援します。最大のパフォーマンスを発揮します。だから自分の限界を超えるような結果が出せるのです。
夢中になってやっていることを「努力」とは呼びません。
努力の「努める」という意味は、「困難な苦しさに耐えて何かをしようと努力する」という意味です。
ワクワクで動いていることは「努力」とは呼ばないのです。
だから、努力は大事じゃないのです。努力なんて本当はできなくてもいいし、しなくていいんです。
1万時間の法則にしたって、好きだから結果的に1万時間も練習したのです。もちろん努力で1万時間練習した人もいるでしょう。でも苦しさに耐えるような人生を皆さん送りたいですか?
「これだけ努力したから、これだけのものが得られる」
これって「損得」です。エゴベースの考え方です。エゴの行動原理は損得です。
だからハートベースじゃない。ワクワクや情熱とは無縁です。
努力と成功の相関なんて気にしないことです。
「できるだけ得な人生を送りたい」…この考えこそ、ワクワクや情熱を妨げているのです。
だから「損しよう」と主張する人もいますが、ボクはあえてこう言いたい。
だから「損得考えずにハートに従おう」。