ボクは「ハートに従う」ことをこのブログでも勧めていますし、そのあり方がボクの価値観の上位に来ます。
ボク自身がそうありたいと思ってきたし、今もそう思っています。
ハートに従うということはこちらの記事でも説明しましたが、魂からやりたいことをやることです。
自分の本質から来る欲求です。
やりたいことができない理由として下記のようなことをよく聞きます。
●やりたいことをすると他人に迷惑をかけてしまうんじゃないか。
●自分勝手な人になりたくないから、やりたいことを自由にやってはいけない。
●やりたいことができなくて我慢している人も多いのに自分だけがやりたいことをしていては申し訳ない。
ボク自身も当てはまります。
ボクは「迷惑をかけてはいけない」というビリーフが強くあり、また自分勝手さを強く抑圧していたので、この気持ちがよく分かります。
でも、それは誤解です。
「やりたいことをやる=好き勝手ふるまう」ことでは決してありません。
魂がやりたいことって、他の人の助けになることなんです。
単なる自分の利益でしかないものは魂は喜びません。そういうものです。
たとえば、仕事をしていてうれしいときって、他の人が喜んでいるときだと思います。感謝されたときだと思います。給料日もうれしいですが、それ以上にクライアントの役に立てたときにうれしいでしょう。
生物は進化を求められる宿命にあるので、そういうメカニズムになっているのかもしれません。
ハートのベースにあるのは愛や感謝です。
だから、自分の利益のために好き勝手ふるまうことが、ハートに従うことではまったくないのです。
自分の利益のために好き勝手ふるまうことは、本当に心の底からやりたいことではないはずです。
そこを動かしているのは実は恐怖なんです。
根本に恐怖があって、それを回避するためにやっている行動なんです。
自分のプライドやメンツ、安全を保つためにやっています。
「やりたいことをやろう」というのは、あなたを心から喜ばすことをやろうということです。
自分のメンツを守ることや地位や名誉を求めることが本当にやりたいことでしょうか?
・・・と、ここまでは理解してくださると思います。
ただ、どれがハートか、自分勝手な欲求かが分からないというのが次の大きな問題かなと思います。
そんなの頭で考えるよりも、とにかくやりたいことやればいいじゃん。というのが答えになります。
というよりもこれは論理や思考の答えの外にあるものだからです。
どうせ頭で考えたって分かりっこないし、迷惑をかけても、自分勝手になったとしても、自分が心地よくなることをやっていけばだんだんとハートが分かるようになってきます。
そうやって、学んでいけばいいと思うのです。
はじめからハートに従うことなんてできやしないし、ボク自身もまだまだ途中段階。ようやく少しずつ分かりかけたところですよ。
一緒にハートに従う喜びを分かち合えたらなと思います。