先日のブログでは、努力をテーマに書きましたが、努力には二種類あり、自分や現状を肯定したうえでなされる努力をオススメしました。
ボクたちが幸せになれるのは、外部的な何かの条件を満たしたからではありません。
あるがままの自分を認めたとき、幸せを自然に感じます。
たとえば、年を取って頭が禿げたとします。ハゲを否定するから苦しくなります。ハゲを隠そうとするから苦しくなります。ありのままを認めたらとても楽になります。
禿げたらハゲでいいんです。ちなみにかつらをかぶることが悪いのではなく、ハゲを受け入れたうえで(気にしないで)かつらをかぶるのなら楽でいられます。
病気になったとしたら、病気を否定せずに、病気を受け入れるしかありません。病気と仲良くなることです。
身体が動かなくなったとしたら、それも受け入れるしかありません。動く部分の身体を感謝し生きることです。
頭が悪かったら悪かったでいいのです。悪いままで幸せになれます。頭がよくないと幸せになれないと思い込んでいるから不幸なのです。その原因は成績を重要視する学校や親の教育にあります。頭が悪いと価値がない、愛されないと誤解させます。本来の教育は、頭が悪かろうが成績がどうだろうが価値があるし、愛されているし、幸せを感じてもいいのだ、つまり「あるがままでいいんだよ」ということを教えるものだと思います。
運動神経が悪ければ悪かったでいいのです。悪くても幸せになれます。
生まれながらに身体が不自由であっても、そのままでいいのです。それすら神様からの贈り物。この条件の中で幸せを見つけなさいと言っているのだと思います。
才能だってそう。成功した人の多くが「自分の努力で成功した、金持ちになった」と勘違いしていますが、才能を与えたのは神様。才能が与えられた人は、その分、世の中に貢献し、与える義務があると思いますし、勝ち組になった人は、負け組を気遣う思いやりが必要だと思います。
それを忘れれば、エゴが増大し、人生を自分のハートからエゴに主導権を奪われます。
そして、本当の幸せを味わえないまま、外部の条件だけを追い求めてしまう一生を送ります。
自分の魂を輝かすとき、人は幸せを感じます。
自分の魂にはオリジナルの才能と条件が与えられています。それは決して他人と比べようがないもの。
世間の価値観ではなく、他人の価値観ではなく、ただ、自分自身の魂の価値観に沿って、与えられた今の条件の中で、感謝を持って与えられた才能を発揮することです。
生まれつき性格が悪いと幸せになれません。生来意地悪とか非寛容という人間もいます。不幸しか呼んでいません。
生まれつきの盗癖のある人もいます。
ありのままでいいということはありえないと思います。
おおつかなおこ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
ありのままでいいということはありえないとのこと、その思い尊重いたします。
個人的な意見ですが、「思い」に正しいとか間違っているかというのはないと思っています。
あるとすると、苦しみを生んでいる「思い」かそうではない「思い」か。
前者だと生きづらいですね。
でも何も間違いではありません。
ブログでは苦しみを生んでいる思いを楽にすることを目的として書いております。
もし、私の言葉がより苦しみを生んでいるのでしたら、気にしないでくださいね。
私の個人的な表明ですので。
よっし~