先日のブログで、一見悪い要素に見えるものにも良い要素があると書きました。
なので、その要素を抑圧していると、その要素の良い面も同時に失ってしまいます。良い要素がないのではなく、自分で抑えてしまっているだけですね。
逆もしかりです。
一見良い要素に見えるものにも悪い要素があります。
つまり、どんな良いことをしても、悪影響は必ずあるということです。
ブログを書いていて、ふと思うことがあります。
ボクはできるだけ分かりやすく心の仕組みを説明することを目的にブログを書いています。
多くの人から分かりやすいと言われますし、ボク自身、説明上手なスキルを持っていると思います。
ただ、分かりやすいのも欠点があるんですね。
当人にとって、理解ができることが良いこととは限らないからです。
そのため、分かりやすいことでサポートを妨げていないかと思うこともあるんです。
ボク自身を振り返ってみて、投影の仕組みを理解するのに1年くらいかかりました。
まず、本にあまり書いてないし、セミナーで聞いても何となくしか分からなかったんです。
説明を聞いているうちは納得するんですが、それを他人に説明できる段階にはなく、いろんな疑問がありました。
その疑問を納得させるために、心理学のセミナーに通ったり、自己ワークを通じて答えを見つけてきました。
ボクにとって、今振り返るとその疑問こそ宝であり、安易に答えを求めずによかったと思います。もし、答えを求めて、ハッキリ理解していたら頭だけで理解して、体感で理解してなかったと思います。
投影の理解と共に試行錯誤して作り上げたのが、セルフワーク講座で使用しているワークシートであり、実は何度も改訂して、誰でも体感できるように作っています。
投影を理解するまでに時間がかかりましたが、それだけ自分の中で得るものがありました。
「分からない」ことこそ、ボクにとっては価値があったんです。
だから、優れた指導家は、本人に体験させるためにあえて説明しないこともあります。
ボクはそこまでは至っていないので、つい説明しちゃいますね。
「分かりやすい」という一見良いことでも、メリット、デメリットの両面があるということです。
これは、どの要素もそうなんです。
「いや、これだけは違う!」ってものもあると思うかもしれませんが、「善」だけで成り立っているものはありません。
原理的にありえないのです。(いや、そんなことはない!と思っている人はこの問いについて真剣に悩んでみてくさい。数カ月、場合によっては数年かかるかもしれませんが、ご自身の中で腑に落ちたとき、大きなプレゼントが待ってますよ♡)
「これは正しい!」「これは価値がある!」
実はこれが苦しみの元です。
もし、ボクが「分かりやすい」ことを絶対的に価値があるものと認めていたら、どういうふうに苦しむでしょうか?
「分かりにくい」ブログやセミナーや本に対して、腹を立てますね。
分かりにくく説明している人を「この人はダメだ」とジャッジします。
また、分かりやすく説明している人を尊敬し、その人と自分を比較します。自分を卑下するかもしれません。
そして、文章を読んで「分からない」と言われると、ムッとします。「なんでこの人は分からないんだろう」って思うか、「分かるように説明できない自分はまだまだダメだなぁ」って思います。
「分かりやすいこと」「分かりにくいこと」、その両方の価値を認めたうえで、「分かりやすく書こう!」だったら苦しまないんですね。結果的に、自分が思うように書け、他人の評価が気になりません。
なので、「分かりやすい」点のデメリットはあるにせよ、ボクは今後も分かりやすいブログを心がけていきますが、一つだけ読者の方に知ってもらいたいことがあります。
どんなに知識で理解しても、心地よい自分になることとは別物だということです。
ボクのブログだけでなく、どんな人のブログであっても、読むだけで心地よい自分にはなれないです。
内面を見つめる作業、抑圧した思い・感情・感覚を解放する作業が必要なんです。
なので、知識の習得だけでなく、実際にワークをしていただきたいなぁと思います。
そのうえで、ボクのブログ記事を理解の手助けにしていただければうれしいです。