池江璃花子選手に対する代表辞退や五輪の反対を求める声
競泳女子東京五輪代表の池江璃花子選手に、代表の辞退や五輪の反対を求めるメッセージが寄せられているニュースがありました。
これは境界線のよいテーマだと思ったので採りあげます。
引用します。
新型コロナウイルス禍で大会開催の是非について議論が白熱していることを踏まえ「オリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています」とした。その上で「持病を持ってる私も、開催され無くても今、目の前にある重症化リスクに日々不安な生活も送っています。私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません」と指摘した。
五輪については「私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています」と記した。
境界線越えに対する対応で境界線が適切に引けるレベルが分かる
この事例は分かりやすい境界線越えです。
このとき、境界線越えに対してどう対処するかによって、境界線が健全に引けているかどうかが分かります。
境界線が引けない人は、他者の境界線越えを受け入れてしまう
境界線が引けていない人によくありがちなのは、他者の境界線越えを受け入れることです。
この例ではたとえば次のように考えて悩んだとしたら、境界線越えを受け入れています。
「望まれていない五輪に出ても意味がないのかもしれない」
「五輪選手として、皆の批判を受け止めなきゃいけない」
「五輪代表選手なんだから、五輪のことを考えないとダメだ」
このとき、葛藤が起こり、競技パフォーマンスにもブレーキがかかります。
境界線が引けない人は、他者の境界線越えに過度に反発してしまう
もう一つのパターンが、境界線越えに対する過度な反発です。
「うるさい。外野は黙れ!」
「お前に関係ないだろっ!」
一見、境界線が引けているように思えるかもしれませんが、これは境界線が引けないことから生じる「過度の境界線引き」です。
メッセージの何が境界線越えか?
池江選手の事例のような極端な境界線越えは多くはないかもしれませんが、日常生活の中で境界線越えは頻繁に起こっています。
境界線が適切に引けない人は、他者の境界線越えに対し、受け止めて自責するパターンか、反発して怒るパターンで、ストレスをため込んでいます。
こういう傾向がある人は、適切に境界線を引けるようになることで、境界線越えのストレスは最小限にできます。
境界線が引けるようになるには、「何が境界線越え」かを知ることが大切です。
池江選手に対する代表の辞退や五輪の反対を求めるメッセージの何が境界線越えなのでしょうか?
できれば、この先を読む前に考えてみてください。
五輪の反対を求める声の境界線越え
「代表の辞退の声」と「五輪の反対を求める声」の2つを分けて考えましょう。
五輪の反対を求める声ですが、池江選手には五輪開催・中止を決める権限はありません。
権限がない人に責任を負わせようとすることが境界線越えです。
こちらは「責任の侵害(境界線越え)」です。
代表辞退を求める声の境界線越え
そして、代表を辞退するかどうかを決めるのは池江選手です。
池江選手には辞退するかどうかの権限があります。
では、池江選手が五輪を辞退するという決定をしたとき、その結果は誰が責任を負うのでしょうか?
代表の辞退を求める人が、池江選手の辞退後の人生の責任を取ってくれるのでしょうか?
取れないですよね。
仮に取りたくても取りようがありません。
池江選手は自分の人生を自分で決める権利があり、その結果責任を負っています。
池江選手の人生を大きく左右するような決定を要求することそのものが境界線越えです。
こちらは「権利の侵害(境界線越え)」です。
このような責任の侵害、権利の侵害はよくあるケースなので、まずは、それらが境界線越えであることを自分が分かっておいたほうがよいですね。
池江選手のコメントから適切な境界線を学ぶ
私は、池江選手のコメントを見て、本当に感心しました。
池江選手は、適切に境界線が引けている方です。
すごい人だなと思いました。
池江選手が発したメッセージから、適切な境界線を学んでいきましょう。
境界線越えの声の理解
池江選手は、代表の辞退や五輪への反対を求めるメッセージは境界線越えであることは分かっているでしょう。
しかし、そこに対して反発するでもなく、境界線越えが起きた背景を理解して、そこに寄り添ったメッセージをしています。
「オリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています」
それも仕方がないよねって、理解してあげて、寄り添っています。
五輪が開催されるかどうか分からない中で、池江選手は自分のことだけで精一杯のはずなのに、境界線越えのメッセージをしている人に対しても、思いやりを持てているというのは本当にすごいことです。
これだけで、池江選手は境界線がしっかり引けていることが分かります。
すごく重要なポイントですが、池江選手は境界線越えの声そのものに寄り添ってはいません。そこを肯定していません。そうではなく、境界線越えが生じた背景を理解して寄り添ってあげています。この違いが非常に大切です。
境界線越えであることをきちんと伝えている
「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません」
私には五輪中止の権利がないことをきちんと伝えています。
こういうふうに「私にはその権利や責任がない」ことをきちんと伝えることも大切です。
なぜなら、相手はそれが分かっていないのですから。
自分の領域に集中している
「私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています」
池江選手は、自分のやるべきこと(領域)に集中していることがこのメッセージで分かります。
適切に境界線を引いて、自分の領域で、自分が今やるべきことをがんばれる人が、境界線が適切に引ける人です。
池江選手であれば大丈夫だと思っていますが、境界線越えの声に悪影響を受けることなく、ベストな状態を発揮できるように願います。
五輪開催か中止かの問題は別問題
ちなみに、東京五輪を開催するかしないかの問題は別問題です。
今は反対意見のほうが多いように実感しますし、五輪を決める決定権者の方々の適切な判断が求められます。
そこの問題と、選手とは区別して考える必要があるでしょう。
周りの人たちの境界線越えに振り回されている人は、ぜひ境界線を学んでみてください。
境界線が適切に引けると、周りの人に関係なく、自分がやるべきことに集中できるようになります。