原因と結果の法則
「よい種をまくと、よい花が咲き、悪い種をまくと、悪い花が咲く」
原因があり、結果があります。
よい結果には原因があり、悪い結果にも原因があるというのが、いわゆる「原因と結果の法則」として知られているもので、自己啓発の原点であるとも言われています。
この派生が「引き寄せの法則」であり、違う言葉で同じ概念を語っているように思われます。
自分の人生は自分の責任
原因と結果の法則が成り立てば、自分の人生は自分の責任になります。
これを受け入れたら、自分の人生の主体者となり、自分の人生を「創造」しようとします。
人生の主体者となるとき、自分に力が湧いてきます。
これが自己啓発のエッセンスであると私は捉えています。
自己責任論のまずいところ
「自分の人生は自分の責任」という捉え方は、自分が主体的に生きることの原動力になるため、よい面がありますが、行きすぎると「自己責任論」になってしまいます。
自己責任論というのは、人生に生じるあらゆることを自分の責任だとしてしまうことです。
自己責任論のまずいところは、原因と結果について、原因を「自分の原因」と「それ以外の原因」の区別が付いていないことです。
それゆえに、かえって苦しくなっている人が見られます。
つまり、どういうことが発生するかというと、人生のあらゆることを自分の責任だとする人は「自分以外の原因」まで「自分の原因」だと考える「境界線越え」が起こります。
そうなると、的外れな努力をがんばって人生を無駄にしたり、的外れな罪悪感や自己否定感を持って苦しむことになります。
結果として、人生の停滞を生みます。
自己責任論は境界線が引けていない
たとえば、今のコロナ禍で、働いている業種によって影響を大きく受けているところと、そうでないところがあります。
飲食業、観光業、イベント業、タクシー業、対面営業などは大きく影響を受けています。
自分以外の原因まで自分の原因だとする人は、「自己責任論」を説きます。
たとえば、極端に言えば、観光業で働いていることすら「自己責任論」に片づけるのです。
これは境界線の区別が付いていないことに起因しています。
つまり、自分の責任と他者の責任範囲の区別が付いていないのです。
「境界線を引く」とは自分の責任範囲と他者・その他の責任範囲との区別を付けること
他者責任論も境界線が引けていない
「自己責任論」の反対が、自分の人生の責任を他者のせいにする人です。分かりやすく「他者責任論」にしましょう。
他者責任論も「自分の原因」と「それ以外の原因」が区別できておらず、自分の原因まで自分以外の原因ととらえます。
これも境界線がまったく引けていません。
確かにコロナは自分の責任ではありません。
しかし、自分の業種がコロナで大きなダメージを受けたので、すべて政府に補償を要求するというのは、責任を他者に委ねています。
自分の責任範囲で前向きにできることをやっていく
では、自己責任論でもなく、他者責任論でもなく、どうすればよいのでしょうか?
自分の責任範囲と他者の責任範囲の区別をして、自分の責任範囲の中で試行錯誤していくことだと私は思います。
コロナでダメージを受けたことについては自己責任ではありませんから、それは仕方がありません。
その中で、今できることをやればよいと思います。
できることはたくさんあります。
- 政府が支援していることを「自ら探し、自ら求める」
- 今の状況の中でできることはないかを模索する
- 前向きな改善点があれば取り組む
- 取り組んだことが失敗したら、原因を分析し、次のチャレンジに活かす
- コロナが落ち着くまで、別の仕事に就く
自分ができることをやっていく
いろいろなやり方がありますが、自分ができることをやっていこうと自分の領域に集中できる人は、困難な状況でも何とか道を切り開いていき、それを自分の糧や成長に結びつけています。
他者ができていないことばかりに目が行くと
自分ができることを考えず、他者の領域ばかりに目を向けるとできていない点が目につきます。
政府の支援はたくさんあるのに、「助けてくれない」と嘆き、「政府は支援を周知させる努力をしていない」とか「教えてくれなかった」とか、「支援が足りない」などと感じるのです。
しかし、境界線を適切に引いて、自らの範囲について自己責任で捉えている人であれば、コロナそのものは政府の責任ではないにも関わらず、支援をしてくれていて、そこに感謝があるでしょう。
世の中にはたくさんの「助け合い」「共助」があり、そこに対する愛と感謝に目が行くでしょう。
同じ世界を見ていても、愛や感謝をそこに見る人と、不満や不公平を見る人の違いがあります。
境界線が引けていない人の自己責任はかえってマイナス
自己責任そのものはよい点はたくさんあるのです。
自分の責任範囲で自分で責任を取るというのは、私は大賛成です。
但し、境界線が適切に引けていない人の自己責任はかえってマイナスになることを理解しておく必要があると思います。
原因分析が的外れに終わる
たとえば、コロナ禍で飲食業に就いていて収入が減ったことについて自分の責任ではないにもかかわらず、人生の選択そのものを自分の責任だとすると、それも自己責任と捉えることになります。
このような自己責任論では、原因分析がまともに機能しません。
- 職業選択を誤った
- 運が悪い
- 先が読めない自分がダメ
- 日頃の行いが悪かったから
- 以前、何かをしたことがまずかったのかも
オカルトレベルの原因分析になることが多く、「運」とか「縁」とか、そういった非常に抽象的な原因分析になってしまいます。
それでは、まともな対策は取れません。
自己否定や罪悪感にとらわれる
そして、次のことが大きな問題になるのですが「自分が悪い」と自己否定にとらわれてしまうのです。
これが最もまずいことだと思っています。
「自分が悪い」と自己否定にとらわれているとき、その原因が合理的な理由かつ自分で改善可能なことであれば、原因を知り、改善すれば自己否定はなくなります。
しかし、自己否定の原因がそもそも的外れであれば、意味がない自己否定になります。
誤解を解けば不要な自己否定は消える
このような自己否定を解くにはその誤解を解く必要があります。
私自身が自己否定している人を見ていて感じるのは、ほとんどのケースが的外れな原因で自己否定しているということです。
適切に境界線が引けるようになって、自分の責任範囲とその他の責任範囲の区別ができるようになれば、無駄な自己否定はなくなります。
そのため、自分の責任範囲と自分以外の責任範囲の区別をつけられるようになることが大切だと思っています。
自分がコントロールできる範囲と自分がコントロールできない範囲の区別も大切です。
自己否定の状態では前向きなエネルギーがでない
自己否定の状態では「自分でできること」ができなくなってしまいます。
まず、視野が狭くなっているので、やれること・やるべきことが見えなくなります。
そしてさらに悪いことには、仮にできることが見えたとしても、やる気が起きないのです。
そのため、他者が親切で「できること」を教えたとしても、本人が受け取れないということが生じます。
つまり、自分の責任範囲において「自己責任」が身についている人は、前向きな考えや行動ができるのですが、自分以外の責任範囲まで「自己責任」だとしている人は、前向きな考えや行動に至らないのです。
自己否定によってエネルギーが湧いてきません。
大切なことは適切な境界線が引けるようになること
もちろん、自分の責任範囲でも「他者責任」だとする人も苦しいです。
そういう人は被害者意識にまみれ、「○○がやってくれない」「補償が不十分だ」「誰も助けてくれない」「誰も私のことを分かってくれない」「こんなに苦しんでいるのに味方はいない」・・・などと嘆くのです。
大切なことは、自分の責任範囲と自分以外の責任範囲の区別が適切にできることです。
つまり、適切に境界線が引けるようになることです。
人生の創造者はあなたであるという意味
「人生の創造者はあなたである」
もっともらしい言葉ですが、私たちが人生のすべてを創造しているわけではありません。
そこの区別をきちんと付けた上で、自分が主体的にコントロールできる部分を増やしていく努力はできます。
それができれば、人生をより前向きに創造できる割合が増えてきます。
それが「人生の創造者はあなたである」という意味だと私は捉えています。
まとめ
大切なことをまとめます。
- 自分の責任範囲と自分以外の責任範囲を適切に区別する
- 自分がコントロールできる範囲と自分がコントロールできない範囲を適切に区別する
- 自分の責任範囲において、自分が主体的に前向きな影響を及ぼせる範囲を増やしていく
ぜひ、適切な境界線を引くことを身につけてほしいと思います。