せっかくスピリチュアル宣言したので、関連するメッセージを。
保毛尾田保毛男のメッセージ
9月28日に放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」で石橋貴明さん扮する「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」が復活し、視聴者から批判が殺到しているようです。
スポンサーが降板する話もあり、フジテレビの社長が謝罪するという事態になりました。
LGBTは個性であり、そのことに1ミリも恥じる必要はありません。
これは単にLGBTの問題ではありません。
時代の象徴としてあるだけです。
皆さんの中のありのままを出してください。
どんなに差別や批判が予想されようが、もう抑圧するのはやめてください。
ありのままを出しても大丈夫な時代になっています。
ありのままを出せば出すほどうまくいく時代になっています。
自己犠牲の愛
※写真は一緒に行ったセラピストの仲間たち
先週金曜日から3日間、ハートレジリエンス協会の東北支援活動の一環として気仙沼にボランティアセッションに行きました。
守秘義務があるので内容は話せませんが、私がセッションした人たちのほとんどの方が「自己犠牲」を抱えていました。
皆こころが純粋で、自分よりも相手を大切にする自己犠牲の愛を持っていました。
もちろんそれは愛の一形態ではありますが、時代遅れの愛です。
今の時代にふさわしい愛の形態ではありません。
大切なのは自己愛です。
自分をおざなりにして他者に与える愛よりも、もっとよいものがあることを知ってください。
自己愛と他者愛は両立する
自分を大切にすることと、他者を大切にすることは両立します。
もちろん、部分的には両立しないことはあるでしょう。
そのときは自分を優先してください。
結果的に、自分にとっても、他者にとっても恩恵が大きくなります。
自分を大切にすればするほど、人生は輝いてきます。
自分の感情を大切にする
自分を大切にするのはいろんなことがありますが、自分の感情を大切にすることをやってみてください。
ポジティブな感情を受け取る
うれしい、楽しい、ワクワク、感謝といったポジティブの感情をきちんと受け取りましょう。
思いっきり楽しんでいいです。
あえて楽しみを受け取らない人がたくさんいます。
「受け取る」ことは今の時代の大切なキーワードです。
周りが大変だったり、つらそうにしていると、自分だけが楽しむことを遠慮してしまいます。
楽しんで自分を満たしているほうが、よほどその人たちによい影響を与えることができます。
自分が楽しむことを抑えて、周りに合わせていたら、皆苦しくなって沈没してしまいますよ。
ネガティブな感情を大切にする
そして、怒りや悲しみ、不安や恐怖などのネガティブな感情がダメなものというのは大きな誤解ですので、それを解くことが私の一つの役割だと思っています。
それらを本当に大切にしてほしいです!
これらを心の奥にしまいこんでいるから、苦しいんです。
人生に希望がないんです。
人生が色あせるのです。
生きている意味がないと思って、死にたくなるんです。
役立つツール
それらの感情を感じることはつらいと思います。
フォーカシングはそれらとうまく付き合っていけるようになるよいツールだと思います。
ネガティブな感情があっていいんだと思えたら最強ですよ。
その大きな助けとなるツールがRFTです。これもフォーカシング同様素晴らしいツールです。
今週末のEFT講座ではネガティブな感情の素晴らしさをお伝えし、自分を制限しているものを解き放つやり方を学んでいただきます。
それには感情解放が大きく関わっているため、EFTが強い助けとなるのです。
抑圧しているものに愛を向ける
もう一つ、大切にしてほしいのが、自分の中にある闇の部分です。悪の部分です。抑圧している部分です。
ネガティブな感情もそうですね。
抑圧しているものは人それぞれです。
自己犠牲の愛をやっている人たちは、ピュアな人が多いと思います。
だから、自分を犠牲にできるのです。
そういう人たちは、他者への愛を向けるのではなく、自分が抑圧しているところへ愛を向けてみることを意識してください。
ピュアな人はそれができやすいと思います。
それができればできるほど、自分への愛だけではなく他者への愛が増えていきます。
自己犠牲の愛よりもはるかに素晴らしい世界が開けるでしょう。
以前からLGBTの方達が人権を主張しているのを見ていると不思議に思うのですが、
ロリコンの人はどうですか?
LGBTの方達は「差別しないでくれ、存在を認めてくれ」と訴えても、社会が受け入れてくれるようになってきました。
同じ性癖という意味ではロリコンも性癖ですよね。
でもロリコンの人がカミングアウトしたり、存在を認めてもらおうとしても無理です。
個人的にはロリコンの人なんて存在していて欲しくないのですが、自分がロリコンに生まれてしまったらどうやって生きていけばいいのだろうと思います。
ロリコンの人も恥じることなくありのままを出して良いのでしょうか。
他にも色んな性癖の人がいるのに、LGBTの人たちだけが強く自己主張して、世の中に受け入れられていることに違和感みたいなものがあります。
ちこぽんさま
こんにちは。よっし~です。
まず、LGBTの人たちは性癖ではなく資質です。性癖と資質は違いますのでロリコンとは別の次元の話だと認識しています。
そして、性癖については私は詳しくないですが、何かを抑圧している精神的な面から来るものと、嗜好的な面から来るものが合わさっているように感じます。
資質と違って変化ができるようなものではないかと推測しています。
あと、ロリコンを恥じることなく出すというのが違うというのは説明しなくても分かりますよね。
私はそういった意味で言っているわけではありません。
それをありのまま出せと言っているわけではありません。ロリコンであったとしたら、それを行動に移すことは犯罪です。
それをしてはいけないというのは当然のことで、言わずもがなです。
ですが、ロリコンを否定するのもまた違います。
自分のロリコン要素を抑圧すると余計に苦しくなります。抑圧すればするほど、ロリコンが頭から離れなくなります。
かえってロリコンに縛られてしまうのです。
この場合、ロリコンであることを自分で認め(他者にオープンにする必要はないですよ。波風が立つのは分かりきったことですから)、自分の中で消化していくことでロリコンに縛られなくなるのです。
あるものをないものにしようとすることが苦しみを生むのです。
たとえば、サクランボが好きだとします。でも、サクランボを食べなくても平気じゃないですか?
ロリコンも一緒です。ロリコン要素があるなぁ。認めておしまい。
それを実行に移したくなるまでエネルギーがたまったら異常です。サクランボの例であれば、サクランボを毎日食べないといられないとか、サクランボ農家に忍び込んで盗むとか、そういうレベルのことです。
そういった異常な部分を嫌悪するのは当たり前ですよね。
性癖は他者に迷惑をかけないという原則でお互いに楽しむのは何も問題ないと思います。
オープンにしたら不快な人がいるのは分かると思うので、秘密にするのがある意味ルールです。
ロリコンが嫌なのは、子どもたちがそういう対象で見られたり、扱われるのが嫌だからですよね。嫌なのは当たり前です。
でも、それを排除しようとすればするほど、ロリコンの嗜好を持っている人が抑圧し、余計にロリコンに縛られ、結果的に社会に迷惑がかかるようになります。
ロリコンを社会が認めなさいと言っているわけではありません。それは無理ですし、そんな社会は嫌ですよね。
そうではなく、自分の中で抑圧を緩めることです。
そうすれば、サクランボ好きだけど、食べなくてもいいよね。というようになるのです。そこに縛られなくなります。結果的にロリコン嗜好は弱まるでしょう。
ただ、LGBTはそういったものではありません。異性が好きというのが変わらないように、資質的に同性が好きというのは変わりません。
それなのに、ずっと我慢して生きるのはすごく苦しいでしょう。
それをオープンにして生きられれば、異性愛の人が当たり前に思っている権利を得られることになります。それを社会的にも認めていこうという今の時代の流れは私は素晴らしいものだと感じています。
お返事ありがとうございます。
自分のモヤモヤがうまく説明できなくて、ロリコンの人を引き合いに出してしまいましたが、
LGBTの方達だけが、声高に権利を主張していることに、違和感があるみたいです。
もしもLGBTが「自分はありのままでいいんだ」と心から思っているセルフラブの高い人なら、自分たちを受け入れろとデモをしたり、保毛尾田保毛男にクレームをしたりしない気がするんです。
被差別意識があり、自分の存在に自信が持てないから、世の中の方に変わってほしい、
「あなたはそのままでいい」と社会にお墨付きをもらいたい故の行動に思えます。
その気持ちはよくわかりますが、世の中の方に変わってほしいと声高になるほど「ウザイ」とか「だからLGBTは嫌われるんだ」とネットで言われてしまっています。
表面的には社会に受け入れられ始めているように見えて、腫れ物を扱うように気を使われ、差別心のある人たちからはますます反発を強めているように思います。
それに引き換え、自分がロリコンであることを受け入れて、二次元などの趣味で自分を満たし、人に迷惑をかけないように、静かに暮らしているロリコンの人に対する援助は何もないのかなあ、と思った次第です。
ロリコンの方が深刻な問題なのに、相談できるような窓口はなさそうなので。
今回のブログにはほとんど関係ない話を書き込んですみませんでした。