自己責任論
「自己責任論と境界線」という記事で、自己責任論は境界線が適切に引けていないことで生じると書きました。
自己責任論とは、簡単に言えば「自分が置かれた状況は自分の意志による選択の結果であり、自分の責任だ」というものです。
たとえば、非正規職に就いて解雇されて経済的に困窮したとしても、それは自分が選んで非正規職に就いたのだから自己責任になるという考え方です。
どこまでが自分の責任?
問題は、どこまでが「自分が関与している部分」でどこまでが「自分とは関係ない部分」かということです。
自分が関与している部分では自己責任が成り立ちます。
しかし、自分とは関係ない部分では自己責任は成り立ちません。
昨今の「自己責任論」は自分とは関係ない部分までも自己責任とするように見受けられ、そこに批判があります。
責任を過剰に負ったときの問題
自分とは関係ない部分まで自己責任にしてしまうと、次のような問題が生じます。
うまくいかないことを自分の責任にしてしまう
罪悪感を抱えてしまう
自分ではコントロールできない部分を何とかしようとしてしまう
やる気を失ってしまう
適切に境界線を引く
「自分が関与している部分」と「自分とは関係ない部分」をきちんと区別できれば、つまり、境界線を適切に引くことができれば、的外れな自己否定や罪悪感、無力感に陥ることはありません。
自己責任そのものは大切
自己責任論に対する批判があるとき、自己責任そのものがまずいわけではありません。
自分の人生に対して責任を負うという心がけは主体性を生みます。
仕事だと分かりやすいかもしれません。
自分に責任がない仕事は必要最小限にしかやらないでしょう。
しかし、自分に責任がある担当の仕事であれば、熱心にやるでしょう。
責任があるかないかで行動が全く違ってきます。
仕事相手が無責任な人であれば不安になったり、嫌だと感じるのは自然なことでしょう。
責任感を持つことは大切ですが、問題は本来不必要な責任を背負い込んでしまうことです。
ほとんどの人が不必要な責任を負っている
そして、不必要な責任を背負い込んでいる人は多くいるというか、ほとんど全員と言っても過言ではありません。
そのくらい、自分の責任とそれ以外の責任の区別がついていないと実感します。
それだけ、境界線を引くことは難しいんですね。
存在価値との境界線
どうして、適切な境界線が引けていないかというと、根本的な境界線が引けていないことに行き着きます。
それは「自らの存在価値」と「何か」を一緒くたにして結びつけてしまっているのです。
能力主義とは
たとえば「自らの存在価値」と「能力」を混同しているときに、「能力主義」が生まれます。
このとき、能力があって世の中に貢献できることを自分の価値とします。
そして、価値の対価として金銭や名声や評価などを得ることを自分に許可します。
能力主義の問題点
能力主義の場合、能力が劣っている場合は劣等感になります。
能力がなくて世の中に貢献できない場合「自分には価値がない」と感じます。
価値がないのに誰かから金銭や評価を受け取ると「申し訳ない」と思います。
受け取ることを自分に許可できていません。
繰り返しますが、能力主義の場合「自らの存在価値」と「能力」の境界線が引けていないのです。
そのため、能力に一喜一憂し、能力を高めることで優越感や安心感などを感じ、能力が足りないことで劣等感や罪悪感や焦りなどを感じます。
また、自分の能力を証明できるもの、たとえば「学歴」や「資格」や「職業」「勤務先」「賞」「評価」といったものを自分の価値に結びつけます。
無意識で見下してしまう
そのものさしがある限り、能力が低い人を内心、下に見ることになります。
とはいえ、下に見ることは「ダメ」と禁止している人が多いですから、その思いは抑圧されることになります。
抑圧されていてもなくなっているわけではないため、自分とは関係ない他者が能力が低くても気にしませんが、たとえば自分の子どもと付き合う相手では気になってしまいます。
不必要な感情
能力がないことで劣等感や罪悪感を感じる場合、これらの感情は不必要な感情だと私は捉えています。
不必要な感情というのは「本来感じる必要のない感情」という意味です。
もし、自分の存在価値と能力の境界線が引けていれば、能力に関して劣等感や罪悪感は感じません。
能力を上げる必要があれば、劣等感や罪悪感なく、能力を上げることに取り組んだり、あるいは能力がある人に手伝ってもらったりします。
劣等感や罪悪感がなくても、必要があれば取り組みます。
必要がなければ取り組みません。
ところが、劣等感や罪悪感があると、必要があっても取り組みにくくなります。無駄なところでエネルギーを使ってしまい、取り組めなくなったり、取り組みすぎて疲れ果ててしまいます。
存在価値は条件付?
世の中には不必要な感情で悩まされている人がいかに多いことでしょうか!
それは、結局、自分の存在価値と何かを結びつけていて、何らかの条件で自分の存在価値が上下すると思っていることに行き着きます。
先ほど挙げたのは「能力」という条件ですが「容姿」とか「お金」とか「健康」とかたくさんあります。
そもそも、存在価値を条件付だと思い込んでいるんですが、それは本当でしょうか?
適切に境界線が引けている人は、そこの理解がある人です。
言い換えれば、存在価値とは無条件であることを腑に落としているということです。
「じゃあ、どうやって自分の存在価値と何かを結びつけないようにできるの?」
という質問があるかもしれませんが、そこは是非ご自身で考えてほしいんです。
悪戦苦闘すると思いますが、腑に落とすにはそのプロセスが非常に大事だと私は感じています。
もちろん、ただ悪戦苦闘するだけではしんどいので、セミナーやセッションで直接サポートしたり、ブログやメルマガなどで、より本質的な境界線が引けるような考え方やヒントをこれからも書いていきますね。
★【無料オンライン講座】境界線入門講座動画を無料提供しています
★【メールマガジン】メルマガでは第一第三金曜日にブログ記事とは異なる濃い情報を書いています。ぜひご登録ください!
※Amazonで書籍を販売しております
★【2019年9月発売】自分をダメ人間と責めることを終わりにするための本です!
「ダメ人間の終わり」
★【2019年9月発売】投影・ビリーフなどの心の仕組みを徹底解説しています!
「HSP・繊細な人が苦しみを楽にして自分らしく生きる方法」
★【Amazon販売中(2017年)】生きづらい人が心地よく生きられる秘訣満載です!
「本当は傷つきやすい人たちへ」
Kindle Unlimitedで上記3冊が無料で読めます!