前回のブログに引きつづいて、努力について書きます。
今の社会は「努力」というのがとても重要視されています。
「努力=価値あるもの」という方程式ができ上がっていて、ボクたちは小さいころから大人になっても、親や学校、会社、メディアなどから絶えず刷り込まれています。
努力が大事であることはもちろん一理あります。でも、そのせいで犠牲になっていることもたくさんあります。努力できない人や結果を出せない人は苦しむことになります。その苦しみをバネにして、もっと努力させて、社会に役立つ人間をつくり出そうという社会の無意識のプレッシャーがあります。
結果、本来は味わう必要のない苦しみを抱えることになります。
だから、ボクは「努力しなくていい」「がんばらなくていい」と説きたいのです。
「努力」の価値観が染みついている現代人は、もっとがんばらないことを目指したほうがよいと思います。そのくらいでちょうどいいのです。
でも、「努力」の大切さが浸みこんでいる人は、「がんばらなくていい」と言われても反発するだけでしょう。
だから、あえて、良い努力と悪い努力に分けて考えてみます。
本来、「良い」「悪い」なんてないのですが、便宜上、使わせてもらいます。
ボクが考える良い努力とは、自分や現状を肯定したうえでなされる努力です。
悪い努力とは、自分や現状を否定したうえでなされる努力です。
なぜ良い努力かというと、苦しくないからです。後者は苦しみを生み出すのです。
後者は、未来のために「いま」を捨てています。未来の理想を夢見て、努力しています。人生は「いま」の積み重ねです。「いま」を犠牲にする生き方では未来でも「いま」を犠牲にしてしまいます。仮に目標をかなえたとしても、満足は一時的で、また不満を抱き、新たな目標を設定し、「いま」を犠牲にし続けます。
学校の勉強が嫌なら別にやらなくたっていいと思いますよ。勉強はやりたくなったときに始めても遅くないです。別に一流大学に行く必要はありません。
会社だってそうです。定年後を見据えて、今を犠牲にする毎日を送っても苦しいだけでしょう。
今が病気の人は、病気が治った未来のことを夢見るのではなく、病気をしている「いま」を幸せに生きることにフォーカスしたほうがよいです。
世間の価値観に合わせて、そこでの勝ち組を目指そうとすると苦しいですよ。競争で「いま」を犠牲にし続ける一方です。
それが悪いことではないんですよ。それを楽しんでやっていれば別にいいんです。でも苦しんでまでやることなのかなと思います。
結局、現状ではダメだという否定があるんです。だから、がんばらなくっちゃって思うのですが、仮にがんばっても現状否定は収まらないんです。だからずっと否定し続ける人生になります。それはとっても苦しいですよね。
でも、それを選んでいるのは自分なんです。自分で自分を否定しているだけですから。
自分を肯定するのに条件なんてないんですよ。どんなに貧乏だろうが、才能や能力がなかろうが、モテなかろうが、関係ないんです。自分を好きになるのに本当は条件なんていらないんです。条件つきで自分を好きになる人は、その条件が外れれば自分を嫌いになるわけですから、いつまで経っても本当の意味で自分を好きになれないんです。
本当の意味で自分を好きな人とは、無条件で自分を受け入れられる人です。現状を受け入れられる人です。
そうなれば、自然に良い努力になります。それは「努力」と呼ぶにはふさわしくないかもしれません。
ただ、したいからやる、好きだからやる、興味があるからやる、直感やハートが指し示すからやる。もちろんやりたいことだけをやれるわけではありませんが、自分を肯定していれば、やるべきことやめんどくさいことでも淡々とやれるようになります。
今回のブログのことは、詳しい内容を本「願いがかなわなくても幸せになれる」に書いていますので、興味があればぜひご一読ください。
そして、カウンセリングで自分自身と現状を肯定できるようなセッションを行っています。悩みや問題を解消するたびに、自分が嫌だと思っていることが自然に受け入れられるようになります。
そうすれば、悪い努力を罪悪感なく手放せ、良い努力が自然にできるようになります。