自分軸で生きていたつもりが他人軸の人生だった
私は人生の長い間、他人軸で生きていました。
他人軸と自分軸とは
他人軸とは他者と比べて自分はどうかが基準になっていることです。
自分軸とは自分がどうしたいかを中心にしていることです。
他者が評価するものの中から選んでいた
私は学生時代から自分軸で生きていたつもりでしたが、実態は他人軸でした。
自分で決めていたことは、他者が評価することの中から選んでいました。
世間の価値観で優れていること、世間が認めること、周りの人がすごいと思ってくれること、それが大前提にあって、その中から自分の興味があること、個性に合っていることを探し、選択していました。
一見、自分の興味があることをやっているので、自分軸で生きていると勘違いしていました。
真の自分軸は、他者の評価や価値観を気にせず、自分の評価や価値観で生きることです。
自分の価値観とは自分のハートと言えます。
価値観は2つに分けられる
価値観は「こうあるべき(あってはいけない)」と「こうしたい(したくない)」と2つに分けられます。
前者を「自分を制限する思い込み(以下ビリーフ)」と呼び、後者を「ハート」と呼びます。
自分軸で生きるためにはビリーフを緩めること
自分軸で生きるためにはビリーフを緩めることが鍵になります。
ビリーフを緩めるというと、ビリーフをなくすということと誤解される人も多いと思いますが、そもそもビリーフをなくすことは不可能です。
たとえば、「赤信号を渡ってはいけない」というビリーフがあって、それをなくすことはできないでしょう。
ビリーフがあっても問題はありません。
苦しみになるのは、それが強すぎるときです。過剰な恐れがくっついているときです。
赤信号を渡ることにものすごく強いストレスがあるとしたら、日常生活が不便になります。
過剰な恐れや執着を手放す
ビリーフを緩めるとは、過剰な恐れや執着となっているものを緩めましょうということです。
ビリーフが緩めば、自然にハートで生きることができます。
私はこうしたいという行動を取ることができます。
恐れ対ハートは恐れが勝つ
恐れや執着とハートが対立したとき、ほとんどのケースで恐れや執着が勝ちます。
恐れを回避したいという欲求は、やりたいことをするという欲求よりも優先されます。生きるためには、やりたいことをやるよりも、恐れを回避することのほうが重要だからです。
恐れが少ない状況だから、やりたいことができるのです。
恐れとハートの葛藤はストレス
ビリーフ(恐れ)とハートが対立したとき、たとえば、「自分の意見を言ったら嫌われる」と「自分の意見を言いたい」という2つの思いがあるとしましょう。
このとき葛藤が起きます。言いたいけれど言うと嫌われるというときストレスが生じます。
ビリーフが勝って、自分の意見を言いたいけれど引っ込めたとしましょう。言いたいことを引っ込めるのはストレスなので苦しくなります。
葛藤をなくすためにハートを引っ込める
私たちは葛藤のストレスを嫌がるので、葛藤そのものを起こさないようにしようとします。
どうせビリーフが勝つのであれば、ハートの方を引っ込めます。自分の意見を言いたいという思いをあきらめて引っ込めます。
そういう思いがなくなれば、自分の意見を言わなくても平気になります。
ハートを引っ込めるとどうしたいかが分からなくなる
ところが、そうすると別の問題が生じます。
自分がどうしたいかが分からなくなるのです。
散々ハートを引っ込めてきた代償です。自分がどうしたいかが分からない場合、これまでハートを散々引っ込めてきたためであり、その状態でハートを知りたいと思っても無理な話です。
ハートを知りたいのであれば、葛藤というストレスをも受け入れることです。
ビリーフとハートが対立することを許すことです。
恐れや執着を癒していくこと
そして、ビリーフ、つまり恐れや執着を癒やしていくことが必要です。
できるだけハートを優先させてあげないと、ストレスが大きくなります。
ハートが開くことの副作用
ハートが開いた人の副作用があります。
これは知っておいたほうがよいと思います。
ハートが開くと、ハートに背くことに対して多大なストレスを感じるようになります。
嫌なことをすることへの耐性が格段に落ちます。
ハートに背くと現れる症状
多くの人に現れる症状は、エネルギーダウンです。エネルギーがすごく下がり、体調不良になります。
敏感な人ほどエネルギーダウンを感じやすいでしょう。
鈍感な人はあまり気づきませんが、肉体の不調、病気という形で現れます。
私自身、もはやハートで生きないと生きられない不自由な身体です(笑)
ハートで生きるのは始めは楽ではない
ハートが開いた人は、ハートで生きるしか道がありません。
ハートの道は素晴らしい道ですが、万人向けではないのかもしれません。勇気が必要です。決意が必要です。
「私はハートで生きる!」「他人軸ではなく自分軸で生きる!」という強い決意と覚悟が必要でしょう。
中途半端な気持ちであれば、むしろ葛藤のストレスが増えるので余計苦しくなります。
決して悪い意味ではなくて、覚悟がないときはハートで生きないほうがよいと思います。
ハート=楽な道、キラキラな道というイメージを持っている人もいらっしゃると思いますが、ポジティブ面だけではなくネガティブ面もあることを理解しておいたほうがよいでしょう。
自分軸で生きることが苦ではなくなった人(恐れや執着を減らした人)にとってはハートで生きることは楽でスムーズです
他人軸は主従が逆転している
他人軸というのは、自分の評価を他者や世間の評価で決めることです。
他者や世間が認めることを満たすため、自分の評価を高く認めるというものです。
学校教育の例
分かりやすいのは学校教育でしょう。高校、大学は偏差値によってレベルが分けられています。偏差値が高い=頭が良い=価値がある、という世間の価値観があって、その価値に従って、偏差値の高い学校に入学することが自分の価値に結びつきます。
偏差値の高い大学に入学(卒業)できれば、就職が有利になります。お金を稼ぐという点で有利になり、その後の人生が有利になります。
そういう認識が一般的にあるため、その価値観を前提とするのは無理もないでしょう。
しかし、偏差値というのはただ難易度を表すだけに過ぎません。
教育の本質は、何を学ぶかということです。
これを学びたいからこの学校を選ぶという選択こそ本質的なものです。
「すごいと認められる」「後の人生が有利になる」「親が喜ぶ」「自慢できる」「チャンスが広がる」などは副次的なものに過ぎず、他人軸であれば、主従が逆転するので、人生がつまらなくなります。
したいことが主でおまけは従
したいと思うことそのものが主です。それをやったときにくっついてくる特典は従です。おまけはあくまでおまけです。
自分軸で生きるにはおまけにつられないことです。
おまけが逆に不都合なものであっても気にしないことです。
したいことそのものをただ追求することです。
おまけが不都合でもハートを選ぶ人が自分軸で生きる人
ハートが世間から認められないものであったとしてもハートを選ぶのが自分軸で生きる人です。
世間の非難や批判を浴びても、バカにされようとも、味方が誰もいなくてもハートを貫ける人が自分軸で生きる人です。
ハートで生きることそのものの喜び
勇気と覚悟が必要ですが、ハートで生きたときについてくるおまけは大きいですよ。
人生の「実」そのものを食べているので、生きる喜びを味わえます。
他人軸で生きて、いくら世間が認める成功を収めたとしてもつまらないでしょう。真の満足感は得られないでしょう。
真の満足感は魂の欲求を満たすことでしか得られないからです。
誰かのためにやる喜びはハートか他人軸か
他者の期待に沿おうとして自分の行動を決めることは他人軸です。
しかし、他者が喜ぶから他者のためにがんばることは他人軸でしょうか?
他者が中心だから他人軸なのか、それとも喜びでやっているからハートなのでしょうか?
たとえば、恋人や子どもの喜ぶ姿が見たくて何かをするというのは他人軸かもしれませんが、ハートでやっているように思えます。
一つの区別は喜びが動機か、恐れが動機かということですが、もう一つの区別があります。
それは行為そのものが喜びか、結果が喜びかということです。
ハートは行為そのものが喜び
ハートは行為そのものが喜びです。
相手に何かをしたとき、相手が自分の期待に反して喜ばなかったとしましょう。
ハートであれば、大きな負の反応は起きません。
もちろん、喜んでもらいたかったので喜んでもらえなかったのは残念ですが、それは相手の都合、相手の問題であることが分かっています。
自分がそうしたかったからそうしたので後悔しません。
しかし、相手が喜ばないことに大きな負の反応が起きたならば、結果そのものが大事であったことになります。
何かをしてあげたことに対して感謝がないと腹を立てるのは、そもそも本当はやりたくないことをしているからです。
となっているのです。
自分軸で生きるためのヒント
自分軸で生きるためのヒントをお伝えします。
自分軸で生きる人は、評価基準が自分です。
他人軸で生きる人は、評価基準が他人です。
自分で評価することで完結するので、自分軸で生きるほうが本当は簡単です。
自分がOKを出せればよい
算数のテストで20点で、平均点が80点であっても、自分がそれにOKを出せれば何も問題はありません。
このとき、算数に情熱がなければ20点でも平気でしょう。
20点なりに算数の楽しさを感じていければ何も問題ありません。
80点の人が90点を取るよりも、20点の人が40点を取るほうがよほど価値のあることかもしれません。
あきらめることの大切さ
全部の点数を80点以上取らなければいけないと思うからしんどいです。
才能があって簡単に80点以上取れる人ならしんどくないですが、そうでない人にとってはあきらめたほうが楽です。
才能がある人をうらやんでも仕方がありません。
絶対値で評価されがちですが、むしろ伸びしろが多い方が成長という意味ではポジティブです。
ハートはあきらめないこと
全部をあきらめてしまうと、無気力になってしまいます。
そうではなく、自分がやりたいことはあきらめずに追求するとよいでしょう。
情熱がある分野で平均点が50点のところ90点取ったとします。
他人軸ではすばらしいことで満足できるものでしょう。
しかし、本人の基準が95点だったとしたら、悔しさを感じるでしょう。
それでもよいのです。悔しさがより情熱の炎を燃やすでしょう。
こだわるところとこだわらないところ、あきらめないところとあきらめるところを見極めることが大切です。
為末大「諦める力」
前向きにあきらめることの大切さについてもっと詳しく学びたい方は、為末大さんの「諦める力」を読むことをオススメします。
自分軸で生きるための参考になるでしょう。
自己評価に根拠など必要ない
自分がつける点数に根拠など必要ありません。
根拠を必要とするのは他人軸で生きている人です。
自分軸は自分の主観なので、「自分がそう感じるから」でおしまいです。そこに他者を納得させる理由など不要です。
やりたいからやる。ただそれだけです。
私がこれでいいと決めたからこれでいい。ただそれだけです。
自分の楽しみは自分で決める
自分がやりたいこと、楽しいと感じることは自分の感性です。
他者の感性に合わせないでください。
自分の楽しみは他者が決めることではありません。
自分が楽しいと思うことに自分が良しとすることが大事です。
感性を変に思われたとしても、自分の感性をそのまま肯定してあげましょう。
自己評価は自分で決めるもの
自分の評価もあなた自身が決めれば良いのです。
世間的にどれだけ劣っていようが、自分が自分を素晴らしいと決めれば良いのです。
証拠など必要ありません。「無条件」でただ私がこうと決めたからでOKなのです。
自分軸とは、基準を自分で決めている人のことです。
素晴らしい自分を、他でもないあなた自身に過小評価させないでくださいね。
自分自身の最高の理解者、味方でいてください。
世界中の人があなたに罪を感じさせようとしたとしても、価値を低めようとしたとしても、自分だけは愛を持って接してください。