夫婦の問題解決記事
ヤフーニュースを見て「そうそう!」と同意する記事があったので紹介します。
ヤフーニュースは時間が経つと記事が消えてしまうので元記事のリンクを貼ります。
記事名「家事を忘れる夫に妻が考え出した納得の仕組み」
内容を簡単にまとめると以下になります。
- 夫婦の家事分担で不満あり
- 「相手が悪い、自分が悪い」になると対立構造になる
- 「誰も悪くない」という前提に立つ(心理学者のリール・ローゼンツァイクが提唱した「無責的思考」)
- 問題の背景を探る
- 問題を解決するにはどうすればよいかを考える
- 家庭全体の問題と捉え、解決できる仕組みを作る
- 特性や苦手を受け入れ、仕組みで解決する
- 妻はモヤモヤを抱えがちだったため、毎週定例形式で話し合いの場を作り、事前に議題を記載してモヤモヤを共有しやすくなった
特に大切なポイントは3つあると思います。
- 誰も悪くないという前提に立つ
- 問題を解決するためにはどうすればよいかを考える
- 仕組みで解決する
この中でも最も大切な点が「誰も悪くないという前提に立つ」ことだと私は思います。
私自身も、この記事に書いてある通りのことをやっていて、カウンセリングでもこういう考え方でやっているため、とても共感しました。
問題解決するために自責・他責をしない
私は「自責・他責を止めよう」とブログでよく言っていると思います。
それは自責・他責をするほど「問題解決をするにはどうすればよいか」という本質的な問いから離れてしまうからです。
自責をすれば、問題は自分の責任で自分を変えればよいことになります。
他責をすれば、問題は相手の責任で相手を変えればよいことになります。
しかし、実際には自分や他人を変えれば済むという問題ではないことがほとんどです。
また、自分や他人を変えることそのものが難しいという問題もあります。
そのため、自分や他人のせいにせず、仕組みを変えることで問題を解決していったほうが圧倒的に問題解決しやすいです。
自責・他責をしてよい前提条件
他にも「自責・他責を止めよう」という大きな理由があります。
私は、次の条件に当てはまる人であれば、自責・他責をしてよいと思っています。
- 自分と他人の存在価値を無条件で認めている
- 自分の存在と行動の区別がついている
- 他人の存在と行動の区別がついている
逆に言えば、この区別がついていない人は、自責・他責をしないほうがよいと思っています。
なぜなら、自責をするとすぐに「自分の存在が悪い」になってしまうからです。
他責をするとすぐに「相手の存在が悪い」になってしまうからです。
しかし、存在と行動の区別がついていて、存在価値を無条件で認めている人は「自分や相手の存在が悪い」とは決してしません。
「自分や相手の行動が悪い」とするだけです。
つまり、存在を否定せず、行動を変えようとします。
そして、行動を変えるためにはどうすればよいかという問いをします。そのための仕組みづくりをします。
これは「誰も悪くないという前提に立つ」と同じです。
「誰も(存在は)悪くない」という前提で、考え方や行動に問題を引き起こす要因があるという考え方です。
その要因を突き止め、解決するにはどうすればよいかを考えればよいことになります。
自責・他責をしないことは責任を取らないことではない
「自責をしない」「他責をしない」というと、自分の責任を取る必要がない、他人が責任を取る必要がないと捉えがちですが、それは違います。
そもそも、責任を取るとはどういうことでしょうか?
自分を責めて、自分を罰して、痛みを感じることが責任を取ることでしょうか?
間違ったことを正すことが責任を取ることだと私は思います。
問題となるような行動をした
行動を正して、次に同じような問題を起こさないようにすることこれが責任を取ることだと思います。
いくら、自責をして反省し、苦しんだとして、行動を正さなかったとしたら責任を取ったことになるでしょうか?
いくら、相手が謝罪し、深く反省したとして、行動を正さなかったとしたら責任を取ったことになるでしょうか?
むしろ、自責や他責は責任を取ることから遠ざけます。
問題の本質的な原因ではなく、自責や他責に引っ張られて、見当外れの原因に目を向け、それを解決しようとしてしまうでしょう。
本気で問題解決をしたいと思うなら、つまり、本気で責任を取る姿勢があるならば、自責や他責は横に置いたほうがよいです。
自責・他責をしない2つの重要な理由をまとめます。
- 自責・他責は、問題解決から遠ざかることになるため、しないほうがよい
- 自責・他責は、責任を取ることから遠ざかることになるため、しないほうがよい
感情の問題は存在と行動の区別をすること
他責が止められない理由としては感情の問題があります。
このとき、大切なことは「存在と行動の区別をすること」です。
誰かが自分に迷惑を被った行動を取ったとします。
すると、怒りが生じるのが自然です。
怒りを表すことをよくないことだと思っている人がいるため、注意が必要です。
怒りそのものが悪いわけではありません。
何に対して怒っているのかが重要です。
たとえば、誹謗中傷を受けて、怒るのは当然です。
しかし、誹謗中傷を二度とやらないと決めて実行している人に怒り続けるのは問題です。
存在と行動の区別がついていないと、嫌な行動をされた人の存在そのものを嫌悪することになります。
そうなるとその人の存在に怒りを感じることになります。
怒りはいつまでも収まらないでしょう。
自責も同じです。
自分の行動を否定することはあっても、存在を否定するといつまでも自己嫌悪や自己バッシングが続くことになります。
行動に対する怒りは、行動を変えれば収まります。
存在に対する怒りは、行動を変えても収まらず、存在がなくなるまで続くことになるでしょう。
行動と存在をきちんと区別できていれば、他者の行動に対する怒りはあっても、それが問題解消の妨げにはなりません。
むしろ、問題解消の仕組みづくりをする動機づけになるでしょう。