皆さんは神様に祈ったことはありますか?

私は特定の神様を信じているわけではありませんが、
何度か神様に祈ったことがあります。

どうしても苦しくてたまらず、耐えきれないとき、

「神様、どうか助けてください。この苦しみから解放してください」
と頼みます。

まあ、頻度は多くありません。年1回くらいでしょうか。

神様に祈るということは、私も無意識にせよ神様を信じているということでしょう。

自分以外の存在が、世界をコントロールしているという信念です。

この信念は、本当にきついときはとても助けになります。

神様の計画だから仕方ないと思えます。
苦難に対してポジティブな意味でのあきらめができます。

また、世界をコントロールしている存在に頼むことで、自分のコントロール感も強まります。
今の無力感、絶望感を弱めてくれるわけです。

なので、宗教行為である、神への祈りは苦しみを解消できる合理的な方法なのです。

さらに宗教では、「祈れば救ってくれる」という信念も持つため、
より、コントロール感が強くなります。
不安の解消効果がより強いわけです。

ただし、宗教では、自分たちの考え方こそ真実だ(苦しみを救える唯一のもの)という縛りがありますね。
この縛りは、余計に争いの元を増やす種にもなり得ます。

スピリチュアルの本を読むと、一つの考え方があります。

それは、私たちは生まれる前に魂のレベルで人生を決めてきたというものです。
自分で決めた課題をクリアするためにこの世を生きる。
そのため、起こっていることは魂レベルでは合意の上であると。

それが真実かどうかを述べるつもりはありませんが、この考え方を信じると、
人生に不条理を感じている人にとっては、一つの救いになるでしょう。

この苦しみにも何らかの意味があるんだと思えば、救いになります。
絶望感から守ってくれるでしょう。

但し、どんな信念も万能ではありません。
神への依存や決定論的な見方に立つと、それも無力感を強めてしまう原因になります。

誰かが運命をコントロールしていると信じる人よりも、自分が運命をコントロールしていると信じている人の方が人生を楽観視し、成功しやすいという研究結果もあります。
当たり前ですが、努力量が違ってくるでしょう。

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信念なんて絶対的なものではありません。

今、この瞬間にしっくりくるものだけ受け取ればいいんです。

ある信念に固執する必要はありません。

信念なんてグラグラでいいんですよ。

朝令暮改で結構です。

なぜ私がこんなことを言うかというと、凝り固まった信念のために苦しんでいるケースが多いからですね。
そこに揺らぎを与えたいわけです。

でも、「信念なんてグラグラでいい」というのも一つの信念であり、そのデメリットもあるわけですね。

ときには信念を貫くことも必要です。

だから、世の中は矛盾だらけです。

矛盾だらけの世の中だから、何か指標が欲しいわけです。
不安をコントロールするために。

それが、信念体系です。
宗教はそのパッケージを提供しているわけです。
日本では宗教は否定的に捉えられていますが、海外では宗教は当たり前の存在であり、宗教が提供する信念体系のパッケージは人生を生きやすくするものであるともいえます。

但し、何らかの信念体系は、構造上、必然的に苦しみも生み出すものになります。

ボクは、どの信念体系が自分にとって合うかとか、得だとか、正しいとか、そんなことを追求することにあまり意味がないと思っています。
だって、信念なんてなくても、すでに指標をちゃんと持っているのですから。

それってなんだと思います?

それがすぐにわかる人はボクのブログをちゃんと読んでくれている人ですね。

そうです。あなたのハートですよ!

ABOUT ME
西川佳宏(よっし~)
西川佳宏(よっし~)
境界線専門カウンセラー。境界線(バウンダリー)専門・心理カウンセリング「セルフコンパス」代表。 会計事務所・外資系証券会社・医療設備メーカーでの10年超の会社員経験を経て、2012年6月にセルフコンパス設立。英国HOLISTIC HEALING COLLEGE Integrated Counselling Diploma取得。心理カウンセラーとして境界線を適切に引くためのサポートを提供。 特に効果が高いのが人間関係の悩み、自己肯定感が低い悩み、過剰責任感・完璧主義の悩み、罪悪感の悩み、HSPの悩み、不安・恐怖の悩み、うつ・不安障害の悩み。 柔らかな雰囲気に加え、こころの悩みの本質をやさしく説明するのが得意。プロフィールの詳細はこちら