共依存とは
心理学で「共依存」という概念があります。
共依存の心理的メカニズムを解説します。
お互いがお互いを依存しあう関係を共依存と言いますが、一見、片方だけが依存しているように見えることがあります。
でも、一見依存されている側も実は依存しているということを知っていただきたいと思います。
共依存の例
共依存の典型的な例は、アルコール依存症の人とそれを支える人という関係です。
アルコール依存だけではなく、ギャンブル、借金、浮気、暴力、薬物、肉体的病気、精神的病気などさまざまです。
男性のほうが多いのですが、女性の場合もあります。
今回は「アルコール依存症の夫とそれを支える献身的な妻」という事例で心理メカニズムを説明します。
アルコール依存の夫の心理
まず、アルコール依存症の夫ですが、基本的には「セルフラブ」「自己価値」「自己愛」「安心感」がものすごく欠けています。
その欠けているものを埋めるために、外部の何かで埋めようとします。
たとえば、恐怖や不安を抱えているとき、安心感が欲しいはずです。
ダイレクトに安心感を埋めてくれるものがなければ、安心感の代わりとなるもので代用します。
それがたまたま「アルコール」であったということです。
酔っ払えば、一時的に恐怖や不安を感じなくても済むのでアルコールが手放せません。
自己価値、安心感が欠けている原因
自己価値、安心感が欠けているのは、子ども時代のトラウマや家庭環境が悪かったことが最大の原因になっている可能性が高いです。
もちろん人によって異なりますから一概には言えませんが、多くが幼児期の家庭環境に帰します。
幼児期に一番欲しかったのは両親からの愛情です。
愛情の欠如から歪んだ思い込みやセルフイメージが作られる
一番大好きなお父さん、お母さんから愛情を得られなければ、「私は愛されない」「私はダメな存在だ」「私は悪い子だから愛されない」「私は無力だ」「私は分かってもらえない」「私は大事にされない」…などのネガティブなセルフイメージが作られます。
このとき、大多数の人とは違う思い込みができることがあります。
これを心理学用語では「認知のゆがみ」とも言います。
たとえば、虐待を受けたとします。
子どもにとっては我慢するしかありません。反抗するとますます虐待されます。
すると、「我慢=状況を悪化させないこと=よいこと」、「反抗=状況を悪化させること=悪いこと」という認知ができます。
その認知のまま大人になって、夫に暴力を振るわれたとき、反抗せずに我慢し続けることになります。
その人にとっては「我慢=よいこと」ですから。
普通の人は、暴力を受けたら我慢せずにその場から逃げるとか助けを求めることをします。
でも、認知がゆがんでいたらそうしません。一般の人とは「常識」が異なるわけです。
自己愛を満たし、認知のゆがみを変える
カウンセリングとは「思い込み」を変えることであり、「認知のゆがみ」を変えることです。
ネガティブなセルフイメージもいわゆる「認知のゆがみ」です。
自分自身で自己愛を満たせることが分かり、自己愛を少しずつ満たしていけば、外部から何かで埋めようとすることはなくなります。
ここが一番のキモであり、それ抜きに単に外見的な症状だけを抑えようとしてもあまり意味がありません。
支える献身的な妻の心理
では、献身的な妻の場合はどうでしょうか?
一見、聖者のように見えますね。
しかし、共依存になっている場合の支える側も実は支えられる側と同様に大きく自己愛(自己価値、安心感)が欠けています。
単に役割が違うだけというか、演じ方、現われ方が違うだけです。
- 自己愛が欠けているから、「尽くさなければならない」と思っている。
- 自己愛が欠けているから、相手のことを信頼できない。(自分の信頼度=相手の信頼度)
- 自己愛が欠けているから、Noが言えない。
- 自己愛が欠けているから、他人との境界線がきちんと引けない。
- 自己愛が欠けているから、自分の感情に鈍感。「やりたくない」という思いを無視する。
- 自己愛が欠けているから、「献身的に尽くす聖者」に強くあこがれる。(ポジティブ投影)
そのため、自己価値を上げようとして、夫を支えます。
本当は、自己愛は自分自身で満たすことでしか埋められませんが、夫を支えることでそれが埋まっているような錯覚に陥ります。
それは実はエゴを強めているだけで、「こんなにダメな夫を見捨てないで、献身的に尽くす私は偉いでしょ」というメッセージを言外に醸し出しています。
また、相手を弱らせ、自分が献身的な立場に着くことで、自己価値を上げようとするメカニズムもあります。
日常生活の中で、相手がやるべきことを代わりにやってあげて、「あなたにはできないでしょ」「私がいなくちゃダメ」と世話を焼き、どんどん無力化していきます。
これを「ディスパワー(パワーの収奪)」と言います。
これは意識的にやっているわけではありません。無意識でやっているので何も悪気はないのです。
本人にとっては「優しさ」です。しかし、依存している側はどんどん無力になっていき、余計苦しむわけです。
だから、アルコール依存症の夫の問題だけでなく、献身的な妻にも問題があるのです。
だから、「共依存」なのであり、両方が自分自身の内面と向き合っていく必要があります。
一見、よいことをしているような「献身的な妻」のほうが問題は見えにくいため、やっかいです。
自分が問題を抱えていることに気づきませんから。
そういう意味ではむしろ、症状としてきちんと現われているほうが対処しやすいのです。
共依存を脱するには自己愛を高めていくことが解決方法
結局どういう形であれ、自己愛を高めていくというのが解決方法になります。
ただ、これは時間がかかるし、少しずつしかできません。このことは、本「恋愛・職場の人間関係が驚くほどうまくいく」に詳しいメカニズムを説明していますのでご参考ください。
本「恋愛・職場の人間関係が驚くほどうまくいく」
恋愛・職場の人間関係の悩みについて、具体的な事例を上げて、それが起こるメカニズムを説明しています。セルフラブの大切さを説いた本です。
依存している側は自立がキーワード
アルコール依存症の夫の立場であれば、「自立」がキーワードです。
自分にその力があることを知っていく旅をスタートさせます。
自分でできることは自分でやっていきます。
依存されている側は愛を持って見放すことがキーワード
支える方の妻の立場であれば、愛を持って「見放す」ことが大切です。
そうすると苦しいはずですが、その苦しさと向き合うことがその人の課題になり、自己愛を増やすきっかけになります。
共依存はお互いをお互いで不幸にしてしまっている関係
「共依存」はお互いをお互いで不幸にしてしまっています。
それはやっぱり自然な人間関係ではありません。
でも、この出来事も自分をより知っていく、つまり、自分に欠けていることなどないということを知るための一つの課題だと受けとることもできます。
逃げることなく、ぜひ向き合っていただければと思います。
そのための強いサポートができるのが、カウンセラーです。
コメント失礼します。
「アルコール依存の夫の心理」の部分ですが、
【愛情の欠如から歪んだ思い込みやセルフイメージが作られる】
の辺りから、妻の心理になっている文脈に取れます。
少しわかりにくいです。