本日のブログテーマは「依存」についてです。
エゴは常に「何かが足りない」と考えています。
自分が欠けていると思っているもの、自分が満たしていないものを、どうにかして埋めようとします。
埋めようとするのですが、埋め方が分からないので、外部の埋まりそうな感じがするもので埋めます。
たとえば、コーヒーやアルコール、タバコや砂糖などです。
一時的に気がまぎれるので、埋まった感じがします。
しかし、実際には埋めてはいないので、また欲します。
これがどうしても必要になってしまうと「依存」になります。
タバコやアルコール、砂糖などは分かりやすい例ですが、食品だけではありません。
TVやドラマ、スマホ、ネット、ゲーム、電話、買い物、セックス、読書、恋愛、仕事…挙げればキリがありません。
別にそれらが悪いわけではありません。
ただ、それがないと精神的苦痛が大きい場合、「依存」になっています。
ここで、依存が悪いと言いたいわけではなく、私が伝えたいのは、エゴが自分が欠けているものを外部から満たそうとしているという心のメカニズムです。
依存の種類としては分かりやすいのがアルコールなどの物質的な依存です。
他にも行為に関する依存があります。買い物やネット、携帯などです。
また、人間関係の依存もあります。恋愛、職場、家族などの関係依存です。
他に精神的な依存もあります。
たとえば、「他者の承認」「褒め言葉」「関心」「必要とされていること」「支配されること」などです。
他者の承認に依存している人は、他者から承認してもらえることを求めます。それが自分を支えるものになっています。自分の自信のよりどころが「他者の承認」なのです。依存レベルになると、他者の承認のために自分を失い、承認の犠牲者となります。
褒め言葉に依存している人は、他者から褒められることを求めます。褒められていない自分はダメだと思います。褒められることに依存すると、がんばりすぎて苦しくなります。褒められなければ、自分を責めて苦しくなります。
関心に依存している人は、他者の関心を引こうとします。他者の関心がないと、自分の存在価値がないと考えています。他者の関心を引くために、自分を失い、我慢と犠牲を重ねます。
他人から必要とされていることに依存している人は、他者から求められることによって、自分の存在価値を示そうとします。他者の問題を解決することに生きがいを感じます。共依存の一見、健全に見える側です。他者のために自分を犠牲にします。
他者から支配されることに依存している人は、無力感を抱えているため、支配的な人を好みます。支配してくれれば楽だからです。決めなくて済むし、考えなくて済むからです。なので、自分から服従者に甘んじます。
他にもあるでしょう。愛情に依存したり、感謝されることに依存したり、寂しさを埋めるために常に誰かといることに依存したりなどです。
これらの精神的なものも、物質的なものと同様に、本当の意味で欠乏感を埋めることはできません。一時しのぎにしかなりません。
自分でそれを埋める必要があるのですが、まずは、自分に何が欠けているのかを知ることが大切です。
なので、少し考えてみてください。
自分には何が欠けていると思いますか?
愛情ですか? 承認ですか? 関心ですか? 褒め言葉ですか? 必要とされていることですか? お金ですか? 健康ですか? 感謝ですか? 時間ですか? 知性ですか?…
何に依存していると思いますか?
そして、どんなことを犠牲にしていますか?
ご自身で時間を取って考えてみてください。
自分でその構図を見抜くことが依存から抜け出す一歩だと思います。
カウンセリングではセッションで心の仕組みを明らかにし、真の問題、真の恐れを特定します。
無意識で自分を縛っているものを拭い去ったとき、自らが真に望む人生を歩めるようになるでしょう。