EFTについて、何人かの方から「EFTは苦しい感情に向き合うのでつらい」ということを聞きました。
なるほど、そういうふうに感じる人もいるのだと思いました。
EFTはネガティブ感情に向き合う苦しみをむしろ減らしてくれるツールなのですが、ネガティブな感情自体に向き合うのが嫌な人は多いでしょうから、確かにつらいのかもしれませんね。
考えてみれば、ネガティブな感情をもう一度味わうというのはそりゃ嫌なものでしょう。
感情解放のメリットを理解できたとしても、感情解放をするためにネガティブな感情を味わうというのは抵抗感がある人も多いと思います。
感情を感じなくても、勝手に苦しい感情が解放されるツールがあればいいですね。
ただ、残念ですがボクが知る限り、この問題を根本的に解消できるツールはないようです。
過去のネガティブな感情を解放するためには、感情を感じることが避けられません。
とはいえ、過去のトラウマの感情を再体験して、感情を感じきるということをさせるのは相当酷な話で、感情を感じるのを嫌がるのは無理はないです。
世界的に主流の心理療法である、認知行動療法ではこれをさせます。
恐怖症や強迫性障害などの治療では、暴露療法という、恐怖や不安の対象にさらし、ひたすら耐えさせます。
呼吸法を用いますが、それでもサポートとしては不十分です。
だから、個人的には暴露療法は好きではありません。
EFTも暴露療法と似ているという方もいます。単にタッピングがあるだけではないかと。
それは誤解です。
もちろんタッピングの効果は大きいのです。
タッピングをされながらネガティブな感情を感じるのは安心感が違います。
加えて、恐怖の対象にさらしていく過程が柔軟です。
その人の感情レベルに合わせて柔軟に取り組む場面やテクニックを変えていきます。
なので、EFTは感情を感じるということをとても容易に優しくするツールなのです。
「苦しい感情に向き合うのはつらい」と思っている方こそ、実はEFTが役に立ちます。
それを知ってほしいなと思います。
過去を探ると、「怒り」や「悲しみ」、「恐れ」などの感情が湧き起こりそうで不安だという人もいます。
感情を抑圧し続けてきた人ほど、その感情を感じると、飲み込まれておかしくなってしまうのではないかと思うくらいの恐怖があることもあります。
過去の苦しい出来事を思い出し、強い感情を生々しく感じるでしょうが、その苦しみを乗り越える必要があります。
もちろん、過去の感情をそのまま抑圧し続けるという方法もあります。
でも、それでは何も変わりません。
本当の意味で楽になるには、向き合いたくない感情に向かい合う必要があります。
実は苦しみの多くは、そこに向かい合いたくないがために起こることなのです。
無力感、無価値感、罪悪感などを感じたくないがために、自己価値を上げようとがんばっていたり、傷つくことを避けようとします。
徹底的に傷つくことを避けようとするとか、誰かに頼って依存するとか、自分を相手よりも高い位置に置こうとしたり、他者の注目や関心を浴びようとしたり、理想を目指して時間やエネルギー、お金を浪費することなどを行います。
そして、そのこと自体が苦痛、ストレスとなっていきます。
でも、本当は自己価値の無さなんて単なる幻想なので、幻想に振り回されて、ありもしない対策をとり続けているにすぎません。
例えれば、核戦争を恐れるあまりに、人生の一生を核シェルター作りに費やすようなものです。
一生の間に核戦争が起こらなかったとしたら、何のために生きているのでしょうか?
この例えで言えば、この問題を解決するには、核戦争を恐れるという恐怖に向き合う必要があります。
その恐怖を十分感じれば、核戦争が起きる可能性が低いことが分かりますし、仮に起きたとしてもその対策を必要以上に取るのは無意味だということが分かります。
これが、本当に向かい合いたくない感情に向き合うことが問題を解決する根本的な方法だという意味です。
そうしないと、核シェルターの強度や素材をどうするか、どのくらいの大きさにすればいいか、どこへ作るべきか、貯蔵する食物はどうするかなどの問題にいつまでも悩まされることになります。
それを解決して一時的に楽になったとしても、根本的には意味がありません。
でも、私を含めて多くの人がそういうバカらしいことを真剣に悩んでいるのです。
それはその幻想が解けたときでなければ、そのバカらしさに気づけないものです。
とはいえ、自己価値がないことは幻想だといってもなかなかそれを信じられないのも事実です。
そのため、自己価値を上げていくことが楽になるための方法で、
EFTで過去の抑圧した感情を解放することで、自然に自己価値、自己肯定感が上がってきます。
問題の本質的な原因になっている、一番向かい合いたくない感情に向き合うには、EFTは強いサポートツールになるでしょう。