自我(エゴ)の成長プロセスについて3回に渡って書きます。
これはとても難しい概念なので、いつもよりも分かりにくいと思います。
また、学問的なことと、ボクの仮説を混ぜて書いてあるので、真実かどうかは保証できません。ボクの意見表明だと思っていただきたいです。
自我(エゴ)は自分を守るための防衛装置です。エゴとは、「私」という感覚です。
スピリチュアルの本の中には、たまに、エゴを悪者扱いするようなニュアンスの記述がありますが、エゴはボクたちに欠かせないものです。エゴは排除すべきものではありません。
エゴは7歳くらいまでにほぼ完成しますが、ここでエゴが発達していないと、自分を守ってくれるものがないので、この世界で生きていくのができなくなります。
エゴは人生の様々な経験を経て、成熟していきます。
ただし、実際には成熟レベルのエゴにまで達する人は多くはないようです。そこまで達する前に人生を終える人が多いです。
ボクの今の理解では、エゴが成熟し、さらに、エゴがもうその機能を必要としないくらい成熟したとき、エゴの機能は役割を終え、エゴを超越するプロセスに入っていくのかなと想像しています。そこはボクの理解を超えるので立ち入りしません。
エゴがきちんと発達していない人は、自分の世界と他人の世界の区別がつかなかったりします。これは精神的な病気に分類されます。そういう人は、セラピーの王道である感情の解放が逆効果になります。
感情の制御ができないからです。抑圧することができなければ、感情が出っ放しで大変なことになってしまいます。基本的にそのような人は感情を出すことをかたくなに拒否します。これも防衛反応です。
エゴが正常に発達している人は、エゴを成熟させる成長プロセスへ進みます。
ここで区別したいのは、エゴを肥大させることと成熟させることはまったく違うということです。
成熟させるのは、成長プロセスの一環ですが、肥大することは、停滞です。
エゴが肥大するとはどういうことかというと、「私」という感覚が大きくなることです。
たとえば、権力を持つと、エゴが肥大しやすくなります。
なぜなら権力を持つと何でも思い通りにできるからです。自分の思い通りになれば、まるで自分が偉く、優れた人であるかのように錯覚します。
地位や名誉を求めるのもエゴを肥大化させるためです。
基本的に、エゴは肥大化を目指します。
これも単なる防衛本能です。エゴに悪気はありません。
エゴは、「私」がなくなることを恐れます。肉体的な死と精神的な死の2つを恐れます。
精神的な死とは「価値がなくなること」です。
価値がなくなることを防ぐために、価値を上げようとします。価値を上げることに終わりはありません。
そのとき、どうやってエゴは価値を上げようとするのでしょうか?
それは、自分が持っている価値観に沿って、価値を上げようとします。
たとえば、「いい学校に入って、大企業に勤める」という価値観を重要視していれば、いい学校に入ろうとがんばるわけです。そして、いい会社に入ろうとさらにがんばるわけですね。
そして、価値観の中での成功者を目指します。
ただ、この価値観の中でどんなに価値を上げても、本当の意味で価値は上がったと感じないんです。
どうしてでしょう?
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自我(エゴ)の成長プロセス 中
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よっしーさん(*^_^*)
このメッセージすごく理解出来ます。
頭で考える事なく、すんなり、ハートに入って来ます(^_^)v
2.3回目の投稿を楽しみにしていますo(^-^)oワクワク
アシュタンギーニさん
いつも見てくださってありがとうございます。
理解して頂けてとってもうれしいです。
次回とラストもお楽しみに(^_^)/