自分の価値観の中でどんなに価値を上げても、本当の意味で価値は上がったと感じないのはどうしてでしょうか?
それは、他人から植えつけられた価値観だからです。
親や友達、学校、社会、世間から植えつけられた価値観の中で価値を上げても、満足感は一時的なもので、どこまでがんばっても精神的な満足面では報われません。
エゴは、価値観を満たすものを「善」とみなし、満たさないものを「悪」とみなします。
たとえば、「偏差値60以上の学校に入るべき」という価値観であれば、「偏差値60以上の学校へ入学=善」となり、「偏差値60未満の学校へ入学=悪」となります。
このとき、もし、偏差値60以上の学校に行くことができなければ、自分を責めることになります。
また、偏差値60以上の学校に入っている人を評価し、そうでない人を見下すこともあります。
もちろん、価値観はたくさん持っており、複合的に組み合わさっているので実際はそんなに単純ではありませんが、分かりやすく単純化しています。
そして、エゴは必ず、自分を「善」の側に設定します。そして、「善」であろう、「善」になろうとし、「悪」になることを恐れます。
この基準となる価値観の呼び方はたくさんあります。このブログでは「ビリーフ」という言葉をよく使いますが、「思い込み」「信念」「べき」「ルール」「ものさし」などの言葉もよく用いられます。
投影の動画では、「DVDのタイトル」という表現を使いました。
この記事では「価値観」という言葉を使いますね。
ボクたちは、この価値観を数万と持っていますが、価値観がある以上、かならず「善」「悪」というレッテルが自動的に貼られます。
だから、ボクたちの住む世界は「善悪二元論」の世界です。
ところで、善悪のレッテルを貼らずに、ただ、あるがままにそのものを見ることができる世界を「非二元」の世界といいます。主体と客体の分離がありません。これがいわゆる悟りや目覚めの世界ですね。エゴを通さずに見ている世界です。エゴを通して見ていないため、善悪のレッテルを貼ることがありません。
しかし、悟っていないかぎり、つまりエゴを通す限り、善悪のレッテルは必ずあります。
エゴは自分が持っている価値観の「善」を目指す行動を必死でがんばっています。
これは正直苦しい行為です。
なぜなら、がんばっても成功しても、エゴが肥大するだけで、本質的な満足感を得られないし、成功しなければ、自分に価値がないように思い、ますます自分を責めてしまうからです。
つまりどちらに転んでも苦しいということになります。
だから皆、苦しいですよね。生きていくのは苦しいんです。
そこで宗教が出てくるわけです。
生きる苦しみの救済として。
宗教、たとえば、キリスト教や仏教は何を説いているかというと、自分の価値観から神の価値観へ転換しろと言います。
では、神の価値観とは何でしょうか?
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