皆さんは、「自分は有能でなければならない」と感じたことはないでしょうか。
私たちは長い間、「能力がある人ほど価値が高い」と信じてきました。
前回のブログでは、「成長=善」という価値観の転換から、将来の日本のあり方について言及しました。
今回は、その続きとして、「能力=善」という能力主義の価値観を見つめ直してみたいと思います。
能力主義社会の現実
今の社会が「能力主義社会」であることは、多くの方が実感していると思います。
現代社会では、いわゆる「勝ち組」と「負け組」の格差が広がっています。
能力が高ければ報われ、そうでなければ報われない。
まるで「能力こそが人間の価値」を決めるかのようです。
たとえば――
- 能力が高い → 高学歴 → 大手企業就職
- 能力が高い → 仕事ができるため高収入
- 能力が高い → 社会的称賛
婚活市場でも、大企業正社員は有利で、非正規雇用の方は不利になりやすいという現実があります。
そのため、「自分は能力が低い」と感じることは心理的に非常にしんどいことです。
多くの人が「自分が無能であることを自覚すること」を恐れ、それを直視しないために大きなエネルギーを使っています。
そのエネルギーが過剰になると、心身のバランスを崩してしまうこともあるでしょう。
それほどまでに、「能力=善」という価値観は深く根づいているのです。
「能力=善」は幻想だった
しかし本来、「能力=善」というのは幻想にすぎません。
これまではその幻想が社会の前提として機能してきましたが、生成AIの登場によって、その前提が大きく揺らぎ始めています。
生成AIを使う人なら分かると思いますが、すでにAIの能力は人間を凌駕しています。
もはや「能力」で勝負する時代ではありません。
能力主義の価値観を続けるなら、「AI > 人間」という構図が生まれてしまいます。
つまり、能力主義を維持する限り、人間はその土俵から外れていくのです。
性能ではなく「人格」に価値が移る
現在の生成AIビジネスモデルは、「性能差による有料化」で成り立っています。
性能が低いモデルを無料に、高性能モデルを有料にして収益を得る構造です。
しかし、実際に無料版を使っても、ほとんどの人にとってはすでに十分すぎる性能です。
となると、「性能」での差別化は次第に難しくなるでしょう。
実は、私たちが本当に求めているのは“高性能なAI”ではありません。
「自分を理解してくれる存在」「寄り添ってくれる人格」なのです。
これからのAIは、性能よりも人格――“どんなふうに私に関わってくれるか”に価値が置かれるようになるでしょう。
たとえば、「恋人モード」「寄り添い・承認モード」など、AIのパーソナリティの違いに付加価値をつけるサブスクリプションモデルが登場するかもしれません。
実際、GPT-4からGPT-5へバージョンアップした際に、「前のほうがよかった」という声が多く聞かれました。
人々が求めているのは、高性能よりも“心のつながり”なのです。
「能力」から「人格」へ――社会の価値変化
こうして私たちは、いま「能力主義」から「人格価値」への転換点に立っています。
これまでは「性格が悪くても、仕事ができれば評価される」社会でした。
しかしこれからは、「どんな人格であるか」「他者とどんな関係を築けるか」が重視される社会になるでしょう。
「知の社会」から、「徳の社会」へ。
これからは、能力ではなく、誠実さや温かさが人を導く時代になるでしょう。
私たち一人ひとりの“あり方”が、社会全体の未来を形づくっていくのだと思います。
結びに
AIの進化は、人間の価値を奪うのではなく、人間に本来の価値を思い出させています。
「どれほどできるか」ではなく、「どうあるか」。
誠実で、思いやりのある人格こそが、これからの社会を支える基盤になるでしょう。















