休日の早朝に眠りを妨げられて
休日の朝5時半に子どもの部屋から音が聞こえ、目が覚めました。
動画を見ていて音が漏れており、子どもを叱りました。
一度目が醒めて、怒りの状態になると交感神経が優位になってすぐに眠れません。
今度は眠れないことにイライラし、余計に交感神経が優位になる悪循環に陥ります。
このとき、私は次のように自問しました。
であれば、必要なことは怒りの感情を手放すことです。
怒りの感情を鎮め、リラックスしてもう一眠りしました。
小田急線刺傷事件の動機
先日、小田急線電車内で複数の乗客を刃物で切りつけて逃走した事件がありました。
逮捕された容疑者は「短期のアルバイトで女にあごで使われ、女に恨みを持っていた」「勝ち組の女性やカップルを標的にした」「人生がうまくいかない。数年前から勝ち組の女や幸せそうなカップルを見ると殺したくなるようになった」と供述しているといいます。
事件を起こすまでにかなりの鬱積した負の感情がたまっていたと考えられます。
容疑者はそれらの負の感情をコントロールできず、最悪の行動に出てしまいました。
ネットで成功者や芸能人の失態を叩く
小田急線刺傷事件は特殊な例ですが、程度の差はあれ、同じエネルギーは至るところに見られます。
たとえば、芸能人や成功者の失態を叩くときです。
何らかの失言をしたり、不倫をしたり、法律違反や道義的・倫理的に反することをしたときに対するコメントを見ると、合理的な批判よりも「ざまあみろ」「もっと苦しめ」というようなエネルギーが散見されます。
それは直接的表現はされていませんが、表現の内側に感じられるエネルギーは「自分より満たされている人が苦しめばいい」というようなものです。
これこそ、まさに小田急刺傷事件の容疑者が持つエネルギーです。
目的を素直に追求すればよいだけ
これらの人の目的は何でしょうか?
誰かを不幸にすることが本当の目的ではないはずです。
「自分もお金持ちになりたい」
「自分も周りからチヤホヤされたい」
「自分も幸せになりたい」
そういった目的があるはずです。
それを素直に追求すればよいだけです。
自分を不幸にするメカニズム
それらが得られないことで生じる怒りやイライラ、悔しさ、悲しさ、情けなさ、みじめさ、不安、劣等感といった負の感情を受け止めきれず、歪んだ形で表出化したのが「誰かの不幸を喜んで自分のみじめさを和らげる」というものです。
その結果、自分が発するエネルギーは「他者を不幸にするエネルギー」になります。
それは、自分の身体を蝕むものです。
身体的に常に「戦う」モードに入っているため、長引くと肉体的な悪影響が出ます。
もちろん、精神的にも悪影響は大きいです。
自分自身を内心、嫌になり、自己嫌悪が募り、そこも抑圧せざるを得ず、何らかの見えない形で「自己攻撃」が起こります。
他者を不幸にするだけでなく、自分を不幸にしていきます。
負の感情を処理する
これを避けるには、生きていれば必然的に生じる負の感情に向き合い、きちんと処理することが大切です。
そのためには、二つのことが求められます。
- 負の感情に向き合うことができる心の器がある
- 負の感情を健全に処理することができる
自分の心の器よりも負の感情のほうが大きい場合、受け止めることができないため、健全に負の感情を処理することができません。
歪んだ形で処理せざるを得ず、上記のケースのように自分を蝕みがちです。
心の器を育むことはとても重要であると私は考えています。
しかし、仮に負の感情に向き合える心の器があったとしても、必ずしもその感情に向き合うとは限りません。
適切な感情発散方法を知らなければ、知らず知らずの間にため込んでしまいます。
ため込みすぎると、いつか自分の心の器の限界を超え、負の感情を歪んだ形で処理せざるを得なくなります。
適切な感情発散方法を知り、実践していくことも非常に重要であると私は考えています。
目的を深掘りする
自分の目的に立ち返り、それを満たすようにしていけばよいのですが、そもそも「成功したい」「お金持ちになりたい」「チヤホヤされたい」といった目的であれば、なかなか満たすことができず、満たせないフラストレーションがたまってしまいます。
このとき、目的を満たすためのヒントとして、目的そのものをもっと深い目的にすることをオススメします。
深い目的というのは、より本質的な目的であり、自分が本当に求めている目的という意味です。
成功したいのであれば、成功することで何を満たしたいのかという問いをすることで深い目的が見つけられます。
一度問うだけではなく、出てきた答えに対して、同じようにさらに問うていき、より深い本質的な目的を見つけます。
「お金持ちになりたいのであれば、お金持ちになることで何を満たしたいのか?」
あるいは、具体化する問いもよいでしょう。
「チヤホヤされたいのであれば、何を褒められたときに満たされるのか?」
恐れから行動すると自ら幸せを遠ざける
そうやって出てきた目的が、自分が本当に求めているニーズになります。
たとえば、「ありのままで存在していい感覚を得たい」という深いニーズがあれば、それを追求すればよいのです。
それを得るための健全な手段はたくさんあります。
このときに自分の恐れから行動してしまうと不幸の元です。
たとえば先の例では「ありのままで存在していい感覚を得たい」人は、「ありのままでは存在できない」という思い込みがあり、どこかで自分が排除される恐れを持っています。
その恐れに飲み込まれてしまうと、自分を排除しようとする他者を敵と見なし、攻撃モードに入り、怒りを誘発し、自分が相手を排除しようとする方向に行き、自分が望んでいることと真逆のことを自分自身がしてしまうことになります。
それは自分の目的を満たすことから遠ざかる一方です。
自分が心の底から満たしたいと願う目的を満たすことを「幸せ」と定義するならば、恐れに飲み込まれた行動をしていけば、幸せとは逆方向に向かうことになり、自分で自分の首を絞めていることになります。
幸せになりたいのであれば、次の二つが大切です。
- 自分が本当に満たしたい目的は何か?に立ち返ること
- 恐れに飲み込まれず、目的を健全に満たす方向へ持っていくこと