愛の深い人のイメージ
皆さんは「愛の深い人」ってどんなイメージを持っていますか?
こんなイメージを持っている人も結構いらっしゃるのではないでしょうか?
- いつもニコニコしている
- 決して怒らない
- 常に愛にあふれている
- いつも穏やか
- 常に優しい
こういうイメージを持つ人が多いせいか、あるいはこういうイメージ作りをしている人のせいか、どちらが先かは分かりませんが、こういったイメージの「先生」がいます。
表面的にポジティブな人ほど裏ではネガティブが渦巻いている
こういった先生ほど、裏では怒りまくっているものです。
常に怒らない人なんているわけがありません。
不自然ですよ。
そんな人は人間ではありません。
ですが、多くの人がそういうイメージの人を求めているため、演じる人も多いです。そのほうが承認が得られますからね。意識的ではなくても無意識にやってしまいます。
イメージが崩れると「こんな人とは思わなかった」とガッカリする
でも、どこかで錯覚に気づきます。
そうなると、今度は「期待していた人ではなかった」とガッカリすることになりますが、そもそもその期待が的外れなものですから、勝手に期待して、勝手にガッカリしているだけです。
まあ、こういうイメージをあえて作っていたとしたら、その人にも原因はありますけどね。
喜怒哀楽をきちんと出せる人が人間らしい人
喜怒哀楽をきちんと出せる人が人間らしい人です。
怒ることをダメだと思っている人は多いと思いますので、怒ることを一つの例に挙げましょう。
決して怒らない人はいるでしょうか?
たとえば、わざと足を引っかけられて転かされて笑われたとしましょう。これで怒らないほうが異常です。
喜怒哀楽をきちんと出せる人は、きちんと怒りを出せます。
怒りを残さず出し切ることができます。
この場合、相手に直接怒りを出すのではなく、怒りのエネルギーを処理しきればよいです。怒りを直接出せない場面のほうが世の中多いわけですから
そうすると、この出来事を「終わり」にできます。
もう、この出来事は終わったことであり、引きずりません。
次のことに集中できます。また、愛を取り戻すことができます。
何らかの理由で感情を抑圧するとどうなる
ところが、このとき怒れなかったとしましょう。
仮に、足を引っかけた人が恐い人で、怒ったら逆ギレされそうだとしましょう。理由は何でも構いません。
このとき、出せなかった怒りが抑圧されることになります。
抑圧するといつまで経っても引きずることになる
そうなると、このときのことをいつまでも引きずることになります。
この相手をいつまでも恨みます。
何年も前のことを今でも怒っているとき、それは怒り(もしくは他の感情)を抑圧している証拠です。きちんと怒り(もしくは他の感情)を出せなかったのです。
昔のことを思い出して感情が出てくるときは、そこに抑圧された未消化な感情が残っている証拠です!
夫婦ゲンカで過去の出来事を持ち出してくることがあります。
これは、まだ感情が未消化なのです。
「こんなに怒っているのにまだ未消化なの?」
「どれだけ怒りがあるの?」
そう思うのが自然でしょう。ですが、実は、怒りの量が多いから怒りが続くのではありません。何らかの理由で怒りを出し切っていないから怒りがいつまでも続くのです。
怒りを出し切れない理由
単純に、誰を責めることもできず、怒りのやり場がなくて自分の中に閉じ込めているケースもあれば、出来事を受け止めることができずに、怒りや悲しみが延々に続くことがあります。
後者はたとえば、浮気されたことを受け止めたくなくて、怒りが延々に続くといったような感じです。怒りを出し切ると、許してしまうことになり、それはどうしても嫌なので、怒りをとめどなく出すのです。
また、怒ることを悪いと思っている人はブレーキを踏みがちです。
怒りを悪いと思っていてブレーキを踏んでいる人ほど、怒りまみれになっているという皮肉・矛盾になります。
すぐに怒り出す人はため込んでいるから
すぐに怒るような人って、一見、喜怒哀楽を出せているような人だと思うかもしれません。
こういう人になりたくないので、喜怒哀楽をなるべく抑えようと思うかもしれません。
ところが、こういう人はむしろ逆で、何らかの理由で喜怒哀楽を抑えてしまうことで、それがたまってパンパンになり、結果として、感情が出やすくなっています。
すぐに怒るような人は、内側でものすごくため込んでいます。
ため込んだものを出していれば、いつかは穏やかになるのですが、ため込んだものはそのままにしています。
それで自分がモンスターのようになり、その結果、怒りまみれになっているのです。
ここが一見分かりにくいところだと思います。
そういう人は、チワワが吠えまくっているような感じで、本当は恐がりなんですが、いっぱいいっぱいになっていて、ちょっとでも刺激があると反発するみたいな感じです。
たまっている感情を解放する
そういう場合、反発しても敵を作るだけでうまくいきません。
やるべきことは、たまっている感情を解放することです。
感情をため込むことにつながった心のプログラムを緩める
そして、根本解決としては、今後はため込まないようにすることです。ため込まざるを得なかったのは理由があります。
何らかの「こうあるべき」という制限があって、ため込んでいたため、「こうあるべき」という心のプログラムを見つけて、それを緩めることが必要です。
また、日常的に感情をケアしていく習慣も必要ですね。
歯石と一緒で、歯磨きでケアしないとどんどんたまってきます。
愛が深い人は喜怒哀楽がきちんと出せる人
怒りを出せる人は、怒りを出した後はスカッとしています。
カラッとしてます。
でも、怒りを出してはいけないと思って、中途半端にしか出せない人は、いつまでも引きずり、ネチャっとしています。さらにそういう自分を責めがちなので余計ジトーッとしています。
いつまでもジトジトしている人は敬遠されがちです。
愛が深い人は、怒りがない人ではありません。
喜怒哀楽がきちんと出せる人です。
だから、感情を抑圧せず、自分をよい状態でキープできます。だから、余裕があり、自然に愛が出てきます。
いつもいつも愛にあふれているように見せている人ほど、抑圧まみれなので、エネルギーが悪いです。
もちろん、それにあこがれている人も一緒ですね。
愛がない状態を否定することになり、抑圧まみれになります。
ネガティブ=愛の不在、ではない
そもそも、「ネガティブ=愛の不在」ではありません。
ポジティブだけではなく、ネガティブも愛です。
だから、全てに愛を感じられるのです。
ポジティブもネガティブも制限することなく、人生の自然な流れに身を任せることができるのです。
ところが、一般的な愛のイメージはポジティブ限定なのです。
ものすごく不自然です。
感情をため込んでいる人は焦らず少しずつ出していくこと!
ここまで理解できたとしても、まだ怒りを出すのを恐がっています。
怒りを出すと、手がつけられなくなると思っています。
どうしてそうかというと、さんざん怒りを抑圧した結果、怒りがたまりまくっているからです。
これを一気に出そうとすると、そりゃ恐いですよね。
怒りを出すことを許可している人は、ため込まないので、怒りレベルが低いのです。怒りを出してもしれています。
ですが、さんざんため込んできた人は怒りレベルがすさまじいものになっています。これを一度に出そうとしたら手がつけられないと思うのも無理はないでしょう。
一気に解決しようとしないでくださいね。
一気に解決しようとするから、余計できないのです。
今まで少しずつためてきたのですから、一気に出せるわけがないじゃないですか!
逆に一気に出したら危険ですよ。
時間がかかるのは仕方ありません。少しずつ出していきましょう。
ため込んだ怒りを解放して言いたいことを伝える
このとき、怒りの対象相手に直接出すのは注意が必要です。たまりきったものをぶつけることになるので、相手も訳が分からない状態で、受け止められません。関係が破綻する可能性が高くなります。
ケンカしても大丈夫な関係であれば、怒りをぶつけあってスッキリするのもよいですね
相手に何か主張したいのであれば、怒りを全部解放した後で言いましょう。怒りがなくなれば、主張したいことがシンプルになります。怒りがあると相手を責めるような主張になりますが、怒りがないと冷静な「お願い」「要望」になるので、相手も快く受け取りやすいです。
怒りを出すのであれば、感情解放テクニックを使いながら、少しずつ出していきます。
たまっているものであれば、一日で出し切ろうとしないでください。
少しずつ出していけば、だんだん落ち着いてきます。
感情との付き合い方のレッスンだと思って、ゆっくりやっていきましょう。
怒りを例にしましたが、悲しみや恐れなどの別の感情も同じです。
「出してはいけない」と思っているから、抑圧して、かえってそこにとらわれるのです。愛から外れていきます。
喜怒哀楽を出せる人が、自然体の人であり、自然体の中に愛が宿るのです。