カウンセリングの申し込みでたまに代理依頼があります。
たとえば、小さいお子さんが恐怖症を抱えているケースで、お母さんからご依頼いただくことや、登校拒否のお子さんを抱えたケースでお父さんからご依頼いただくなどです。
パートナーのカウンセリングをお願いしますという依頼もございます。
状況に応じてお受けしますが、原則としてカウンセリングは本人の意志があって初めて成り立つものです。
カウンセリングは本人の意志が大原則
親の勧めで連れてこられても本人がカウンセリングを受けたいという思いがなければセッションは機能しません。
これはセラピーやスキルの問題ではないので、どのカウンセラー/心理セラピストも同様でしょう。
受けたいと思わせるところに持っていくのは困難
セッションを機能させるためにはまずは本人がカウンセリングをやりたいと思うところまで持っていく必要があります。
しかしながら、これは本来のカウンセラーの仕事ではないため、かなり困難です。そもそもどのカウンセラーもそういうトレーニングは一切受けていません。
本人の自由意志を変えようとするのはそもそも無理があります。
なので、そこに高価なセッション時間を使うのはもったいないと思います。
私のセッションでは、本人の希望でない限りセッションを引き受けていませんが、こういう理由からです。
他者を変えようとしている
そして、このケースでは子どもであろうが、変えたいのは他者なんです。
「うちのワンマン社長を何とかよっし~さんのカウンセリングで変えてください」という依頼は来ませんが、実はそれと同レベルのことを言っています。
仮に従業員が無理やりワンマン社長を引っ張って連れてきても、セッションなんてできるわけありません。
チーン、終了です。
たとえトークである程度打ち解けたとしても内面にある抑圧された感情が出てくるのは相当先の話になります。
困っているのはどっち?
ワンマン社長のケースで困っているのは従業員です。
カウンセリングを受けるべき人はこの従業員です。
だって社長は困っていないんですから!
同様にカウンセリングを受けるべきはお子さんではなく親御さんなのです。
親子の場合それが気づきにくい
でも、ここになかなか気づけないのです。
たとえば、お子さんが登校拒否だとしたら、明らかにお子さんの問題であり、自分の問題だとはまったく思わないでしょう。無理もないです。
ですが、本当に困っているのは親御さん、つまり自分自身のはずです。
セルフラブの問題
もし、自分が自分のありのままをOKにしていたら、他者のありのままもOKになります。
それがたとえ子どもでもです。
自分のセルフラブが高ければ、状況が問題ではないことが分かります。
そのとき、お子さんはかなり楽になるはずです。
同じ引きこもりでも周りが全面的に受容している環境であれば(形だけでは意味がないですよ)、本人が自分で問題解決を見出すでしょう。
お子さんの力を信頼できればよいですね。
自分のビリーフで他者を見ている
このとき、お子さんの力を信頼できないのは、自分の中にそれを見ているからです。
自分の無力感をお子さんに映しているのです。
もし、自分自身に力があると信じていれば、「今はこんな状況だけど、この逆境がきっとこの子の人生に役立つに違いない。温かく見守っていよう。本人が力を求めたらそのときはできるサポートをしよう」などと思うでしょう。
本人の力を信頼していないから、あれやれ、これやれと指図するのです。親の価値観に子どもを嵌めようとするのです。
結局は自分の問題
結局は自分の問題です。
これをテーマにして、自分を見つめるとものすごくよいですよ。格好のセッションテーマです。
必ず、自分自身の問題であったことに気づきます。
自分の問題でこの状況を「引き寄せ」ているわけではないですからね。そういう意味ではなく、自分の中にある抑圧したものがこの状況の苦しみを生んでいるということに気づくということです。そういう意味で自分の問題だったということです。子育てに責任があるとかそういうのは一切関係ないです。
セッションを受けるべきは子どもではなく困っている本人
自分の問題であると気づいたとき、子どもはそのままで何も問題なかったことに気づくでしょう。
1ミリも変わる必要がなかったことに気づくでしょう。
むしろ、シグナルを送ってくれた子どもに感謝するでしょう。
ですので、パートナーの問題を何とかしてほしい、子どもの問題を何とかしてほしいという場合はご自身の問題ですから、ご自身がセッションを受けてください。
その上で、お子さんが希望すれば、お子さんもセッションを受けるとよいでしょう。
でもこっちは必須ではありません。
親御さんが変われば、お子さんは自然に変わりますよ。
こんにちは。「引き寄せの法則が存在しなかったら立ち直れない…」の回でお世話になったちこぽんです。
その節はありがとうございました。
その時にコメントを書きながら、「自分は本当はセルフラブがひくいのかも? だから自分は許せない生き方をしている引きこもりの兄が許せないのかも?」
という自分でもびっくりする結論にたどり着きました。
今回のお話は、親子だけでなく、自分と兄に当てはめて考えてもいいんですよね?
困っているのは自分、これは私の問題、というのは頭では分かっているのですが、
「このとき、お子さんの力を信頼できないのは、自分の中にそれを見ているからです。自分の無力感をお子さんに映しているのです。」
なかなかこの部分が分かりません。
私は自分のことが好きだし、自分に割と自信があります。
子供の頃から自分のことをそこそこすごい人間だと、根拠もないけど信じていました。
「自分が嫌い」という人の気持ちはあまり理解できないし、失敗しても自分に甘いです。
これは自分のありのままをOKしてる、のとはやっぱり違いますか?
ただ尊大なだけですか?
自分で気に入っている「自分」に兄のような家族がいることが恥ずかしいし、疎ましいんです。
いなくなってくれないかなと思ってしまいます…。(思ってる自分に罪悪感もあります)
これもやはりラルフラブが低い状態なんでしょうか?
「自分が好き」と「セルフラブ」は違いますか?
ちこぽんさま
こんにちは。よっし~です。
今回のお話は親子関係だけではなく、他の人間関係も当てはまります。
お兄さんの生き方を許す必要はないのですが、これを自分のセルフラブを高める方法として役立てることはできます。
お兄さんの生き方で許せない要素を挙げてみてください。
それが自分で抑圧している要素です。
その要素がお兄さんにあることが嫌なので、当然、それが自分自身にあることも嫌なはずです。
それは自分の中に抑圧することになります。
セルフラブの定義はありのままの自分をどこまで受け入れられているかということです。
私たちはどういった要素も持っているので、抑圧した要素があるほど、自然な自分から離れてしまいます。
仮に、お兄さんの許せない要素が「無責任」だったとしましょう。
すると、自分の中に無責任さを抑圧します。どこかで責任を抱えすぎて不自然さが出ます。
仮に、お兄さんの許せない要素が「怠惰」だったとしましょう。
すると、自分の中の怠惰を抑圧します。無理してがんばる方向に人生が進み、どこかで歪みが出ます。
抑圧を緩めるとセルフラブは高くなります。
あと、「自分が好き」は必ずしもセルフラブの高さを意味しません。
なぜなら、特定の自分像が好きというナルシシズムも自分が好きに当てはまるからです。
セルフラブは自分の中のすべての要素(善悪含めた)の存在を許し、そんなことをどうでもよいと思っている状態で、抑圧しているものが少ないと言えます。
そのとき、他者の目や価値観、恐怖を意識することなく、自然に自分の自然な行動を取ることができます。
また、抑圧しているものが少ないと、それを他者に投影することも少なく、世界観も楽になります。敵や不満が少なくなるでしょう。
お返事ありがとうございます。
>特定の自分像が好きというナルシシズムも自分が好きに当てはまるからです。
なるほどです。
今の自分が好きなので、今の自分とはかけ離れた兄の存在が許せないのかもしれませんね。
>お兄さんの生き方を許す必要はないのですが、
許さなくてもいいんですか。
今まで「受け入れなくては」と「でも許せない」との間を行ったり来たりばかりしていました。
もっと考えてみます。