ありのままって何?
よく本やメッセージで「ありのままでいい」「ありのままのあなたを受け入れなさい」「ありのままで完璧」「あなたの花を咲かせなさい」などという言葉を聞くでしょう。
あなたはそれを聞いて心が動くでしょう。
でも、次の瞬間こう思うかもしれません。
ありのままでいいのなら、努力しなくていいの?
「ありのままでいい」は真理だが無意味
「ありのままでいい」という言葉は真理です。
本質を示した言葉です。
ですが、ほとんどすべての人にとって意味がない言葉とも言えます。
なぜならエゴは「ありのままでいい」とは絶対にならないからです。
あなたの本質であるスピリットで生きているとき、あなたは「ありのまま」の状態です。
ありのままで生きているとき「ありのままでいい」とは思わない
ですが、このとき、「私はありのままでいい」とも思っていません。
ありのままが自然で、ありのまま以外ではいることができず、「ありのままでいよう」という衝動などありません。
歯磨きが当たり前になっている人に、「歯磨きしよう」「歯磨きする」という意識はないでしょう。それと同じです。
「ありのままでいい」というのは真理を指している言葉ですが、同時に無意味な言葉です。
私たちが「ありのままでいい」と絶対にならない理由
エゴは「ありのままでいい」と“絶対に”ならないと書きました。
なぜ“絶対”という言葉を使ったのでしょうか。
エゴは元々存在しないものを存在しているとする錯覚のエネルギーです。そのため、性質が空虚、欠乏、何もない、危うい、脆いものです。
しかし、これでは生きることができません。
そのため、あらゆる方法を使い、自己存在を確立しようとします。
これが「エゴプログラム」です。
そのため、エゴが「ありのままでいい」という言葉を実践すると、何もなくていいということになります。何もする必要がないということになります。エゴは存在しなくていいということにもなります。
それは生存プログラムを持つエゴにとっては決して受け入れることができないものなのです。
エゴはこうやって「ありのままでいい」を取り入れる
では、エゴはどうやって「ありのままでいい」という言葉を取り入れるのでしょうか?
エゴは努力しない(成し遂げようとしない)ということは耐えられません。存在価値がなくなるからです。
そのため、「ありのままでいい」=「何もしなくていい」と受け取ると混乱します。
この混乱を解消するため、「ありのままとはこういうものだ」という理想のイメージを作ります。
それを目指すことで、エゴのいつもの土俵に持ち込みます。
今は「まだ足りない」。だから理想を目指し、幸せになろう。
そして、ありのままという理想を目指し、努力するのです。
この策略に無意識でハマります。
だから、「ありのままって何?」という疑問が生じるのです。
「ありのままでいい」という言葉はあなたにとって意味がないものと言っておきましょう。
ありのままでいい人は「今」に何も持ち込まない人
あなたが、あらゆる理想のイメージ、過去や未来のイメージ、心の傷、感情、思考、あらゆるものを「今」に持ち込まないとき、あなたは「ありのままでいい」ということを真に体感できるでしょう。
「すべてが完璧」という言葉の真の意味を理解できるでしょう。
このとき無条件の受容としかいえない感覚、あふれ出る感動や感謝を感じられるかもしれません。
愛としか呼べないものを理解するでしょう。
それは素晴らしいギフトです。
しかし、あなたは、またそれをつかみます。
「ありのまま」という奇跡をつかみ、「今」を見失います。
あなたは賞味期限が切れた愛を握りしめているのです。
ハートで生きる人は、常に捨てることができる人です。
何も持たない人です。
「今」に何も持ち込まない人です。
愛や感謝や奇跡、真実ですら「今」に持ち込みません。
だから、ありのままが自然であり、ハートで生きるという自覚もないまま、ハートで生き続けているのです。
ありのままの話のブログを読みました。
私にはよく分からない話でした。雲をつかんでいるような気分です。
ただ、分かりたいから何度も読み返してみようと思います。
お話しありがとうございました。